ラミアちゃんは、割り切れないしやり切れない
自分が他人と違うことにエマ・サヘルが気づいたのは幼少の頃だった。
少なくとも二桁は達していない。ロッヅ・セルストよりも小さかった頃だ。
比較的人の近くにいることが多かった彼女は、よく人と自分を見比べていた。
まず脚が違った。
人は二本の脚で直立している。けれど自分は蛇の尾っぽで立っている。
次に腕が違った。
人は柔らかそうな薄橙色の肌だったけれど、自分は固い鱗に覆われている。
さらに言えば顔も違った。
それに関しては十人十色というか百人百面相というか、違うことが当然であり、むしろ同じであった方が気色悪いのだが――それでも、まるで目のまわりがひび割れているように鱗に覆われていたり、気怠げな目がどう見ても爬虫類のそれだったりする人はいなかった。
いや、もしかしたらいるのかもしれないけれど、それを探して回るには当時の彼女の世界はあまりにも狭くて小さかった。
しかし幸運なことにその頃の彼女の認識からしてみればそれは『違う』程度で、気にすることも、気にかけることもなかった。
そんな彼女の考えに一石が投じられたのは、その『違う』を認識してからしばらく経った頃だった。
一石が投じられた。と、まるで慣用句のように言ってみたりしたけれど、それは表現なんかではなく、ただの事実である。
考えを改める出来事の比喩なんかではなく、実物の石が投じられた。
ゴスッと生々しい音が頭からした。
石が頭蓋骨にヒビをいれた音だった。
石を投げつけてきた少年はその理由を語ることはしなかったけれど、その目は言葉よりも雄弁に彼の心情を語ってくれた。
ああ、そうか。とサヘルは思った。
私の見た目は、石を投げたくなるほどに気持ち悪いんだと思った。
人と違うのは、それだけで悪いことなんだと思った。
***
『なにを考えている?』
そこは、とても臭う場所だった。
臭くて臭くて、気が滅入ってしまいそうな場所だった。
床に張られた水は茶色く腐臭を放っている。
光はない。
薄暗いそこを照らす電灯もない。
それは暗に、ここはそうそう人が来るような所ではないのだと言っているようなものだった。
下水道の曲がり角。
大量の下水が流れる時、その鉄砲水の勢いを殺すために意図的に広く造られた場所だが、鉄砲水がなければそこはただの広い部屋のようだった。
汚水がなければ、中々住み心地は良さそうではある。
そんな部屋から声がした。
まるで脳みそに直接話しかけたような声だ。
部屋には一匹と一人がいた。
検査の時に人が歩くために設置された床の高い廊下に、一匹は横たわっている。寝そべっている。
人ひとりほどある大きな頭は鹿のようだったが、おかしなことにその胴体は鹿ではなく鳥のそれだった。
後ろ脚は鹿の脚で、前脚はなく、代わりに大きな翼が生えている。
「別に……」
そんな怪鳥――ペリュトンの体に自らの体を沈めている少女は、つまらなそうに呟いた。
気怠げな目をしている少女である。
歳は十四、十五ぐらいだろうか。
目に少しかかるぐらいの長さの黒髪で、長い後ろ髪は背中にながしている。
その少女も少しおかしな見てくれをしている。
彼女の下半身は蛇だった。
両腕も蛇のように鱗に覆われていて、気怠げな目のまわりも鱗で覆われている。
離れてみてみると、まるで顔にヒビがはいっているようだった。
「なんでもない」
と少女――エマ・サヘルは言う。
ペリュトンは目を細めて、彼女の体を大きな翼で覆った。
サヘルは気怠げな、黒目が縦に細い、爬虫類のような目をペリュトンの顔に向けた。
「昔のことをね、思いだしてたの」
『それは、辛かったね』
明らかに嫌なことを思いだしていることを前提としているような返答だった。
彼女には嫌な思い出しかないと言っているようでもあった。
サヘルはそれに気づいてか気づかずか(恐らく後者だろう)小さく頷く。
「石を投げつけられたの」
『それはそれは』
「とっても痛かった。石が当たった頭も、石を投げつけてきた男の子の顔も――それを遠巻きに見ていた人たちの顔も、全部」
目は涙に濡れ、段々と声も涙ぐみはじめる。
へびの尻尾の脚を折りたたみ、胎児のように縮こまる。
『それは、嫌だったろう、苦しかったろう、痛かったろう、憎かったろう』
ペリュトンはその大きな翼でサヘルの体を撫でながら呟く。
優しく、誑しこめるように。
ゆるく、心を歪めるように。
『理由もなく、意志もなく、ただ自分の見た目だけをみて、蛮行に至ったその男の子が』
「……うん」
サヘルは頷く。
少し考えてから。
「やり返してやろうとか考えた。実際、やり返したこともあった。けど、いつも悪いもの扱いされたのは私だった」
『嫌われものだった。憎まれものだった』
「そう、あいつらはいつも私のことを疎んでた。あいつらは、私のことが、大嫌いだった」
涙ぐんでいた声が、段々と力強くなっていく。
ペリュトンの口は小さく歪む。
『そうだ、そうだよエマ・サヘル。みんなみんな、お前のことが大嫌いなんだ。意味も理由もないけれど、とにかく、嫌いなんだ。だったら、お前が好いてやる必要はない。接してやる必要もない。あんなやつら、捨てておけばいい。大丈夫、大丈夫だエマ・サヘル。俺はずっとお前のことを慰めてやろう。お前のことを愛してあげよう』
「……うん、ありがとう」
サヘルはペリュトンの体に自らの体を更に深く沈める。
ドロドロとした、負の泥沼に身を沈める。
サヘルは思う。
――あいつらはわたしのことが大嫌いなんだ。
――気持ち悪い私が、大嫌いなんだ。
――そうだ。そうに違いない。
違いないはずだ。
でも、それならどうして彼らは――。
***
どうやら私は、気持ち悪いものらしい。
通常の美的センスからして私の見てくれは普通では全くなく、気持ち悪いものらしい。
そう感じるようになってから、エマ・サヘルは自らの体を毛布で覆うようになった。
なぜ毛布なのかといえば、近くにあるもので全身を覆えるものがこれぐらいしかなかったからだ。
だからそれについて言及されると、ちょっと困る。
まあ、言及されたことなんて一度もないのだけど。
さて。
サヘルが毛布で全身を覆うようになってから、彼女を見る奇異な視線は減るどころか、むしろ増える一方だった。
しかし彼女は毛布を脱いだりはしなかった。
シェルターと呼ぶにはあまりにも薄く弱々しいそれではあったけれど、それでも人の視線から彼女を守ってくれた。
見られていないのだと勘違いさせてくれた。
見られてない。見られてない。
それが彼女の口癖だった。
呟きながら彼女は毛布のつなぎ目をつよく握る。
そんなある日のことだった。
サヘルは『クンストカメラ』の話を耳にした。
話。というか、街角で『クンストカメラ』の宣伝をしているのを見かけただけなのだが。
視線から身を守るためとはいえ、さすがに自身の視線まで遮ってしまったら歩けなくなる。
だから毛布の微かな隙間から覗いていたその光景に、サヘルは衝撃を受けた。
街角で宣伝している彼は、自分と同じように普通ではなかったからだ。
ビラを配っている彼の頭には、もう一つ頭がついていた。
その大きさは体にひっついている方の頭と同じぐらいで、その首の断面は桃のように盛り上がって塞がっている。
脳天から少し右にズレたところで引っ付いていて、その接合部分は黒髪に覆われている。
その目はまばたきもしているし、微笑んでもいるのだけれど、どうもそちら側に意思が見られない。
遠くから見てみれば髪をお団子に結んでいるようにも見えなくもないけれど、やっぱり、人の頭であった。
後で調べたところ、それは双頭児。または寄生的頭蓋結合者と呼ばれる存在で、結合双生児の中でもかなり稀な症状であることをしった。
産まれながらにして彼の頭にはもう一人ついている。
産まれつき、産まれついてこの方、彼はこの、嫌悪と慈悲にまみれた奇異の視線の中、生きてきたというのか。
それでもなお、人前にでて笑っているというのか。
気がつくとサヘルは、その男の前に――後にクロク・ドゥイとい名前だと教えてくれた――の前に立っていた。
その時のクロクの顔はよく覚えている。
『なんだなんだ、変な子がいるぞ?』と言いたげな表情をしていた。
しかし不思議と心が荒んだりすることはなかった。
サヘルは毛布を内側から脱いで顔をだした。
久々の視界の広さに、一瞬目が眩む。
突き刺さる視線がとても痛かった。
けれどサヘルは逃げようとせず、その他一切を見ようとせず、クロクの顔だけを見ていた。
果たして、驚いたように目を見開いていたクロクは視線を合わせるようにしゃがみこんで、にかっと笑った。
「お前、うちに来ないか?」
これがクロクと交わした初めての会話で――他人と話した、とても久々な会話であった。
***
そのフリークショーの名前は『クンストカメラ』というらしかった。
名前の理由は今も知らない。
一つ目の団長にカメラの趣味なんてないのだけれど。
そこで働く人々は、皆が皆、普通ではなかった。
人のシルエットをしている人は一人もいない。
足りなくて、欠けていて、多くて、余計で、変わっていて、違っていて。
それはどれも、エマ・サヘルの小さな世界には存在していなかったもので、楽しそうに笑っている姿をみると、不思議な気分になった。
自分一人ではなかったのか。
彼女の狭くて小さかった世界は広がった。
それは彼女の悩みが消え失せたような気にさせてくれた。
それは余りにも気のせいで、どうしようもないぐらいの勘違いだったのだけど。
世界が広がっただけで悩みが解決するのなら、人は皆地球一周旅行にでも赴くだろう。
しかしそんなことはない。
世界が広がったことで知れることは、知らなかったという事実だけだ。
なにかが減ったりすることは、ない。
事実、彼女の思い違いの補強は、小さなきっかけであっさりと瓦解する。
クンストカメラで暮らすようになってから、数ヶ月が過ぎようとした頃、サヘルは周りとの微妙な食い違いを覚えた。
自分と他のメンバーの考えにズレを感じたのだ。
片や剥離していて。
片や剥離できていない。
片や割り切っていて。
片や割り切れていない。
片や受け入れていて。
片や受け入れいれてない。
小さすぎて自覚しているもの以外気づけそうにない、しかし決定的な違い。
それに気づいてから彼女は微妙に距離をとるようになった。
メンバーの前でも毛布を被るようになった。
毛布の厚さは防護としてはあまりにも薄かったけれど、彼女の心を隠すには充分すぎるぐらい強固なシェルターだった。
けれど。それでも。
彼女はクンストカメラから離れようとはしなかった。
剥離しきれず、割り切れず、受け入れきれない。『もしかしたら』が頭のどこかに潜んでいる彼女は誰かに愛されたかった。
愛して欲しかった。
不楽はルーミアとサヘルのことを似ている。と表現していたがその『愛されたい』という点では、確かに似ているのかもしれない。
共に寂しくて、愛されたいと思っている。
ただ吸血鬼は魅了で、蛇女は見た目で諦めている節もある。
諦めかけていて、諦めきれていない。
だから両者ともに騙されたり裏切られたりしているわけだけど。
「自虐も度が過ぎれば笑い話ね」
自分の今までの行動を思いだして、サヘルは一笑にふす。
「結局、何一つうまくいかなかった」
誰よりも人が苦手で、誰よりも人が好きな彼女は呟く。
「私は必要とされていない。私は必要ない。私なんていなくなっていい。私なんて、いらないんだ」
その近くで、ペリュトンは笑った。
彼女の心は少しずつ腐っていく。
負を啜るペリュトンにとってそれは極上の餌である。
だからペリュトンは囁き続ける。
甘くて優しくて、心を溶かし腐らせる言葉を。
『まずいことになった』
曲がり角にペリュトンが入ってきた。
サヘルが体を沈めている個体と比べて、少し小さめなペリュトンは少し焦っているようだった。
『ここが見つかった』
『誰にだ?』
のそり、と巨体のペリュトンは首を動かす。
サヘルは怯えたように体を縮こませた。
『分からない。ただお前のような巨体が鬼気迫る表情で直進していて、手のつけようがない』
『……だろうな』
『は?』
『後ろを見ろ』
ペリュトンは振り返ると同時に吹き飛んだ。
汚水の上を何度もはね、壁に激突する。
サヘルからみるとそれは、胴体が膨れ上がって弾け飛んでいるようだった。
「そこの鳥。ふざけた考えを埋め込むのはやめてもらえますかね」
ペリュトンを吹き飛ばして曲がり角に侵入した巨体は、巨大なペリュトンと同じぐらいの巨躯だった。
筋肉に筋肉を着込んだような筋肉質な体躯で、元々着ていたのであろう服の切れ端が肩や腰についている。
頭髪はなく、顔の真ん中にある大きな一つ目は、サヘルの姿を捉えて安心しているようにもみえた。
「やっと見つけた……」
一つ目の団長は安堵しきった声を漏らした。
サヘルは、悲しそうに顔を歪めた。




