ヴぁんぷちゃんは道に迷う
「ねえ、ルーミアさん」
「……なに」
海の波音が聞こえてくる夜道。
夜空には星が散らばり、舗装されていない道の両端で短く伸びる雑草は海に向けて流れる冷たい空気になびかれて、こすれあう。
規則的にうちよせる波は、海岸に砂を運び砂浜を形成しているが、その砂浜には一つも足跡がない。
辺りを見渡してみても人家は一つなく、海沿いに進むこの道の横は山になっていて、人一人見当たらない。
そんな道を不思議な二人組が歩いている。
一人は小柄な体躯の少女。
月光に反射して煌めく銀色の髪に、血よりも赤いルビーの瞳が特徴的な少女である。
そんな彼女は、まるでお姫様が着ているようなドレスを着込んでいる。
ゴスロリファッション、と言うのだろうか。
闇夜に溶け込むような黒色を基調にした、フリルやレース、リボンをふんだんにあしらわれたドレスだ。
まだ年端もいってなさそうな、どこか愛らしさを感じる幼顔の少女だが、しかし、その見た目とは裏腹に、彼女はこの世に生きる人類の誰よりも長生きをしている。
いや、彼女自身既に人間ではなくなっているのだから、その表現には少し語弊があるか。
少女――ルーミア・セルヴィアソンは吸血鬼である。
四世紀もの長い間を生きてきた奇っ怪なものである。
長い時を過ごしてきたせいか、もう自分がどこで生まれ育ったのかは定かではないけれど、『始祖』を名乗る吸血鬼に血を吸われ、眷族となってから、彼女の時は止まっている。
人間だった彼女の時は死に、吸血鬼として生まれ変わった。
そんな彼女の後ろをついていくように男が歩いている。
年は二十歳ぐらいだろうか。
少し細めの――お世辞にも健康体とは言い難い、血色の悪い男である。
小学生ぐらいの小さな子供に、二十歳ぐらいの男がさん付けをして話しかけている様は、なんだかおかしく見えるけれど――二人の間にはそれこそ、四世紀近くの年の差があるので、実際はそこまでおかしくはない。
そう四世紀。
吸血鬼、ルーミア・セルヴィアソンが仮に四百歳とするならば、男はゼロ歳。
産まれたばかり、創られたばかりの『化物』である。
『フランケンシュタインの化物』をベースに、吸血鬼を退治する為に創られた彼は、今現在、どんな因果か、その退治する対象である吸血鬼とともに行動をしている。
名前は不楽。
誰がどう見ても、嫌がらせでつけたようにしか見えない名前だけれども、そうでないことを理解している彼には、とても大切な宝物になっている。
もっとも、嫌がらせではないと理解してなくとも、彼は普通に受け取っただろうけど。
なんせ彼は、感受性とか感性とか、そういったものが無いままに創られているのだから。
そんな見た目も中身も変な二人は、その辺鄙な道を、かれこれ三日は歩き続けていた。
ルーミアが歩けるのは日が出ていない間だけだとしても、かなりの日数である。
「もしかしてもしかしなくても、僕ら迷子になってる?」
「迷ってなんかないわよ……多分」
自信がないのか、ルーミアは段々としりすぼみしていく。
始めの始めの方はまだ『こっちに行くのが正しいに決まってるでしょ、私が迷子になるはずなんてないわ』なんて言っていたルーミアだったけれど、さすがに三日目となると、弱気な発言も飛びだしてきた。
「ここって日本よね……?」
「海を渡った覚えはないし、日本で間違いないと思うよ」
「じゃあどうしてここまで人も街もないのよ。喉もからからでしょうがないわ……」
生唾をのみこんで気を紛らわそうとしても、その渇きだけは潤すことはかなわない。
「やっぱりあの時、あそこで右に曲がるのが正解だったんじゃあないかな」
「なによ」
先を歩いているルーミアは、足を止めることなく首だけを動かして、後ろにいる不楽の顔を見上げて睨む。
「私が間違ったのが悪いっていうの?」
「うん」
不楽はあっさりと頷いた。
言い返そうにも、分かれ道で右を選んだのは確かにルーミア自身なので文句の言いようがない。
だからむー、とルーミアは下唇をかみながら不楽の顔をひとしきり睨んでから、そっぽを向くように前を向き直した。
すると、暗い夜道にライトが二つ、浮かんでいるのが見えた。
耳を澄ましてみればエンジン音も聞こえてくる。
車だ。しかも一台だけではないようだ。
「ほ、ほら不楽。車がはしっているって事は近くに街はあるのよ。車の向かう先に集落はあるのよ」
「その定義でいくと、僕たちは街から離れるように歩いてたんだね」
そんな不楽のもっともな意見も聞こえないぐらいに、ルーミアは喜んでいる。
車の運転手に魅了をかければ、車に乗って移動することもできるし、喉を潤すことも出来る。
だからルーミアは、自分たちの方に向かってくる車が自分たちに気づくように両手を振っていた。
しかし、段々と車が近づいてくるにつれて、その手はピタリと止まってしまう。
近づいてくる車はバスほどの大きさだった。
キャンピングカーとかキャラバンとか、そういう類の車だろうか。
舗装されていないでこぼこの道を大きく揺れながらはしるキャラバンの天井や側面には、楽器や荷物がつまった袋が縄でキャラバンに縛りつけられている。
そんなキャラバンの天井に、一人の男が立っていた。
大きく揺れているキャラバンの上で、まるで足の裏が天井に張りついているかのように、振り落とされることもなく、直立していた。
「なにあれ……?」
「サーカスの曲芸師じゃないかな? どうしてあんな事をしているのかはさっぱり分からないけど」
「サーカス? 日本にもあるの?」
「確かあったはずだよ」
「へえ……」
サーカスのキャラバンだと思われるその二台の車は、ルーミアと不楽のすぐ横を通り抜けようとする。
「お……?」
と。
そこでようやく、曲芸師と思わしき男は二人の存在に気づいたらしく、二人と目があう。
吸血鬼であるルーミアの瞳を見た。
そして男は、これまた器用に車の天井の上を軽快な足取りで移動して、上半身を外に乗りだすと、運転席の窓を叩いた。
それを合図に、キャラバンはスピードを落として、二人がいる所を少し通り過ぎてから停止した。
「止まったね」
「上手くいったかしら……?」
運転席の窓が開き、運転手が顔を出して、上にいる男と顔を合わせる。
「なんだ、なにかあったのか?」
「団長、あれ」
と。
男はルーミアと不楽の方を指さして、団長と呼ばれた運転手はその方向を見る。
「ん、んん!?」
と、運転手は変な声をあげながら、体を一旦車の中に戻した。
暫くすると、運転席から団長は降りてきた。
シルクハットに燕尾服と、さながら旧世代のマジシャンのような格好をしている。
「あのー、一つ変なことをお聞きしてもよろしいですか?」
団長、と呼ばれていた運転手は脇目もふらずに二人の前にやってきて、そんな風に尋ねてきた。
その顔はシルクハットのつばで隠れて見ることができない。
それは同時に、ルーミアの眼を見ていないということ。
故意か、偶然か――。
もし仮に故意ならば、彼はルーミアの正体に気づいているのかもしれない。
気づいていて、対抗すべくそうしているのかもしれない。
「なにを?」
だからルーミアは少し警戒しながら返す。
「難しい話ではありません。ただ一つだけ、とても簡単な質問です……私のことを、覚えていますか?」
団長は被っていたシルクハットを脱いで、その顔をルーミアと不楽にさらした。
その顔には、目玉が一つしかなかった。
本来なら二つあるはずの目玉が、一つしかなく、眉間がある部分に、巨大な目玉がついている。
一つ目小僧。
ルーミアの記憶に間違いがなければ、確か日本にはそんな妖怪がいたはずだ。
しかし……。
「あなた、誰……?」
知識としては知っていたものの、その実物を見たのは今回が初めてのはずだ。
ルーミアが頭をひねりながらそう返すと、一つ目の団長は。
「はっはー」
と笑った。
「いや失礼。確かにあの時、あなたに助けられたのは私以外にも沢山いましたし、私個人を覚えていないのも、まあ仕方ないですね」
「助けた?」
この男は一体何を言っているのだろうか。
人を、奇っ怪なるものを助けた覚えなど、不楽以外ないというのに。
ルーミアが首を傾げると、一つ目の団長は、その大きな目を三日月形に歪ませながら、嬉しそうに答えるのだった。
「私は、あなたが破壊したフリークショーで働かせていた者です」




