ヴぁんぷちゃんは泣きじゃくる
ルーミア・セルヴィアソンは吸血鬼である。
一応、四世紀前はただの人間ではあったのだが、『始祖』と名乗る吸血鬼に血を吸われて以来、彼女は太陽の下を歩くことが出来なくなってしまった。
ただそれに対して、彼女はあまり不便を感じたことはなかった。
まあ確かに一日の約半分の行動を制限されているのは多少窮屈にも感じてはいたが、四世紀も生きているうちに慣れきってしまった。
その四世紀の間、彼女は吸血鬼らしい生活をする半面、暇な日中は読書に身を費やしたりもした。
そうして生きているうちに、彼女は誰よりも自分たちのような奇っ怪な生物について詳しくなってしまっていた。
その特徴、長所と短所。弱点に至るまで、知り尽くしてしまった。
それこそ、その本職である退魔師よりも。
知識量だけなら、他の追随を許さない賢い吸血鬼がいると噂され続け、いつしか『百識の吸血鬼』なんてあだ名がつけられたりした。
百識の吸血鬼。
なんだか百獣の王みたいでカッコいいと、ルーミアはそのあだ名が気に入っている。
人の前に姿を表す時には自分からそれを名乗りあげたりもしたほどだ。
彼女にとって、その知識量は自慢であり、誇りだった。
――なに、どういうこと?
だからこそ。
充分以上の知識を蓄えている彼女だからこそ、知らないことに出会すと、とことん弱かった。
――血が通っていないのに、生きてる? そんな事ってありえるの?
首筋に牙を突き立てたまま、淡々と少年が言うその事実に、ルーミアは更に混乱する。
『血の通っていない生き物』
そんなものは彼女の知識にはなく、彼女のプライドは大きく傷つけられた。
もしかしたらこの少年の嘘なのかもしれない、と最初の方は考えていたものの、しかし体に血が通っていないという事実は、彼女自身が噛みつくことによって実証されている。
嘘ではない。
だけど信じられない。
自分が知らないことがある事が――信じられない。認めたくない。
そんな妙に高いプライドのせいか、ルーミアは首筋からその牙を離そうとしなかった。
しかし、何回吸いついても、血が口内に溢れることはなかった。
それがどうも、少年からみると『お腹が空いていてがっついている』ようにしか見えなかったようで。
「僕はね、食屍鬼なんだ」
と名乗り上げた。
食屍鬼。
昔は魔術師が呪いや黒魔術によってつくりだした『動く死体』で操り人形に過ぎなかった。
本体はあくまでも魔術師であり、ゾンビはそれを引き立てるための脇役に過ぎなかった訳だが、どうしてか近年になるとゾンビが主役の映画が作られたりとメジャーになりつつある、吸血鬼と同じ化け物の一種である。
その最大の特徴に『噛んだ相手を同じようにゾンビにしてしまう』というものがある。
まるで吸血鬼だ。
というか、一度死んでいるとか、半永久的に生きられるとか、意外と吸血鬼とゾンビには共通点が多い。
だからルーミアはゾンビの事を吸血鬼のなり損ないとか、下位互換だと認識している。
なるほどゾンビ。
動いている死体。
生きていないのなら、確かに血液も必要ではない。流れていないのも、納得できる。が。
下位互換に、なり損ないに、出来損ないに、彼女は今、知らなかったことを教わってしまった。
哀れまれて、教えられてしまった。
格下に、下に見られてしまった。
それが更に彼女のプライドを傷つけていく。
「僕はゾンビなんだ。だから――という訳ではないんだけど、僕の体には血液は通っていないんだ。だからその、お腹空いてるんだとしたら、ごめんね」
「――――ッッッ!?!?」
もちろん少年には悪気はない。
悪気なんてものは、なにも感じれなかった。
きっと素直に、申し訳ないと思って謝ったのだろう。
ただ、お腹が空いていて、なんとか食料を見つけたはいいが、なんとその食料には中身がなかったのだ! という残念感と失敗の羞恥心が心中で渦巻いていて、プライドもズタズタになっている吸血鬼にとっては、それは悪気でしかなかった。
彼は彼女を、哀れんだ。
格下に哀れだと思われた。
それが彼女に残っていた威厳を保とうとしていた心を折るには充分な悪気だった。
「……ひっく」
「え?」
心がポッキリと折れた彼女は、堰が切れたように、歳不相応に、しかし見た目相応に――泣きだした。
「うわあああああぁぁぁぁぁぁぁーーーーーーん!!!!」
「え?」
ゾンビの首筋に噛みついたまま、ルーミアはそのルビーのような赤い瞳から、大粒の涙を流した。
「ひどいよおぉ! やっとお腹が一杯になると思ってたのにいぃぃぃ!!」
「あの、その、ご、ごめん。落ち着いて泣かないで、ね?」
びえええん! とまるで壊れた蛇口のように溢れでる涙に、ゾンビのよれよれのTシャツはびしょびしょになる。
焦ったゾンビはとりあえず泣きじゃくるルーミアの脇に手を通して持ち上げて、首筋から口を離させた。
期せずして『たかいたかーい』しているような状態になってしまったルーミアは泣きじゃくりながら、しきりに瞬きをして自分が置かれている状況を確認して。
「子供あづがい゛ずるな゛あぁぁぁ!!」
「わあっ、ごめんごめん」
ゾンビは急いでルーミアを地面に降ろした。
しかし降ろした所で、折れてしまったプライドと、保とうとしていた威厳と失敗してしまった羞恥心が元に戻る訳でもなく、彼女は地面にへたれこんで、そのまま泣き続ける。
「えっと、どうするべきかなこれは……」
ゾンビは少し悩ましげに言う。
人通りが少ないとはいえ、それでも誰かが通りかかるという可能性は普通にある。
二人とも見つかって素性を聞かれるのは少々どころか、かなりヤバい生物だ。
「……あ、そうだ」
もはや自分がどうして泣いているのかも分からなくなり始めたころ、濡れている視界の中で、ゾンビは自分が持っていたビニール袋に視線を落とした。
「えっと、ルーミアちゃん、だよね?」
いまだ泣きやむ様子が見られない、地面にへたり込んだまま泣き続けるルーミアの視線に合わせて、ゾンビはしゃがみ込む。
「これとか、食べる?」
そして、持っていたビニール袋の口を開いた。
中に入っていたのは出来立てホヤホヤ、新鮮そのものの――生首だった。
食屍鬼。
人を襲い、人を食べる。
それは昔の呪術的観点から見るゾンビも、今のパンデミックな科学的視点から見るゾンビも同じである。
つまり、この生首も時間が経てばゾンビになるのだが、彼は別に仲間を増やしたい訳でもないので、食べる時は全身くまなく味わい尽くす事にしている。
しかし今日は、頭を残して腹一杯になってしまい、仕方なく、頭は家に持ち帰っておやつにしようとか考えていた所だった。
首とはいえ、彼女が欲してる血はちゃんとある。
さっき殺したばかりだから、鮮度も落ちていないはずだ。
どうかこれで、機嫌をなおしてくれないだろうか、とゾンビはそれをルーミアに差しだした。献上した。
ルーミアは差しだされたビニール袋の中からする血の臭いに気づいたようで、すんすんと、泣きじゃくって赤くなってしまった鼻を動かす。
そして涙を流すのをやめると、さっきまでより更に赤くなった瞳で、ビニール袋の中を覗き込み、それが生首だと気づくと、ゾンビから奪い取った。
彼女は生首を自分の体で隠すようにしながら、ゾンビを赤い瞳で睨んだ。
「取らないよ、あげるからゆっくりと食べるんだよ」
ルーミアは少し慌てながら、生首を両手で掴むと、その首の部分からたらり、と垂れているゴムのチューブのような物を咥えた。
ごくり、ごくり、とのどから音がして、ルーミアの表情はどんどん緩んでいく。
それを見て――年端二桁にも達してなさそうな女の子が、女性の生首を両手で抱えるように持ちながら血を啜っているという、誰がどう見ても猟奇的な光景を見ながら、ゾンビは至って普通に笑った。