ルーミアと不楽
すやすやと眠りについてから幾日か過ぎて、ルーミアは目を覚ました。
パチリ、と長いまつ毛のまぶたを開いて、のそりと体を持ち上げる。
知らない部屋だった。
間取りはルーミアの住んでいる部屋と同じなのだが、数少ない家具は置いてなく、生活感というものがなかった。
「空き家かしら……?」
ルーミアが部屋を見回していると、不意にドアノブが動く音がした。
扉が開き、ゾンビが部屋の中に入ってきた。
その片手は銀ではなく、普通の手に戻っている。
ゾンビはルーミアが起きているのを確認すると、手に提げていたビニール袋を床の上に置いてから。
「ルーミアさん、起きたんだ。おはよう」
と、声をかけた。
その軽い言動からして、あんまり長い間眠っていないのかしら? と考えたりしたのだが、その割には体が重いというか、強張っている。
「ねえ」
疑問に思ったルーミアは、ゾンビに尋ねた。
「私はどれぐらい眠ってたの?」
「一週間ぐらいかな」
「反応薄くない?」
「薄いかなー」
「薄いわよ。逆にどうして一週間寝たきりだった人に対して『あ、起きたんだ』程度の反応しかしないのか問いただしたいぐらいよ。『ああ、良かった! 一週間ずっと起きないから、死んじゃったのかと思って不安で不安で仕方なかったんだ……っ!』ぐらい言えないの?」
言えないからこそ、一週間だろうが一日だろうが眠っていることには変わりないと判断できるからこそ『行動的ゾンビ』なのだが。
言っている最中にルーミアは気づいたけれど、文句を言っちゃった手前、最中に撤回が出来ない、相変わらずなルーミアだった。
「あはは、次は気をつけるよ」
「次なんてないわよ」
ひとしきり怒ったところで、ルーミアは鼻を一度鳴らして、部屋を見回す。
「それで、ここはどこなの?」
「ルーミアさんが住んでるアパートの空き部屋だよ」
どうして? とルーミアは言いかけたのだが、口を閉じた。
そうだ。一週間前、自分は退魔師からの攻撃を受けたのだと、思いだした。
退魔師は撃退できたけれど、ルーミアの住処はわれてしまっている。
もしもあの退魔師が仲間にルーミアの住処の場所を伝えていたとしたら、あの部屋にいるのは確かにまずい。
「でも、どうして同じアパートの空き部屋にしたの? 遠くに逃げた方が良かったんじゃあない?」
「ケガしてるルーミアさんを動かすわけにはいかなかったし、あとは、灯台下暗しの考えで」
「浅はかね」
「あはは、けど、この部屋は接道の札を使って人払いの呪いをしているから、そう簡単にはバレないと思うよ」
確かに部屋の四隅にはなにやら見覚えのある、不思議な模様が描かれた長方形の紙が貼られている。
ルーミアが弱体化していたとはいえ破壊できなかった男の呪いだ。信頼してもいいだろう。
「そう、なるほどね……ッ!」
空き部屋にいる理由が分かったところで、ルーミアは胸に痛みを感じて、胸を握りしめながらうずくまった。
襟元を少し広げて見てみると、胸元に丁度腕一本ぐらい入りそうな風穴が空いていた。
どうやらまだ心臓は再生していないらしい。
「そりゃあ今のルーミアさんは栄養失調で倒れている病人みたいなものだから、再生に体力をさけなかったんじゃあなかったんじゃあないかな」
ルーミアさん、宣言通りに接道の血を吸わなかったし。
ゾンビは笑いながら、玄関に置いていたビニール袋の中を漁って、中から二本のペットボトルを取りだした。
その中に入っている赤色の液体は、少なくともトマトジュースではなさそうだ。
「動物と人間のがあるけど、どっちがいい?」
「動物のって?」
「野良犬とか野良猫とか?」
「野良犬ってまだいたのね……人間のをちょうだい」
死体の腐臭をかぎつけたのだろうかと、ペットボトルを受け取るついでにゾンビの臭いを嗅いでみたのだが、防腐処理はしっかりとしてあるようで、腐ってはいなかった。
「……?」
「どうしたのルーミアさん」
「私って、一週間ずっと寝てたのよね?」
「そうだけど」
「その割には汗臭くないなーって」
「そりゃあそうだよ。僕が毎日体を拭いていたからね」
「ぶっ!?」
噴いた。
何気なく口に運んでいた血液を飛沫のように噴きだした。
「うわっ、びっくりした」
「な、なななななななっ!?」
とんできた飛沫をひょいっと避けるゾンビを傍目に、ルーミアは明らかに動揺している声をあげる。
耳まで顔を真っ赤にして、涙目になりながらゾンビを見る。
しかしゾンビはまるで何ともないように。
「だって風邪とかひいたら大変じゃあないか」
なんてのたまう。
「むう……」
分かっている。
このゾンビのその行動にはやましい心なんてものは一つもなく、ただただ純粋に、その言葉通りの意味しかないことは。
それは決して、彼は人畜無害で優しい人だからということではない(優しい人なら、そもそも心臓を破裂させたりしない)。
ただ彼は、その言葉以上の何か構成するものを持ち合わせていないだけだ。
それを知っているし、分かっているんだけど、逆に人一倍その何かを持っているルーミアには耐えられなかった。
しかし、さすがにここで怒るのは悪い。その言葉通りの意味しかないということは、悪気はないということなのだから。
ここは余裕をもって、笑顔でお礼を言ってあげよう。
「いたっ、いたっ、ルーミアさん。どうして蹴るの?」
だからゾンビが攻撃をやめるよう訴えているのはきっと勘違いだろう。
「……それで?」
幾分かすっきりしたルーミアは、ペットボトルの中にある血液を飲みながらたずねる。
胸に空いた風穴を塞ぐためにも、血液補給は大事である。
「あの後どうなったか教えてくれる?」
「あの後? ああ、ルーミアさんが倒れてから?」
ゾンビは語った。
あの後、姿を変えたルーミアが接道を倒した後、退魔師が倒されると他の退魔師に連絡がいくようにされていたらしく、『接道が吸血鬼にやられた』という情報が、つまり、吸血鬼がこの街にいるという情報が知れ渡り、沢山の退魔師が街にやってきているという。
今は接道の人払いの呪いがあるから隠れていられるけれど、いずれ『今まで誰も探していない場所』として浮き彫りになってしまうだろう、と。
「ふうん」
と、聞き終えたルーミアは頷く。
「じゃああまりここには長居できそうもないわね」
「そうだね」
「ま、こんなボロ屋に愛着なんて湧いていないし、別に構わないけどね」
「あれ、優良物件だとか言ってなかったっけ?」
「よく覚えているわね……良い家と愛着が湧く家っていうのはイコールじゃないのよ」
「なるほど」
ルーミアの見栄っ張りな言動を、ゾンビはあっさりと受け入れた。
そもそも『愛着が湧く』ということがないのだから、実感がないのだろう。
「さて、じゃあさっさとこの場から立ち去りましょう」
ルーミアは下半身を包んでいた掛け布団をどかして、ゆっくりと立ちあがる。
「体はもう大丈夫なの?」
「まあ少し痛むけれど、これぐらいなら平気よ」
言いながら。
ルーミアは小さな左手をゾンビの前に差しだした。
「もちろん、あなたも一緒に来てくれるよね、不楽?」
「……え?」
もちろん、と答えようとしたのだろうか。
少し顔を緩ませながら、差し出された左手を掴もうとしたゾンビの右手が止まった。
「ん、どうしたの?」
「え、あ……フラク?」
「ああ、それ? あなたの名前よ。ないんでしょ?」
ルーミアは実にあっさりと答えた。
「ずっとあなた呼びを続けるのも変だと思って。さっき適当に考えたの。フランケンシュタインだから、フラク。それに当て字で『不楽』。どう、カッコいいでしょ?」
空中に『不楽』と書きながら、ルーミアは自信満々に言った。
その当て字だと『楽しくない』とか『楽しめない』とか、そういう意味にとられないのだけれど、ただの嫌がらせにしか見えないのだけれど、しかし、その様子から鑑みるに、ルーミアは至って真面目にその名前を考案したようだった。
そういう意味にとられることを重々理解したうえで『カッコいい』と言っているようだった。
むしろ『反骨精神溢れるこのネーミングセンスを褒めてもいいのよ?』とか思っていそうだ。
「僕に、名前……?」
ゾンビは珍しく少し動揺しているようだった。
ルーミアはくてん、と首を傾げる。
「気に入らなかった?」
と言ってみたものの『行動的ゾンビ』たる彼に、気にいる、気に入らないなんて区別があるとか、ルーミアは思ってもいない。
実際彼は、首を横に振ってから笑った。
なんだかとっても嬉しそうに。
宝物を手に入れた子供のように、笑った。
「ううん、気にいった」
「そう」
人間味溢れる、ゾンビらしからぬ笑顔に驚きつつも、自分のセンスが認められて上機嫌なルーミアは、微笑みながら再び左手を彼の前に出す。
「じゃあ、そろそろ行きましょう。不楽」
「うん、ルーミアさん」
差し出された小さな手を『不楽』はしっかりと握った。
お互いの存在を確認しあうように。
離れないように。
しっかりと。
《ヴぁんぷちゃんとゾンビくん――恋愛関係。良好(?)》




