『 』は悩み迷って探して考える。
『フランケンシュタインの化物』は苦悩していた。
生まれた時から既に死んでいる彼は、ヴィクター・フランケンシュタインによって強靭な肉体と類まれなる知性を与えられたが、バラバラの死体を継ぎ接ぎ合わせて創られたせいか、その見た目は醜悪の一言に尽きた。
それゆえに創造主に見捨てられ、彼が死体から創られたという事実さえ知らない社会にさえ、拒絶された。
狂気を孕んだ実験の末に誕生した彼は、始めから孤独だった。
生命の謎を解き明かして、自在に操ろうという、狂い狂った計画の完成品である彼は、つまり、『創る』事が目的だった彼は――誕生した時点で、既に終わっていた。
誕生してから何かをしないといけないわけでなく。
醜悪な見た目のせいで誰も近寄ってこない。
無価値と孤独に苛まれた彼は、与えられてしまった知性で、苦悩していた。
自分の存在価値について。
自己の存在について、苦悩していた。
***
そんな彼をベースに創られた『 』は悩んでいた。
苦しんではいないけど、悩んではいた。
自分の存在価値について、悩んでいた。
とはいえ、彼には『フランケンシュタインの化物』と違い、創ることが目的ではなく、目的のために創られた存在であり、自分の存在価値というのはつまり、その目的を達成することで、別に悩む必要なんてなかったのだが。
「……」
『 』が初めてその違和感に気づいたのは自分が着せられている服についている名札を見た時だった。
『ゾンビ』
同時期に創られたゴーレムと違い、感性はなくとも知性はあった彼は、金属の板に彫られたこれに何かしらの意味があるらしい、という事は分かったから、創造主にそれを尋ねてみた。
「その名札の意味?」
創造主はいつも通り、様々な異形が浮いている円柱型の水槽に囲まれた所にある机に座っていて、なんだかよく分からない液状の薬が入ったフラスコを眺めながら――それに映っている『 』を一瞥してから答えた。
「お前らを見分けるためにあるんだよ」
人形遣いである彼は、基本的に人型の『なにか』しか創ることはなく、それゆえに時折どれがどれだか分からなくなる事があるらしい。それを防ぐためにネームプレートをつけたらしい。
創っておきながら見分けがつかないなんて一体どんな了見かと思ったが、どうやらこの人形遣いには最終目標があり、それを『創る』ために何百もの人型の『なにか』を創っているらしい。
ネーム。名前。
ということは、この『ゾンビ』というのは自分の個人名称なのかと尋ねると創造主は。
「いや、死体から創った奴はとりあえずゾンビって区別しているだけだ」
と返してきた。
つまるところ、これは自分の名前ではないらしいと『ゾンビ』は思った。
「あーあ、これはまた今回も失敗かな。どうしたら出来るのかね。人間」
***
『ゾンビ』と『ゴーレム』は極東の島国に送られた。
自分たちを創るよう人形遣いに注文した男がそこにいるらしいからだ。
男の住むマンションの部屋で、ゾンビとゴーレムはゾンビが渡した手紙を読み耽る男の前で並んで立っている。
「なになに『注文通りフランケンシュタインの化物をベースに創ったけど、ジャンル的にはゾンビだから死体しか食わないから気をつけろ』か。全く、相変わらず腕はいいが、よく分からないところで凝り性なやつだ」
手紙を読みながら独りごちる男は土御門と言う。
いや、土御門というのは日本の退魔師一族の総称であるから『彼』を表現するなら『接道』の方が正しいか。
接道は手紙を読み終えると目の前にあるテーブルに置いた。
椅子を回転させて、接道は後ろで待機しているゾンビとゴーレムの方を向いた。
「なあ『化物』」
「……なんですか?」
最初、その『化物』というのは自分ではなく、隣にいる自分より『化物』らしい見た目をしているゴーレムなのかと思っていたゾンビだったが、どうやら自分に話しかけているらしいという事に気づくと、返事をした。
「お前には感性とか感覚がないというのは本当なんだろうな?」
「うーん……」
ゾンビは――『化物』は少し悩む仕草を見せてから。
「そんなの、人間に尻尾の使い心地を尋ねるようなものだよ」
「……つまり?」
「初めからないものについて尋ねられても、困る」
「……まあ、あいつが注文以上のことをしても、以下の事をすることはないか」
「それよりも一ついいですか」
「なんだ?」
『化物』が質問してきた事に少し驚いた表情をみせる接道にしかし、それを気にも留めず『化物』は続ける。
「その『化物』というのは、僕の名前ですか?」
「はあ?」
接道は馬鹿を見るような眼のまま、眉をひそめる。
「そんな名前の奴がいるか。普通の神経をしているやつならもっとマシな名前を考える」
「じゃあ」
じゃあ、と『化物』は尋ねる。
「僕はなんですか?」
「お前に名前はない。名前をつけた所で、なにかある訳でもないしな」
『化物』の質問に鬱陶しそうに返した接道は『化物』の隣にいるゴーレムの方を見やった。
ゴーレムは微動だにもせずに立っている。
それを確認してから接道は再び『化物』を見る。
「さて、そろそろ本題にはいるとしよう。別に俺はお前らとこうして話すためにあのいけすかない男に連絡をとった訳じゃあないからな」
それは分かっていた。
もし本当に話し相手が欲しいのなら、こんな人形じゃなくて人間を相手に探すだろう。
意識のない人形を二つ。
それを頼むということはつまり、それが必要だということだろう。
「今回の仕事、吸血鬼退治のためにお前らを創らせた」
***
吸血鬼退治。
吸血鬼とは、読んで字の如く、血を吸う鬼のこと。
いや別に、吸血鬼は頭から角は生えていないし、虎柄のパンツを履いていないし、金棒だって持っていない。
ならどうして吸血『鬼』なのかと言えば、日本では『よくないもの』を『鬼』と表現するかららしい。
血を吸うよくないもの。
血を吸うよいものなんてものが果たして存在するかどうかは謎だけれども、なるほど確かに言い得て妙ではある。
――ゾンビの漢字表記は確か食屍鬼だったかな。
――屍を食べるよくないもの。
それはすなわち、『屍を食べるよくないもの』の総称なのであって、やはり、『 』を指す言葉ではないという事なのだろう。
そんな事を考えながら、吸血鬼の被害が確認されている、ネオンきらびやかな大通りから少し外れた所にある薄暗くて人通りの少ない、いかにも何か出てきそうな道を、『化物』は歩いていた。
ゾンビは歩いていた。死体は歩いていた。人形は歩いていた。人型は歩いていた。
彼を表現する言葉は幾つもあるけれど、彼だけを表現する言葉は見つからない。
自分がない彼は、片手にビニール袋を持って、吸血鬼が現れるのを待っていた。
彼が接道に任された仕事は吸血鬼の住処を探すことだった。
今のところ吸血鬼の情報はいやというほど少なく、集めようにも吸血鬼を見た目撃者は全員が全員魅了にかかっていて、吸血鬼に不利になる情報を話そうとしてくれない。
特性を利用した情報の隠れ蓑。
残されるは『人が消えた』という情報と血を吸われた死体だけ。
なるほど確かに、この情報社会で隠れ続けれるのも納得できるし、彼が創られたのも頷ける。
意思のない彼には、魅了といった人心掌握の術は通用しない。なんせ掴む心がないのだから。
――とはいえ。
『化物』は持っているビニール袋に視線を落とす。
その袋の中には先ほど退治して食したサテュロスの生首がはいっている。
まだ死にたてだからか、ビニール越しで触れても生温かくて、中にたっぷりとつまっている『血液』の臭いが周囲に漂う。
もし仮にここら辺りに吸血鬼が潜んでいるとすれば、無意識のうちにここにやってくるだろう。
――相手は吸血鬼。そう簡単に姿を見せないだろうね。
そう『化物』は考えていたのだが……。
「こんばんは」
彼女は割りとあっさりと、姿を現した。
実はここ数日ろくに食事をとっていなくて腹がペコペコだったのを知らなかった『化物』は少しばかり驚いた。
彼の目の前に現れたのは、白磁のような柔肌の小さな女の子だった。
月光に反射して妖しく輝く銀色の髪にルビーのような赤い瞳。
フリルがふんだんにあしらわれた、常闇に紛れてしまいそうなぐらい真っ黒なドレスを着込んでいる。
まるでお人形のような彼女は、少し驚いている『化物』に向けて無垢な笑顔を向ける。
人を惹きつけるには充分なとても可愛らしい笑みだった。
――これが魅了ってやつなのかな。
至って冷静に分析をしながら、彼はスカートの両端を指をつまんで扇状に広げながら少しだけ頭を下げている彼女を見る。
「私はルーミア」
彼女はそう名乗った。
吸血鬼ではなく、自分の名前を名乗った。
少しだけ、『化物』は羨ましく思った。
その後、空腹だったルーミアに首筋を噛まれたりしたのだが、死んでいるから心臓が動いていない『化物』の血管には血液が流れておらず、ルーミアは混乱の極みに陥っているようだった。
噛まれ続けるのも困るし、さっさと血液が流れていない理由を明かそう。そう考えた彼は一瞬思考してから、こう名乗った。
「僕はね、ゾンビなんだ」
自分の名前ではないそれを、名乗った。
***
分かったことがある。
『ルーミア・セルヴィアソン』という名前らしいこの少女は、見た目相応に子供だ。
妙にプライドが高くて、妙に負けず嫌いで、自信家で、失敗を認めたがらない。
その癖追い込まれるとわんわん泣きだすし、けどご飯をあげるとけろっと泣きやんで、でも自分が子供扱いされていることに気づくと激昂する。
感情を感情として、感性を感性として、気持ちを気持ちとして――『楽しい』を『楽しい』としてしか表現できない、感情豊かな女の子だった。
『楽しい』を表現できないというか、そもそも『楽しい』が分からない自分とは、明らかに間逆な存在だと、ゾンビは思った。
「じゃあ送っていくよ」
自分の目的は『吸血鬼』の住処を特定すること。
ゾンビは激昂しきって疲れ切っている所を見計らって彼女に提案した。
心底疲れていたルーミアは特に警戒することなくそれを了承した。
それから二人は人通りの少ない道を並んで歩いた。
「……誰にも言わないでよね」
地面に視線を落としながら、ルーミアはか細い、絞り出したような声で言った。
あまりにも小さすぎて一瞬、話しかけられている事にさえ気づいていなかったゾンビは。
「なにを?」
と、首を傾げながら尋ねた。
するとルーミアはプルプル体を震わせたかと思うと、泣いた後だからか少し腫れぼったくなっているルビーの瞳でゾンビを睨む。
自身を唇を噛みしめながら、ルーミアは言った。
「……わ、私が泣いたことよ」
本当に、妙にプライドが高い子だ。
ゾンビはくまの目立つ眼を細める。
「言わないよ」
「本当でしょうね?」
ゾンビはゆっくりと頷く。
ルーミアはそれが信用できないようで、ゾンビを睨み続ける。
ここまで感情的だとむしろ清々しい。
自分とはあまりにも対極的な存在。
むー、と唇を噛みしめながら睨んでいたルーミアはしかし、少し疲れたようで睨むのをやめて再び歩きだした。
それについていく形でゾンビも歩きだしたのだが。
「そういえば」
不意に、思いだしたようにルーミアは首だけ動かして後ろを歩いているゾンビを見た。
なんだろうか、とゾンビが考えるよりもはやく、ルーミアの口は動いた。
「あなた、名前はなんて言うの?」
たったそれだけ。
名前を聞いていなかった相手に、なんとなく名前を尋ねただけ。
それだけなのに、ゾンビは思わず信じられない。と思ってしまった。
なんせ、創られてからこれまで、『名前』を尋ねたことはあっても、尋ねられた事が一度としてなかったからだ。
創造主である人形遣いは『ゾンビ』と区分していただけだったし。
接道は鍬に名前をつける農家がいないように、彼の名前には興味を示さなかった。
我思う故に我あり。
自分がここに存在していることは誰よりも自分が知っている。
とは言うけれど、誰かが見ていないのに、そこに自分が存在していることを、一体誰が証明してくれる?
存在の証明。
僕はここにいるという意見。
君はそこにいるという答え。
中身の見えない箱の中を、誰もが証明することが出来ないように。
ドーナッツの穴が周りの生地がないと存在できないように。
万物は誰かが証明してくれないと、存在することが出来ない。
ルーミア・セルヴィアソンがルーミア・セルヴィアソンとして見られるように。
土御門接道が土御門接道として見られるように。
『 』は『 』であると、見られたことがなかった。
誰かに証明されたことが、『 』に彼がいると証明されたことが、一度としてなかった。
地に足浮いていない、ふわふわとした存在。
そんな彼に、ルーミアは名前を尋ねた。
彼を彼として見ながら、ルーミアは話しかけた。
「名前……?」
「そう、名前。私だけ名乗っているのもなんだか癪だし」
その時『 』はなんて答えただろうか。
確か、生きていた時はあったと思うけれど、今は思いだすことが出来ないんだと、そう返したと記憶している。
間違ってはいないはずだ。
身体の部位となっている死体には、生前、確かに名前があったはずだから。
『 』のものではない、他の名前が。
ともかく。
とにかく。
『 』がルーミアを意識し始めたのはきっと、これが最初だろう。
きっと彼女ならば、自分の悩みを解決してくれるだろうと。
それから『 』はルーミアを助けようと思い至った。
吸血鬼を退治するために創られた『 』は、その命令を遵守しつつ、ルーミアを助けようとした。
行動的ゾンビらしく、矛盾しかないそれを、実行可能だと判断したから、実行することにした。
果たして。
その行動はルーミアを想っての行動だったのだろうか。
否、断じて否。
感性のない彼に、そんな感情的な行動理由なんてあるはずがない。
仮に、途中からそんな理由で動いていたとしても、その気持ちは、本人が自身の手で摘み取ってしまったのだから。
初めから持っていないものに、本物と偽物の区別がつかない。
迷い悩んで探して考える『 』は結局、求めていたそれを、その手で握りしめることが出来なかった。




