ヴぁんぷちゃんは盲目になっていた。
フランケンシュタイン。
小説『フランケンシュタイン あるいは現代のプロメテウス』に登場する青年である。
フルネームはヴィクター・フランケンシュタイン。
マッドサイエンティストの原型とされる彼の一番にして唯一の、狂気をはらんだ実験といえば、やはり『化物』の作成だろう。
作中では一貫して『化物』と呼ばれ、優れた体力と人間の心、それと知性を持った死体。
名無しの化物。
ヴィクター・フランケンシュタインは、自ら墓を暴き人間の死体を手に入れ、それをつなぎ合わせることで11月のわびしい夜に怪物の創造に成功した。
すなわち『フランケンシュタインの化物』は、祭祀的でも細菌的でもない、実に科学的なゾンビなのだ。
――造られたのではなく、創られた。
――バラバラになった体を繋ぎ合わせたんじゃなくて、バラバラの体を繋ぎ合わせた。
――血は流れていないんじゃなくて、流していない。
――ゾンビになる前を思い出せるはずがない。だって、初めからそんなものはなかったのだから。
――生まれた時から死体だったのだから。
傀儡であり、傀儡であり、操り人形に過ぎないゾンビ。
ならば、操る主がいると考えるのも当然の帰結のはずだ。
体は動かなくとも、妙に冴えている頭でルーミアは考えながら、桜色の唇を白い牙でかみしめる。つうー、と唇から赤い血が流れる。
ゾンビにはない、赤い血が流れる。
失敗した。失策した。失念していた。
魅了がかからなくて、血も吸えない。
自分より腕力があって、心を惑わすことのできない、どう考えたって自分の天敵でしかないような存在で、実際、天敵だと認知していたはずなのに――追い払おうとせずに、むしろ近づいてしまった。
――どうして?
――負けることはないという絶対的自信?
――死なないことからの油断?
――上位互換としての驕り?
――違う、全部違う。
――私はただ目を瞑っていただけだ。叶うはずのない夢が叶うのではないかと、そんな風に浮ついて、私は、盲目になっていただけだ。
「さて、ここで弱っているお前を見続けるのも一興だが、こっちは仕事だからな。早いに越した事はない」
男、土御門接道は倒れているルーミアの前から離れる。
それが合図であったかのように、外にいたゾンビが――『化物』が、部屋の中に侵入してくる。
ゾンビと違って、縛りのない『化物』はあっさりと部屋に入ってくる。
よく見てみると。
いつもと変わらないと思っていた『化物』だったが、右手がいつもと違っていた。
さながらロボットのジョイントパーツのように、そこだけ別の物に挿げ替えられていた。
ルーミアはそれを見て身震いをする。
不死の夜の帝王である吸血鬼には、その強さに見合うだけの弱点もある。
その中の一つ。
日光と同じぐらい手っ取り早い弱点。
吸血鬼が苦手とする金属――銀。
腕の形を模したそれが右腕の代わりに挿げ替えられていた。
『化物』はゆっくりと歩く。
とてもとても狭い部屋の、たった二、三歩だけの事なのに、ルーミアにはそれがとてもとても長く感じた。
『化物』はルーミアの前に立つ。
ルーミアはまだ信じられないという風に、顔を歪めていた。
それを気にも留めず、『化物』は銀の腕を振り上げ、振るった。
床を手の甲で削るような大振り。
ゴーレムの巨腕も受け止められるような力が、銀を伴って風を裂きながら迫ってくる。
ルーミアは咄嗟に、全身に微かに残っていた力を振り絞って腕を伸ばす。
それとほぼ同時に、『化物』の拳はルーミアの腹に突き刺さるように直撃した。
「か……っ!?」
肺の中にある空気を全て吐き出しながら、空気が漏れる音を口から漏らす。腹の奥から何かがせり上がってきて、口の中に溢れ出す。
口内を蹂躙して内容量を超えた赤い血は、口元からたらりと垂れた。
銀によって殴られた腹は、さながら虫メガネで集めた太陽光に焼かれる黒紙のように、触れた場所から焼けていく。
腹からせり上がってくる痛みにルーミアは思わず絶叫する。
喉が焼けるぐらい、絶叫する。
しかし、『化物』の攻撃はそれだけで留まらない。
抉るような上げ突きは、焼き爛れているルーミアの腹に喰い込み、そのまま彼女の矮躯を掬い上げた。
掬い上げて――弾き飛ばした。
さながら、アンダースローでボールを投げるように、ルーミアの体を、窓に向けて、投げた。
「まずっ……!」
口から血を吐きながらルーミアは焦りを見せたが、現在空中にいる彼女はどうすることも出来ず、どうしようもなく、窓に激突して――勢いを殺しきれず窓を突き破った。
外は――明るかった。
忌々しい太陽は、眼前で明るく世界を照らしている。
今度は、悲鳴をあげるひまもなかった。
***
「……どうして外に放った」
「え?」
パラパラと窓ガラスの破片が床に落ちる。
それを見ながら振り上げた銀の腕をゆっくりと降ろす『化物』に接道は尋ねた。
『化物』は腕を降ろしきってから振り向く。
「だって吸血鬼だよ?」
太陽の下に降ろしたら終わりだよ。
『化物』はあっさりと、そう言った。
吸血鬼を殺すために右腕を『銀』に交換しておきながら、それに執着することなく、一番確実な方法を選んだ『化物』は言う。
意識のある人間は銃を持つとそれを使用する事に固執するらしいが、『化物』は必要とあればあっさりと捨てる。
そういう風に創られていると聞いていたけれど、確かに固執も執着もなく、最短最適に吸血鬼を仕留めようとしているそれは、なるほど確かに、こいつは哲学的ゾンビだ。
――いや、血がないという分かりやすい違いがあるのだから、行動的ゾンビか。
それゆえに気になる。
だからこそ考えてしまう。
『化物』が必要以上に吸血鬼と接触していた事実に。
結果的に吸血鬼を弱らせることが出来たものの、接道はそこまでの接触を命令していない。
出来の良すぎるアンドロイドらしからぬ勝手な行動。
それが接道には気がかりだった。
食道に刺さった魚の小骨程度には。
――まあ、考え過ぎなのだろうが。
接道の視界の中では『化物』が落ちている窓ガラスを踏み砕きながら、窓の下を覗き込んでいた。
恐らくその先では太陽の光に晒された吸血鬼がキャンプファイヤーの如く燃え盛って、灰も残らず燃え尽きていることだろう。
接道はそう考えていたのだが、どうも『化物』の様子がおかしい。
不審に思った接道は足元に散らばる窓ガラスの破片を音をたてて割りながら窓に近寄ると、窓枠に手を置いて下を覗き見る。
ルーミアの住むボロアパートと『化物』の住んでいる――というよりは少し前まで接道が住んでいた(勘づかれると不味いから離れた)マンションの間にある少し広めの道には、正午ということもあってか、真上から日光が降り注いでいて影一つない。吸血鬼を焼き殺すにはもってこいの場所だ。
そんな道の真ん中に、黒い球が落ちていた。
人ぐらいの大きさの、さながら『おはぎ』のような楕円が落ちている。
その楕円の物から、赤い瞳が二人を睨んでいた。
「へえ、カーテンに包まって日光を遮ったんだ」
『化物』の言う通り、窓から入ってくる日光を遮るために閉じられていた厚手のカーテンが無くなっていた。
カーテンに包まることでどうにか事なきを得たらしい吸血鬼は、それでもギリギリだったようで、包まれた体を上下に動かしながら、二人を赤い瞳で睨む。
睨んでいる。
睨んではいるが。
どこかまだ、混乱しているようだった。
動揺しているようだった。
対して。
特に混乱してもいないし動揺もしていない『化物』はその赤い瞳を見つめ返す。
意識なき死体は、その瞳に惑わされない。
「いいのか、あのままだと逃げられるぞ」
「大丈夫だよ。日向にいられない彼女はまず日陰に避難しようとするだろうから、彼女、日陰者だからね」
「……」
ボケたつもりだろうか。
そんな意味のないことをするような奴じゃないし――そもそも出来ない奴だし、偶然だとは思うが。
「日陰。けどまさか、屋根の下とかに隠れて事なきを得たと考えるような軽率な性格はしていない彼女はきっと、部屋の中に逃げるだろうね」
だけど、と『化物』は続ける。
「彼女は室内に入るためにはまず一度招かれないといけない。となると、彼女は出来るだけ近くにある、一度招かれた場所に逃げ込むはずだよ」
『化物』の予想通り、ルーミアは身を翻して、『化物』が住んでいるマンションの中に逃げ込んだ。
「ね」
「お前が家で待っていたのは吸血鬼だったのか」
「そうだよ」
言いながら、『化物』は窓のさんに足をかけたと思うと、そのまま飛び降りた。
二階ほどの高さだからか、落下の衝撃はそれほどなく、膝を少しだけ曲げてアスファルトの地面に着地した『化物』は、マンションの入り口を見据える。
「日光から逃げるためとはいえ、むしろ閉じ込められることになっちゃったね。ルーミアさん」
『化物』はゆっくりとマンションに歩を進めた。




