3
白金の髪は毛先を巻かれ、ハーフアップにされた後、よく分からない紐やら宝石やらで可愛らしく仕上げられた。ドレスを着せられる前に、胸を寄せ、腰を締め付けるコルセットが用意されていたのだが、苦しすぎて死ぬと訴え、今日のところはコルセットなしで許されている。
着替えを済ませたフィルートは、――女性はあんな拷問を受けてまで美しくあろうとするのか……と、しばらく呆然とした。
乳白色の清楚なドレスは、深い襟ぐり周りと、七分丈の袖口、床にだらだらと流れる裾にふんだんにレースが使われていた。アテナ王国では、レースは高級品だ。幾重にもレースを重ねたこんなドレスは見た覚えが無い。
薄く化粧を施され、鏡の前に佇んだ自分を見て、フィルートは口をつぐんだ。
――僕はこんな現実は受け入れない……。
白い肌、大きな青い瞳は、まつ毛をカールされ、更に大きく見える。目の縁にラインを引かれると、艶のある眼差しになった。そして光を反射する、潤いある唇。地の色を引き立てるように、うっすらとひかれた桃色のそれは、まるで果実のようだ。
細い首回りに真珠のネックレスが三重に重なり、レースで覆われた胸元は、見事な谷間ができている。華奢な肩からすらりと細い腕が伸び、腰はきゅっとくびれ、そこからふわりとスカートがひろがる。鏡の中には、まるで人形のように愛らしい美少女がいた。
侍女は、仕上がりに満足したのか、にっこりとフィルートを促した。
「では、お疲れでしょうから、あちらのお部屋でおくつろぎください」
「……はい……」
フィルートはすごすごと、侍女に従った。
寝室の南側に衣裳部屋があり、北側にはソファと執務机を揃えた応接間があった。侍女はこの応接間にフィルートを案内した。
フィルートにつけられた侍女は二名。二人とも妙に力が強く、ドレスを着せられそうになって逃げだそうとした時、なんとあっさり捕まえられてしまった。
魔力の片りんさえ感じなかったので、腕力そのもので負けたと言うことだ。
一人の侍女は、音もなく部屋から出て行った。
分厚いクッションが敷き詰められたソファの端っこに座り、フィルートは自分の体を見る。
華奢な二の腕を掴み、涙ぐんだ。
「僕の筋肉が……」
一生懸命鍛え上げて付けた見事な筋肉は、今や極僅かしか残っていない。白く柔らかな肌の下にある筋肉が如何ほどかと、力拳を作ってみたが、筋肉とさえ言えないささやかな膨らみしかできなかった。
――絶望だ……。
アヴァンの闇魔法をかけられた時、体が内側から溶かされている感覚があった。あれは文字通り、内側を作り変えていた激痛だったのだろう。
『魔王』を討伐するからには、命を懸けて乗り込んだつもりだったと言うのに、死にもせず、女に姿を変えられた挙句、着飾られている。
フィルートは、ふふ、とちょっと笑ってしまった。
「僕……なにをやっているんだろう……」
自分の存在に疑問を持つのも仕方ない。
フィルートは健全な男子として、女の子とデートし、甘い初キスを体験し(既にアヴァンと済ませている)、その後の目くるめく転回も、いつか可愛い彼女と経験したいと夢見ていた。しかし現状、男としての願望を叶えるより前に、女として貞操の危機に晒されているのだ。
「……死にたい……」
フィルートは、暗澹と呟いた。
侍女が、そっと目の前に薫り高い紅茶を差し出す。
――良い匂いだな。
絶望に浸ろうと思っていたが、茶の匂いが良いので、とりあえず茶を飲んでから落ち込もう。
貴族の子息として育てられたフィルートの指先は、優雅に茶を取って口元まで運んだ。フィルートをつぶさに観察していた侍女は、ほっと息を吐く。
その紅茶は、初めて飲むお茶だった。ふわりと花の香りがした後に、馴染みのある茶葉の香りが残り、舌にじわりと甘みが広がる。
「美味しいな……。これは何の茶葉かな?」
自分の侍女に話しかけるのと同じように顔を向けると、白髪をきっちりと結い上げた赤い瞳の少女が、ほんわりと笑った。
「それはテュナの花を混ぜた紅茶です。デュナル王国の特産品の一つでして、気分を落ち着ける、速攻成分を含んでおります。ほんの少し、催眠作用もありますので、通常は就寝前にお勧めしておりますが、陛下のご指示に従い、そちらをお入れいたしました」
「陛下……?」
茶のおかげか、鬱々としていたフィルートの気分は、すとんと平静になっていた。
陛下がいったい誰なのか分からない顔をしたフィルートのために、侍女は嫌な顔一つせず、応じる。
「アヴァン国王陛下でございます」
「……え、あ……ああ……そっか」
――あいつって、国王だったのか。
考えるまでもなく、デュナル王国の王を『魔王』と呼んでいたのだった。
どうしても『魔王』は悪の親玉で、そこに国家が付随していると考えられていなかった。
よくよく考えると、この侍女は、デュナル王国民の一人だ。国王を殺しに来たフィルートのことを、どう思っているのだろう。
「あの……僕の事……」
尋ねようとしたが、どう質問すれば良いのか分からなかった。
――僕の事、殺人未遂犯とか聞いていますか?と尋ねるのもおかしいし、国王を殺しに来て返り討ちに合った挙句、女体化された馬鹿な男と聞いていますか?と聞くのは自分が可哀想すぎる。
侍女は、フィルートの気持ちを汲んでくれた。
「フィリア様につきましては、陛下の正妃様として既に内定されている、サヴァエラ伯爵家ご令嬢とお伺いしております。長く不仲であった、アテナ王国の方とご結婚されるとお伺いし、臣下一同、心より喜ばしく思っております。フィリア様とのご結婚を機に、アテナ王国の皆様も、デュナル王国について、ご理解を示していただけるようになれば、と少し期待しております」
「え……」
――僕が元男ってところは無視ですか?
と聞き返そうとしたところ、部屋の扉がノックされた。侍女は頭を下げて、扉へ向かう。ソファの斜め向こうにあった扉がゆったりと開くと、数時間前に分かれた『魔王』――アヴァンが部屋に入って来た。さっき出て行った侍女が、呼んだらしい。
アヴァンはびしり、と固まったフィルートを目に止めるなり、上から下まで舐めるように見回す。
体中を触られているような錯覚を覚え、フィルートは自分で自分を抱きしめた。
「やめろ! 僕を変な目で見るな!」
アヴァンはにや、と笑い、こちらに大股で歩いてくる。
「わあああ! 来るなよお!」
「言葉遣いがなっていないな、フィリア。王妃となる自覚が足りないぞ」
ソファの隅っこに縮こまったところで、アヴァンから逃げられるはずが無かった。アヴァンは愉快そうに笑いながら、フィルートの隣に座った――と見せかけて、上半身に腕を回し、伸し掛かって来た。
今にも触れそうな距離に、『魔王』の顔が迫り、フィルートの目尻にちょっぴり涙が滲んだ。
体を密着させたアヴァンが、ふと視線を胸に落とした。
「やっ、やめろ……! 僕に触る……っにゃあああああ!」
そして、むんずと胸を掴んだ。最後の声が変になった。
起き抜けに胸を揉みしだかれた記憶が蘇る。
あんな顔は、もう二度とこいつに見せたくない――!
アヴァンは真顔で胸を揉む。
「なんだ、下着を付けていないのか?」
侍女が視線を落として、部屋から退室しようとした。
「やあああ! 待ってえええ! 僕を一人にしないで!」
もはや男としてのプライドは投げ捨てた。こいつと二人きりにされて、貞操を奪われては敵わない。
侍女は涙ながらのフィルートの訴えを聞き、眉を上げて見返した。どうしたら良いのか判断に迷っている。
アヴァンが侍女を流し見た。
「気にするな。フィリアは極度の恥かしがり屋でな。嫌がるふりをして、喜んでいるんだ」
「僕はそんな変人じゃない! 離せっこの魔王やろ……っひゃん!」
嘘八百を並べるアヴァンの頭を殴ろうとした腕は、軽くあしらわれ、更に布越しに乳首を摘ままれた。
高い声を聞いた侍女は、ほんのり頬を染めてお辞儀をした。
「ああ! 違うんだよ! 下がらないで……!」
今度はフィルートの声は、彼女を引き留められなかった。アヴァンがこれ見よがしに首筋に顔を埋めたからだ。抵抗を示している片腕は、すんなりとソファの背もたれに縫い付けられ、もう一方の腕は、アヴァンの体に押さえつけられて意味をなしていない。
以前ならもっと力が入っていたはずなのに、と極端な腕力低下に、文句があふれ出た。
「お前なああ! どれだけ僕の筋肉、溶かしやがったんだよ!」
「普通の女に劣るくらいに」
「!」
じわ、と涙が滲んだ。
――酷い!
フィルートは感情のまま声を上げた。
「僕は、一生懸命、頑張って筋肉を付けて来たんだぞ! 元々筋肉が付きにくい体質だったから、鶏肉とか好きでもないのに食べまくって、やっといい体になったのに! 僕の努力を一瞬で溶かしやがって、馬鹿! あほ! 死ね、魔王!」
アヴァンは少し体を離し、半泣きで罵るフィルートを見おろす。
いつの間にか、アヴァンは鎖骨と胸の間に、赤いキスマークを付けていた。
「てめえ! キスマークなんかつけやがって! 僕の肌を汚すんじゃねえ!」
「……どんどん言葉遣いが悪くなるな……」
熱い吐息が唇に触れた、と気付いた時には、またもやアヴァンによって口を塞がれていた。
「んんー!」
――勝手にキスするな!
目を見開いて抗議すると、深紅の瞳がひたとフィルートの青い瞳を射抜いた。びく、と肩が跳ねる。生暖かい舌が、再び口内を蹂躙し始めた。
「やめ……んぅっ!」
ぬる、とアヴァンの舌が、フィルートのそれを絡め取り、裏側を舐め上げ、唾液を絡め合わせる水音を立てた。ぬるぬると舌を絡め合わせ、上あごを舐め上げ、快楽をより濃くするためか、顎を押さえていない片手が、耳朶をくすぐる。
「は……っん!」
アヴァンの赤い瞳を睨み据えていた、フィルートの青い瞳が涙で潤むのは、直ぐだった。快楽に染まった瞳がとろん、と蕩け、耳裏を撫でられるとくすぐったくて、甘えたような声が漏れた。
「んん……っ」
――なんでキス位で、こんなになるんだよ……!
唇を開放されたころには、フィルートは息も絶え絶えに、ぐったりとソファに凭れかかっていた。
濡れたフィルートの唇を、舌先で舐めとったアヴァンは、くつ、と喉で笑う。
「元・男だからか……?快楽に弱いな」
――そんなの関係あるのか?
フィルートはぷいと視線をそらした。
「その元男にキスするような変態に言われたくない。……というか、魔法で女体化したって、魔法が切れれば元に戻るだろ」
筋肉が無くなって嘆いてみたものの、よくよく考えれば、魔法は有限だ。魔力の効力期間というものはあり、術者の能力によってその時間に差はあれど、何十年も持つようなものではない。
アヴァンは首筋に垂れた白金の髪を指先で摘まんだ。するりと毛先まで指を滑らせ、その感触に満足したような笑みをはいた。
「……残念だったな。お前の体は元には戻らない」
「嘘つくなよ、変態」
フィルートは疑いの眼差しを向けた。この『魔王』は嘘つきだ。朝の時点で実証済みなので、そんな世迷言は信じてやる気にもならない。
変態と言われたアヴァンは、片眉を下げ苦笑する。
「嘘ではない。良く思い出せ。俺はお前に二度魔法をかけた」
「……あ?」
フィルートは負けた瞬間を思い出した。
チェックメイトだとか言って、剣を額に突き付けられた。剣から黒い針のようなものが頭に刺さって、体の中が溶けた。――そして、キスされた後に、背中から心臓を闇魔法で貫かれ、全身に魔力が注がれた。
確かに二回、魔法にかけられている。闇魔法について知識の無いフィルートは眉根を寄せた。
「それがなんだよ?」
アヴァンは、嘆息する。――なんだよ、その呆れてものも言えない、みたいな顔は!
「一度目の魔法は、お前の体の転変。そして二回目の魔法は、その形を永遠に留める魔法だ」
「…………そんなの無理だ」
ちょっぴり不安になったので、否定する声は勢いがなかった。
じと、と睨むと、アヴァンは首を振って視線を逸らす。――あ、なんだその顔。可哀想、見たいな顔するんじゃねえ!
「二度目の魔法は、俺の魔力をお前の全身に満たすまで注ぎ込んだ。これは、お前の光の力を闇の力に転換する作業だ。お前の中から一切の光の力を奪い、闇のそれに染め上げた。だからお前の体に宿る力はもはや闇の魔力であり、もう光魔法を使えていた元の体は、この世に無い。現存するお前の体は、『力を注がれた時点の形を記憶した、闇の魔力』に支配されているから、形を変えることも叶わん」
――難しい、なんて言わないからな!
赤い目がほんの少し苛ついた色になった。
「まあ、この俺を殺しに来たんだ。死ぬ覚悟くらい、持ち合わせていたのだろう?」
「当然だ!」
ここは勢い良く応えねばならない。男たるもの、命を懸けて使命を全うする所存だ。
アヴァンはこくりと頷いた。
「だから、お前は死んだんだよ、フィルート。光魔法使いの少年は、二日前の戦いで俺に殺され、この世から消えた。今俺に組み敷かれているお前は、その体に俺の力を満たした、生まれたばかりの、可愛い闇魔法使いだ」
――可愛いとか余計な形容詞を入れるなよ……。しかも僕、二日も寝ていたのか……。
フィルートは自分の手を見る。実は、違和感はあった。光魔法を使って逃れようと思った機会は何度かあった。だがその度、体の中がもぬけの殻のような感覚に襲われ、恐ろしくて魔力を使うまで至っていなかった。
アヴァンは鷹揚に促す。
「試しに何かやって見ろ。生まれたばかりの闇魔法使いが使える魔法など、たかが知れているからな」
「……」
光魔法を使おうと意識を集中しても、何も生まれない。光の力は、体のどこにも感じられなかった。
光の力の変わりに、体の中央に、得体の知れない感覚がある。黒い影のような、重い凝りを感じる。
――闇の力……?
光魔法が使えないなら――闇魔法しか使えないなら――、もう『勇者』としての役目は全うできない。アテナ王国が最も忌み嫌う、闇魔法使いになってしまったということなのだから。
じわ、と涙が滲んだ。
「なんだよ、お前……」
「……」
アヴァンは情けない声を漏らしたフィルートを、無言で見下ろす。フィルートの唇は震えた。
「なんなんだよお前……。……僕が頑張って、手に入れた……全部を……取り上げやがって……」
喉が苦しかった。だがこんな敵の前で、泣くのは悔しかった。
「くっそ……っ!」
フィルートは唇をぐっと噛みしめる。どんなに意識を集中しても、魔力は手のひらに集まって来なかった。
アヴァンはその掌を優しく掴んだ。悔し涙を浮かべるフィルートを、恍惚とした表情で見下ろしながら、その細い指先に口付ける。
「お前の泣きそうな顔は、最高にそそるな……フィルート……」
「うう……っ」
――変態め!
漆黒の魔法使い――アヴァンは、その瞳を冷たくして、口角を上げた。
「何度も言っているだろう? この俺を殺そうとした、報いだと――」
「――……っ」
魔王に刃向った咎は――人生そのものがゼロから再スタートするという、過酷極まりないものだった。
――くそおおおお!負けるもんか!