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 余裕のない日程だったにもかかわらず、有能な宰相のおかげで、挙式は予定よりも多くの参列があった。しかも、式当日にアテナ王国宰相から、内々に祝いの文まで届いた。どうやら兄達が何か働きかけをしたらしく、国王は知らないが、宰相以下は国交を開く話に乗り気らしい。

 アテナ王国の親族も問題なく挙式に間に合い、デュナル王国の官僚は当然のように全員出席となった。

 教会が見える西側の塔――『紅の塔』の三階にある控室で、窓辺の椅子に腰かけていたフィルートは、大聖堂の中に入って行く官僚たちを眺めていた。見覚えのある男を見つけ、身を乗り出す。

「あ、ルークだ……」

 投獄されていた王弟――ルークは、国王直々に罰を与え、式当日の参列が許されていた。

 一週間ぶりに見たルークは、無残に痩せこけ、土気色の肌をしている。燦然と輝く勲章付きの漆黒の軍服も、なんだかくすんでいるように見えた。

 ――どんな罰だったんだろう……。

 どんな罰を与えたのか尋ねても、アヴァンは頑として口を割らなかった。ただ、妖しげな笑みと共に──殺さないだけマシだろう? と言われたので、そうですね、と答えておいた。エルゲナが部下達に『今後の婚約者問題が無くなったので、向こう数年は云々』と、話していたのを聞いて、うすら寒い気持ちにはなった。

 実の弟でも、やはり容赦は無いようだ――。恐ろしい男だ……。

 ――でもきっと、僕も他の男に寝取られちゃっていたら、殺されてたんだろうな。

 危なかったな、とフィルートの瞳に、きらりと涙が滲んだ。

 控室の外がざわついた。何だかもめているようだ。

 フィルートのために茶を用意していたラティが、こちらを見てにこりと笑んだ。

「外が騒がしいようですので、少し確認しに……」

『──ですから、我慢してください!』

 ラティの声に被って、聞き覚えのある声が扉越しに響いた。続いて、扉越しでも腰に来る、美声が聞こえる。

『俺の女なんだから、いつ会おうと問題は無いだろうが。邪魔立てをするな』

「…………」

 フィルートは、ふっと視線を落とした。なぜなら、ラティの物言いたげな瞳が、自分に注がれたからだ。

 そんな目で見ないでくれ――。どんなに目で訴えられても、僕にあいつをどうこうできるはずが無いだろう……?

 珍しく、エルゲナが声を張っている。

『確かに、殿下の姫君ではありますが、儀式にはルールがあるのです! 花婿は教会内で初めて花嫁を見るものなのです……!』

『挙式までに、どこぞの男に浚われたらどうするんだ……!』

 ――この厳重警備の中で、僕を浚うような男は、お前くらいじゃないかな……。

 『紅の塔』は、塔全体に厳戒態勢の警備が配置されていた。三階の控室以外は全室使用禁止、塔周辺に五十名もの警備兵がつき、各階の廊下と階段など、各所に総勢五百名の兵が配置され、非常に鬱陶しい様相を呈しているのだ。そして部屋には、闇魔法使いの出入りができないように、『封視の印』という、覗きと侵入防止の魔法がかけられている。

「……あの、フィリア様。扉越しにでも、お声を掛けて差し上げてはいかがですか……?」

 ラティが気遣わしげな声で、小首を傾げる。だがその目は、何とかしてください、と言っていた。

「…………」

 控室は、重厚な造りのソファセットと、窓辺に丸い机と椅子があるだけの、簡素な部屋だった。フィルートは、ドレスを着るために、部屋の中央に用意された、巨大な鏡に映る自分を見る。

 純白のベール。艶やかな白金の髪は、いつの間にか腰辺りまで伸び、きらきらと光を弾く。アヴァンが贅の限りを尽くして作らせたドレスは、ふんだんにレースと豪奢な刺繍が施され、刺繍の中に本物の宝石が無数に使用されていた。裾は驚くほど長く、人間二人分くらいあるんじゃないか、と思う。

 この日のための化粧を施された顔は、これまで以上に完璧に過ぎた。長い睫、青い瞳、小ぶりな鼻に、潤いある桃色の唇。細い首の下に目を落とせば、綺麗な鎖骨と見事な胸の谷間が瞳を奪うこと請け合いだ。

 そう――アヴァンのために用意された、天使がここに居る。

 フィルートの心に、一抹の不安が過ぎった。

 この姿を今見られると、あの獣に、この場で純潔を奪われるんじゃないかな――?

 うかつにも扉に近づいて、万が一扉が開いたら、逃げ場がない。

 フィルートは鏡から視線を逸らし、窓の外に目を向けた。

「うん……きっと宰相が、なんとかしてくれるよ、ラティ……」

 エルゲナが扉の外で頑張っている。

『誰も浚いません……! それよりも、陛下がフィリア様を見る方が問題なのです……っ』

『夫となる俺が見て、何が問題だ』

『本日のフィリア様には、国一番の腕を持つ化粧師と美容師が付いております。最高の化粧と、最良に仕上げた髪に、最高級の純白のドレスを身に付けた、完全な天使であろうフィリア様を見て、自制できますか……っ?』

『……………………』

 エルゲナの質問に対する、アヴァンの返答は無かった。

 ――おおおおいおいおい、否定しろよ! なんで自制できるって言わないんだよ……!

 エルゲナの溜息まで聞こえた。もう扉のその前にいるらしい。

『ほら、ご自身でも分からないでしょう。式の前に、ドレスが乱れては困るのです!』

 ――ドレス? エルゲナの心配は、僕じゃなくてドレスなの? 僕の貞操はどうでも良いの? 鬼め!

 アヴァンは舌打ちした。

『ドレスを破らなければ、いいんだろうが!』

 フィルートは両手で頬を覆い、真っ青になった。

 ――チガウヨ? ドレスが破れるとか、何言ってるの? 普通、挙式直前にドレスが破れるようなことは、起こらないからね?

 ラティが、小さくため息を零した。

「お化粧が崩れるのも、問題ですのに……。」

 ――そうだね……ってなんで襲われるの前提で言ってるの? 式前にキスとか普通、しないよね? おかしいよ、みんな……!

 エルゲナの声に苛立ちが混じった。

『頑迷な……! 衛兵、今だけ陛下を拘束しなさい!』

『……この俺を拘束するだと――……?』

 扉の外に不穏な気配が漂ったのを、フィルートは敏感に察知した。

 ――さすがに今日は、流血沙汰は駄目だ……!

 血で染まる結婚式を想像したフィルートは、身震いして、慌てて扉の方へ向かった。

 ぱたぱたと扉に駆け寄ると、扉の外の会話が止んだ。どうやら外の二人にも、フィルートがやって来た気配が分かったらしい。フィルートは扉にぴったりと手を付け、声を張ってみる。

「あ、あの……っアヴァン?」

『……フィルート、準備はどうだ?』

 いきなり扉を開けるような暴挙に出られず、ほっと胸を撫で下ろした。アヴァンを落ち着かせるため、フィルートは考え得る最大限の、可愛らしい言葉を選んだ。

「うん、綺麗にしてもらったよ……! あの、ね……っ、僕もアヴァンを見たいとは思うんだけど、ちゃんと儀礼通りにしたいんだ……っ。正式に神様に祝福されて、本当の夫婦になりたいな……!」

 言った後に、フィルートはうんざりと俯く。

 ――……これは、僕じゃない……。

 これでは、自らアヴァンと夫婦になりたいと告白したようなものだ。フィルートは自分で言いながら、精神に強烈なダメージを受けた。

『……っ陛下!』

 ガッとドアノブが揺れ、フィルートは肩を跳ね上げる。あれではまだ足りなかったらしい。ぎりぎりエルゲナが抑えたような気配がしたので、フィルートはもっと可愛くおねだりした。

「えっと、あのアヴァン……! だからね、結婚式まで、もうちょっと待って? 教会で初めて、僕の事見て欲しいんだ……っ。ね、お願い!」

『…………』

 無言だ。怖い。ドアが壊されたりしないかと、フィルートは一歩ドアから後退した。

 反応が無くて怖かったので、フィルートは更に言い募った。

「あ、あの……結婚式と、晩餐会が終わったら、二人で過ごせるだろ……? それにほら、部屋ができたら、これからは毎日一緒に過ごすんだし……、あとちょっとだけ、我慢して?」

 アテナ王国では、夫婦になっても別室で生活するのが普通だが、デュナル王国では、夫婦は同室が当たり前だ、とアヴァンに教えられた。なので、現在『鋼の塔』のアヴァンの部屋とその隣の部屋を改修して、一部屋にしているところだった。

 扉の外で、とてつもなく長い溜息が聞こえた。とん、と向こう側から扉に手が置かれた気配を感じる。

 物憂げな、低い美声が聞こえた。

『そうだな……。騒いですまなかった……教会でお前に会うのを楽しみにしている』

「う、うん!」

 ――やった! 追い払うのに成功したぞ……!

 拳を握って、ラティを振り返ったフィルートの晴れやかな笑顔は、次に聞こえた声に強張った。

『……万が一、式に来なかったら……覚悟しておけよ……』

「…………行くに決まってるよ……」

 この厳重警備の中、どうやって逃げるんだよ――。



 式前に騒動はあったものの、挙式はつつがなく開かれた。

 久しぶりに会った父は、本当に自分の元・息子なのかと、二度見ならぬ、十度見くらいした。父に手を引かれ、開いた扉の中を見たフィルートは、少し眉を上げた。総勢三百名収容の教会は、ほとんどの席が埋まっていた。ほとんど知らない人ばかりだが、デュナル王国の高官達とその関係者なのだろう。

 フィルートの家族と親戚も、教会の最前列辺りにいる。

 そして、バージンロードの中央に立っているアヴァンと視線が絡んだ。いつもとは真逆の、真っ白な衣装に身を包んだ彼は、深紅の瞳を見張り、フィルートを凝視した。その表情が、フィルートの出来栄えに驚き、素直に感動している様子だったので、フィルートは照れくさくなって、はにかんだ。

 さわ、と教会内の空気が乱れた。自覚なく、天使の笑みを振りまいたフィルートに、全員の視線が注がれる。だが、ドレスの長い裾に意識を奪われたフィルートは、全くそれには気付かなかった。

 父から腕を譲られて、アヴァンの腕に掴まると、ほっと息が漏れた。なんとなく、アヴァンに掴まっていれば大丈夫な気がしたのだ。

 そんな自分を見おろし、アヴァンは最高に優しい笑顔を見せた。そしてフィルートにだけ聞こえる声で、囁く。

「綺麗だ……」

「──」

 あまりにも極甘の笑顔と声だったので、一気に頬が染まった。だが、恥ずかしくて俯いた耳に、低い暗澹とした声が聞こえた。

「……私の妖精が…………呪われろ……兄さん…………」

「…………」

 フィルートはアヴァンに手を引かれながら、ちらと新郎側の席に目を向ける。滂沱と涙を流すルークが、ぼそぼそと呪いの言葉を吐いていた。

 アヴァンを見上げる。挙式を上げられる喜びに満ちた、充実した笑みを湛えたアヴァンには、弟の呪いの言葉は届いていないようだった。

 この日、フィルートは正式に神の前で、『魔王』の嫁となることを、誓った――。



 大聖堂の正面にある西門前に、デュナル王国民が大挙して集まっていた。挙式は一般人に公開されないものの、式後は、教会の二階バルコニーから、国王と、王妃となった姫君が顔を見せる予定だった。

 国交のないアテナ王国からの姫とあり、国民全員が不安と期待をない交ぜにして、姫の顔見せを待った。そして式が終わり、姿を現したフィリア姫を目の当たりにした人々は、感嘆と賞賛の後、爆発的な拍手喝さいを上げた。

 明るい太陽の光を受けた白金の髪が神々しく輝く。染み一つない肌に、細く長い眉、青く澄んだ大きな瞳、そして愛らしい唇を綻ばせ、手を振ったフィリア姫は、純白のドレスに身を包んだ天使そのものだった。

 賢君と称えられるデュナル王も、片時も離れたくないと言わんばかりに身を寄せ、愛しい姫を熱く見つめ続ける。


 長く断絶していたデュナル王国と、アテナ王国の国交が開く、第一歩が踏み出された――。



 20時に最終話UPいたします。よろしくお願いいたします。

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