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 大きな掌が目を覆い隠す。ふわり、と甘い香りが全身を包み込んだ。そして耳元で、優しくも甘い、聞き慣れた声が囁いた。

「……大丈夫だ」

「く……っ」

 息が苦しかった。どうしたら良いのか分からず、呻き声しか上げられない。

 耳元で、また甘い声が囁く。

「大丈夫だ、フィルート……。俺が、全部やってやるから……落ち着け。もういい。」

 しかしその声は、どこか焦っているようだ。

「……」

 すう、と呼吸が戻った。息を止めていたのだと、その後で気づいた。だから苦しくてたまらなかったのか、と顔を上げる。動きに合わせて、手のひらが外された。

 後ろから自分を包み込み、間近で見下ろしているのは、見慣れた深紅の瞳だ。

 フィルートの頬を伝っていた涙が、止まる。

「……アヴァン……」

 アヴァンはやんわりと笑んだ。

「よし……いい子だな、フィルート」

 ――何が、いい子なんだ……?

 フィルートは瞬きを繰り返し、視線を正面に向けた。自分を襲っていたルークはどこに行ったのだろう、と思って。

「…………」

 フィルートは言葉を失った。

 右手にあったはずの壁が、綺麗に無くなっている。『滴の塔』三階の廊下から、城の中庭が良く見える。屋内にあったはずの回廊が、外回廊のように風通し良くなっていた。

 左手の各部屋は何とか形を留めているものの、手前の方の数部屋は、壁が破壊され、中が丸見えの状態だ。

 フィルートはごくり、とつばを飲み込んだ。

「……えっと……どうしたの、これ……?」

 アヴァンは頭上で細く息を吐き出し、ぎゅっと体を抱きしめてきた。

「そうだなあ……とりあえず、お前の魔力を封印したいなあ……」

「…………」

 ――あ、そうなの……?

 フィルートはアヴァンの言わんとするところを察した。つまり、この惨状は全てフィルートの所業らしい。

 首筋にアヴァンの唇が触れる。そこは、先程までルークが触れていた場所だが――。

 フィルートの肩が、びく、と跳ねた。

「い……っ!」

 アヴァンは、キスマークを付けるのではなく、首筋を噛んだ。きり、と皮膚が割けた痛みが走る。

 直ぐに触ると、手のひらに血が付いた。

「痛いよ! 血が出てるじゃん!」

 睨みつけるが、アヴァンは優しく笑う。

「俺以外の男に触れさせたのだから、これくらい我慢できるな……?」

「――あ、はい……でもあの、抵抗できなかったんです……」

 フィルートは瞬時に勢いを失い、身を縮こまらせた。

「あの……ルークは……」

 ――どこに消えたのでしょうか。

 おずおずと体を向き直らせ、正面からアヴァンを見上げる。

 アヴァンの気配に怒気が混ざった。怒られても、フィルートにはどうしようもなかったのだが、謝ったほうが良いのだろうか。恐怖を思いだし、瞳が潤んだ。

 アヴァンはぐっと一度顎を引き、視線を逸らした。

「ルークは、お前の魔力に弾き飛ばされて、中庭に転がり落ちたから、牢に運ばせた」

「……そう……」

 防衛府長が牢に入れられて、大丈夫かな――?

 自分のせいで王弟がおかしくなったようなので、大変居心地が悪い。

 さわさわと、各所から人が集まってくる声が響き始めた。

「えっと……助けてくれたんだよな……? ありがとう……」

 一応、礼だけは言わねば、と頭を下げると、アヴァンは頭を撫でてくれる。

「どうも『滴の塔』の全体に封印魔法がかけられて、深夜二時時点で出入り不可能になった――と、気を回して巡回していたエルゲナから報告が入ってな。お前が破壊した塔の修復に人員が割かれ、ルークに付けていた衛兵の数を二名に減らしてしまったのが悪かった。塔全体を支配されるとどうしても、お前の部屋にかけた俺の魔法が解除されたかどうか、把握できなくなるんだ。悪かった。」

 すまなそうに頭に口付けされるが、フィルートはぼんやりと俯いた。

 ――要するに……僕は、自分が起こしたミスで、自分を追い詰めていたと……。

「まずいと思って、強引に封印を解除するのと、お前の魔力が暴発するのが同時だった。もうちょっと遅かったら、『滴の塔』が無くなっていたかもしれん」

「え、いや、さすがにそこまでは……」

 あり得ないだろう、と苦笑したが、アヴァンは真剣な目つきでフィルートを見下ろした。

「自覚が無いと困る。お前の力は、確実に増大している。恐らく光の力を闇の力で塗りつぶして、お前の魔力を変えたのに関係があるとは思うが、前例がないから何とも言えない」

「……うん。こんなことするの、お前くらいだよな……」

 光魔法使いを、闇魔法使いに変えよう、なんて普通、思いつきもしない。前代未聞の大技をやってのけた『魔王』は飄々と頷く。

「歴代王でも、俺ほど魔力を持つ人間はいなかったからな。だが、お前の力を封印する方法はあるから、安心して俺の嫁になれ」

「…………力の封印と、嫁の話は脈絡がないと思うな……」

「フィルート」

 アヴァンはとても優しくフィルートの名を呼び、華奢な肩を掴んだ。訝しく見返すと、彼はとても美しい、目が潰れそうな輝きを放つ笑みを浮かべた。

「もう、一か月後まで待たず、一週間後に結婚しよう」

「へ……?」

 何だって――?

 耳を疑った。フィルートは慌てる。

「や、無理だろ。ほら、ドレスとか、列席とか、国民告知とか、いろいろ……っ。お前、王様なんだし……!」

 アヴァンは瞳に若干の苛立ちを乗せた。

「……お前に触れるたび、理性が切れそうで、必要以上に触らないよう、自制していたんだぞ。だというのに、お前は阿呆だから、時間があればある程、数多の男共を魅了していく」

「そんなこと……ないよ?」

 阿呆でもなければ、誰かを魅了した覚えも無い。

 そしてお前が僕に触らなくなったのは、そんな邪な理由からだったなんて――分かってたけど、お前は本当に最低だな……!

「しかも、俺がこんなに我慢しているにも関わらず、お前は間抜けにも他の男に囚われ、俺が後生大事に守ってきた貞操を、いとも容易く奪われそうな状況だと知った時、俺がどんな気持ちだったか分かるか……?」

 フィルートはそっと俯いた。

「……わかりたくない……」

 理解を拒否したのに、アヴァンはわざわざ教えてくれた。

「俺以外の男にやるくらいなら、殺してやる――」

「――わかりたくないって、言ったのに……っ」

 フィルートは両手で顔を覆った。――『魔王』の愛が重い……。

「いい加減、我慢の限界だ。お前が塔に囚われていると聞いた時点で、エルゲナに、各機関へ結婚の日時変更の連絡をするよう、指示した。挙式は一週間後だ。もう待たん。」

「……う……」

 ――もう手配済みか……。

 アヴァンは満足げに続ける。

「ドレスはもうできている。列席も親族のみにするつもりだ。お前の家族にも、報せを放っている。迎え、衣装、滞在、また早まった式によって発生する諸問題も、こちらで全て対応する所存だ」

「う……うう……」

 『魔王』の異名は伊達ではない。

 アヴァンは、反論する余地もなく、項垂れるフィルートの顎をすくい上げた。

 目の前に、蕩ける笑みを浮かべた、極上の美丈夫がいる。この世のものとは信じがたい美貌の『魔王』は、艶やかな声でフィルートに命じた。

「さあ、フィルート……。我が妻となり、健やかなる時も病める時も、俺を愛すると誓え――」

「…………」

 ――これは……プロポーズなのか……?

 愕然と、麗しい自分の婚約者を見返す。

 きらきらと輝く深紅の瞳、自信たっぷりにほほ笑む口元、拒絶を許さない、腰に回った太い腕――。フィルートは諦めの微笑みを浮かべた。

 ――『勇者』になった僕が、馬鹿だった……。

 空を映し込んだような、青く澄んだ瞳が、ゆっくりと細くなり、愛らしい珊瑚の唇が弧を描く。フィルートの諦めの笑みは、まるで天界から舞い降りた、天使の微笑みだった。それは図らずも、『魔王』の心を完全に打ち抜いた。

「……はい」

「フィルート……っ」

 漆黒の『魔王』は、堪えきれないように勢いよくフィルートを抱きしめると、最大の愛をこめて、自分だけの天使の唇を塞いだ。

 唇を重ねるだけかと思ったのに、顎を掴まれ、強引に口内に熱い舌が入り込む。

 ──まて……っこんなところで、そんなキスするな……!

 ネグリジェ姿のうえ、周囲から兵士達がわらわらと集まってきている。足音がすぐ傍まで来ているのに、『魔王』は、これまで我慢したのが悪かったのか、夢中になって唇を貪る。

「……っん、アヴァ……っ、待っ、ん、んんん……っ」

 顎と後頭部を押さえられたフィルートは、逃げ場も無く、されるがまま絶技に翻弄された。

 これまでのキスなどお話にもならない、情熱的なアヴァンのキスは、瞬く間にフィルートを腰砕けにし、最後には意識を奪っていた――。


 

 この日――『魔王』により生み出された『天使』が、デュナル王国に降臨することが決定した。



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