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 予定通りアヴァンの両親と顔合わせを済ませたのだが、息子の育て方に疑問を抱く程、明るく、朗らかな人達だった。フィルートを一目見るなり、皇太后は歓喜し、『お母様』と呼んで頂戴『フィちゃん』と、新たな愛称を授かったほどだ。

 悪い印象を与えるどころか、フィルートを嫁にできるのなら、アテナ王国との国交についても、皇太后自らが大使をしたって良いとのたまわれた。答えに窮したフィルートを遮り、アヴァンは見たことも無い爽やかな笑顔で、『ご協力をお願いいたします、お母様』と言っていた。――お前は誰だ。と内心突っ込みを入れておいた。

 どうやらアヴァンは、母親の前では猫を被るらしい。



 薄暗い廊下をご機嫌で走っていたフィルートは、訓練場へと繋がる外回廊へ差し掛かる曲がり角で、反対側から歩いて来ていた男とぶつかった。

「わ……っ」

「……っと、失礼いたしまし――……ああ、貴方ですか」

 ばさ、と音を立てて書類が散らばる。

 ぶつかった瞬間、転びそうになったフィルートの細い二の腕を掴み、引き寄せてくれた男――エルゲナは、フィルートを認識すると同時に、声音を変えた。うんざりと、呆れてものも言えないといいたげな目つきで、フィルートを見おろし、とりあえずくい、と引っ張って立たせてくれる。

 毛先を巻いた髪を片側に寄せてまとめ、耳元から襟足にかけて八重の花をいくつも装飾されたフィルートは、本日も花の妖精か、天使か、といった風貌だ。

 胸元から首元までを覆う白のレースはぴったりと肌に沿っており、くっきりとできた胸の谷間が透けて見え、男なら手を伸ばしたくなりそうな衣装だ。上から徐々にグラデーションがかかり、白から青に変わっていく色のドレスの裾は長く、立たせてくれても、スカートの中で布が足元に絡まっていた。

「わ、ちょっと待って、手、離さないで……っ」

 今、腕から手を放されると、盛大に転ぶ。

 必死の形相でお願いすると、エルゲナは嘆息して、フィルートのお尻辺りの布を無造作に引っ張った。

「ひゃっ」

 足にまとわりついていたレースが引き抜かれ、危うくまた転ぶところだった。何もかもお見通しのエルゲナは、素早く腰に腕を回し、転ばないようにしてくれていた。

 至近距離に無表情な白髪赤目の男の顔があり、フィルートの頬は引きつる。

「あの……えっと、ごめんなさい……」

 エルゲナは間近で物言いたげにフィルートを見つめ、息を吐きながら立たせてくれた。

 ――びっくりしたあ。あんな至近距離で怒られるのかと思った。

 ふう、と額の汗をぬぐうが、フィルートは自分がぬか喜びをしたのだと悟った。

 エルゲナはフィルートの前に立ちはだかり、淡々と説教を始めた。

「よろしいですか、フィリア様。淑女たるもの、廊下を走ってはならないのです。よもやこのような常識をお話しする日が来ようとは、私も思っておりませんでしたが、仕方ありません。いくらあなたの成長過程にやや一般的でない部分があったとしても、貴族の御家でしたら廊下を走るなど――しかも王城内においてドレスを着た女性が走るなど、あり得ないとは……」

 ――わーエルゲナの説教が始まったよー……。

 フィルートが、デュナル王国で過ごすようになって、五か月ほど経っていた。そしてこの四か月、エルゲナは家庭教師としてもフィルートに付いている。魔法の使い方と貴族令嬢の振る舞いについて講義してくれているのだ。

 普通の講師を付ければ良いと言ったのだが、アヴァンは女の講師をつけると、自分が講義中に部屋に入れないから嫌だと拒否。理由を聞くと、女は全員自分に惚れて面倒だからだと、真剣な顔で答えられて、普通に腹が立った。

 そして男の講師なんて付けたら、間違いなく八つ裂きにしたくなるから、もっと駄目だと言う。

 結局、どんなに可愛くても阿呆には惚れないと太鼓判を押された――宰相のエルゲナに白羽の矢が立った。――僕は阿呆じゃない。という訴えは、全員に聞き流された。

 エルゲナは、講義をするたび無知なフィルートに苛立ち、終いには説教を始める。もはや説教とエルゲナはセットだ。

 フィルートは心頭滅却し、最も有能と名高い宰相の顔を、呆然と眺める。説教は右から左へ聞き流した。

 最後の締めくくりはいつも同じだ。

「お分かりになりましたか? あなたも一か月後には、大聖堂にて結婚式を挙げるのです。一国の妃が落ち着きなく走り回るものではありません」

「……はい……」

 ――いつも、『○か月後には、大聖堂にて結婚式を挙げるのですよ。』が繰り返される。

 大聖堂とは、王城の西――薔薇園の傍にある教会の事だ。デュナル王国でも最古の、由緒正しい教会らしく、窓にはめ込まれた色とりどりのステンドグラスは緻密で、とても美しい。王城は黒いのに、教会はアテナ王国と同じ、白で統一されている。

 エルゲナは本当に分かっているのか、という目つきでフィルートを見おろし、嘆息した。

 ――何回、溜息をつくつもりだ……。

「それと、ルーク様との接触は控えていらっしゃいますか? 日に日にルーク様のご様子がおかしくなっていっておりますので、重々ご注意ください」

「……ソウナノ?」

 ルークについては、アヴァンがフィルートの兄達と話を付けて以降、たまに廊下ですれ違うくらいだ。どうもアヴァンは、フィルートではなく、ルークの方に監視を付けたようで、いつも彼の周りには三名も兵士がついている。フィルートの外出については、一日の予定が作られ、その通りであれば、自由に部屋を出られるようになっていた。

 ルークとは、すれ違っても、獲物を狙う猛禽類の眼差しで、じっとりと眺められるだけで終わっている。

 その彼の様子がおかしいとは、実に恐ろしい情報だ。

 エルゲナは軽く眉を上げ、深くため息を落とす。

「全く……貴方のような粗忽者のどこが良いのでしょうねえ……。まあ、見目は稀に見る美しさですが……。いずれにせよ、一か月後の挙式までは、死んでも純潔をお守りください」

 ――どうして出会いがしらにぶつかっただけのエルゲナにまで、純潔を守れと言いつけられねばならないのだろう……。

 フィルートの考えを汲み取った彼は、散らばった書類を拾い上げながら、淡々と言う。

「陛下は貴方のお兄様方とのお約束を守る以上、自分以外の男が手を出そうものなら、その場で貴方もろとも破砕してしまいそうだと、たまに呟いているもので。御身の為に申し上げているのですよ……」

 一緒に拾った書類を渡すフィルートの手が、強張った。

「そ……それは……ありがとうございます……」

 最近、アヴァンはたまにフィルートを見つめて、身動きを忘れる。その時の目つきは狂おしいほどの情欲に駆られており、何もされなくとも、身の危険を感じた。

 書類を抱え、廊下を歩きだしたエルゲナは、疲れた声で呟く。

「……あれでも、ルーク様は、城の警備はおろか国家の防衛府長を務めていらっしゃるので……陛下に殺されると私が困るのですよ……。全く……早く一か月後になって欲しいものです……」

 エルゲナも、疲労しているらしい。いつもならきちんと挨拶をして下がる彼は、ぶつぶつと独り言を呟きながら、ゆらゆらした足取りでどこかへ向かって行った。



 訓練場に辿りついたフィルートは、いつものように運動場の脇に小さな机と、漆黒の軍服に身を包んだアヴァンを見つけ、無意識にほほ笑んだ。

「アヴァン、待たせてごめん!」

 魔法の使い方は、エルゲナが文献をもとに授業をし、実技は全部アヴァンが監督だ。

 ヒールのある靴にはもう慣れたもので、軽快に駆け寄れる。運動場を眺めていたアヴァンは、無言でフィルートを見つめ返した。じっとりと見つめられ、台の傍までたどり着いたフィルートは、首を傾げる。

「えっとお……なにか、怒ってるのか……?」

 ――待たせたと言っても、約束の時間を十分過ぎただけだ。

 昼食を食べた後に転寝してしまい、乱れた髪を直してもらわないと、どうしようもない具合になっていたので、時間がかかって遅れたのだが。

 運動場を挟んだ向こう側にある、訓練施設の時計塔は、二時十分を指していた。

 アヴァンは、ぼそっと応える。

「いや……なんでもない」

 フィルートは眉根を寄せた。最近のアヴァンは、変だ。

 飢えた獣ような目つきをすると思ったら、今みたいに意味が分からない反応を示す。それに最大の変化は、あまり触って来なくなった。以前は隙さえあれば腰に腕を回してきたと言うのに、最近は寝る前の軽い口付けだけで、ちっとも触らない。

 ――いや、別に僕は触って欲しいわけじゃないぞ……!

 自分で自分に弁解し、フィルートはぽんと手のひらに杖を出現させた。闇魔法の使い方もある程度分かってきて、物を出したり消したりは出来るようになった。

 アヴァンは物憂げな表情で、机の上に石を出した。

「今日はこの形を変えろ。水が入ったグラスでも、香水でも、なんてもいい。個体を液体に変え、零れないように外側に器を作るんだ。できたら、人間の脳くらいは骨格を壊さずに破壊でき……」

「うん、分かった!」

 フィルートは元気に、アヴァンの言葉を遮った。相変わらず例えがグロテスクな男だ。

 杖先を石に向けて集中し、魔力を溜める。

「……していないか……?」

「え?」

 途中で声を掛けられ、顔を上げると同時に杖から力が飛んだ。ぱき、と音を立てて石が割れた。音は小さかったが、木端微塵だ。

「あーあ。失敗しちゃった。で、何?」

 アヴァンは眉間に皺を刻み、石を睨む。美しい深紅の瞳が、強い色でこちらを見返した。

 ――え、なんか怒るようなことあった? 普通の石だぞ。

 アヴァンの反応に戸惑い、フィルートは口をつぐむ。アヴァンは色気たっぷりの溜息を吐き出し、普通の女が聞いたら腰砕けになりそうな、艶っぽいかすれた声で応えた。

「……お前、魔力が増大していないか……?」

「――へ?」

 フィルートは杖を両手で握り、首を傾げる。ぎら、と一瞬獣の目が過ぎったが、アヴァンは首を振って視線を逸らした。

「おかしい……。俺が与えた魔力じゃ……一般人に毛が生えた程度の魔法しか使えないはずなのに……」

「……そんなに魔力ある感じは無いけど」

 フィルートは杖先をくるくると回し、魔力を溜めてみる。アヴァンがぎく、と杖を見た。

「おい、やめろ。杖はそんな風に無造作に使うものじゃない」

「大丈夫だって。光魔法使ってたときなんか、厩舎とか間違えて壊しちゃったりしたけど、今の力は全然、あの時の感覚ほど苦しくないし」

 光魔法を使っていた時は、強い魔法を使えば使う程、体に負荷がかかり、息苦しくなったものだ。だが今は、魔力を溜めるのにも、発動するのにも、ちっとも苦しさが伴わない。

 アヴァンの顔色が、何故だか焦った。

「いや、それは許容量の問題で……っ。――やめないか、それ以上魔力を溜めるな!」

「え」

 ばち、と杖先が爆ぜた。溜めた闇色の魔力が、いつの間にか禍々しい渦を巻いて、杖先に絡みついている。

「……なにこれ」

 今まで制御してきた魔力なんて、お話にもならないくらいの魔力が、そこに集まっていた。だが、どうしたら良いのか分からない。杖先が徐々に重くなっていく。この力を何とか介抱しなければならないが、自分の中に戻す方法なんて知らない。

 軽くパニックになったフィルートは、力を放り出すべく、杖を振った。

「うわわわわ……っ!」

 振った先は、アヴァンの左側――訓練施設の向こうに広がる薔薇園の、その脇に堂々と聳え立つ、白亜の――。

「――馬鹿……っ!」

 麗しい顔を歪めたアヴァンが、地を蹴ってフィルートの腕を掴むのと同時に――何も計算されていない、純粋な魔力の塊が杖から放たれた。

「――っ!」

 岩を砕いたような破壊音が鼓膜を揺さぶる。衝撃のためか、地面まで揺れ、次いで兵達の声が響き渡った。

「何事だ――!」

「敵襲か!?」

「けが人が無いか確認をしろ……っ!」

 あちこちを、軍人の重いブーツが駆け抜ける音がする。

 フィルートは、芝生の上に押し倒された状態で、放心していた。杖を持っている手首を、アヴァンの大きな掌がきつく握りしめ、地面に縫い付けている。

「…………」

 アヴァンは、フィルートの顔、腕、足先まで素早く目を走らせると、ちら、と背後を振り返った。そして、大きく溜息を吐き出す。

「……何とか軌道は外れたな……危なかった……」

 アヴァンが目を走らせた先にあったのは、巨大な白亜の教会――。一か月後に式を挙げる予定の、大聖堂だった。

 確かに、大聖堂は無事だ。でも――。

 フィルートは嫌な汗をかきながら、自分の右手にあった建物を見上げる。八塔で構成されている、デュナル王城の中央塔――『炎の砦』の頂、円錐型になっていた屋根が、見事に吹き飛び、穴が開いていた。

「……あのさ……アヴァン……。ご、ごめん……」

 目で破壊した塔を示すと、アヴァンは短く息を吐き、フィルートを抱き上げる。

「……仕方ない。屋根の石は粉塵になったようだから、大した怪我人は出ていないだろう、気にするな」

「……いやいや、気にするだろ?」

 王城だぞ――?

 アヴァンは本気でどうでもよさそうに、フィルートを横抱きにして歩きはじめた。兵達が走り抜けるのを何の感慨も無く見る彼に、首を傾げる。

「えっと、どうしよう?」

 魔法がまともに使えれば、修復作業の手伝いもできるのだが、如何せん未熟なフィルートには、今のところ、どんな手助けもできそうにない。

 アヴァンは、若干顔色を悪くしたフィルートを、不思議そうに見おろした。しばらくフィルートの顔に魅入った後、彼は艶やかに薄く笑んだ。

「フィルート。俺にとって今現在、最も重要なのは、一か月後、あの大聖堂で、つつがなく挙式を済ませ、お前を俺の妻にすることだ」

「……そ……う、ですか……」

 ――とても潔いお言葉だとオモイマス……。

 自分を叱りもせず、ただひたすらに結婚を待ちわびていると告げられ、フィルートは両手で顔を覆った。一瞬で真っ赤になった顔など、この『魔王』に見せるわけにはいかない。

 最近、自分も時々おかしかった。アヴァンの言葉に急に恥ずかしくなったり、何も言わずに笑顔で見つめられると、動悸息切れが始まったりする。

 僕は、病気かもしれない――。

 アヴァンが耳元に口付け、吐息交じりに囁いた。

「フィルート、早く子供を作ろうな」

 ――ぎゃあああああ!

 フィルートは何も応えられず、黙秘を貫いた。



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