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 二人のやり取りを目の当たりにした、カインは渋面になる。

「なんていうか……見てたけど、溺愛が過ぎるよねえ……」

「俺の弟にふしだらな……っ」

 ヨハネが不快気に声を上げ、腰から剣を引きぬきざま、空を切り裂いた。

 兄の剣技を知っているフィルートは、失禁しそうになった。

「兄ちゃん、やめてぇ!」

 ――僕まで切れちゃう!

 兄は剣の切れ味と魔力を複合させるという、高度軍事魔法の先駆者だ。剣を振るうだけで、真空切りができる。アヴァンは素早くフィルートの顔を自分の胸に押し付け、身をよじった。

「――ふん、なるほど」

 非常に気分が悪い、と言いたげな声で、アヴァンは兄を睨み据える。どこも痛くなかった、とアヴァンを見ると、左側の二の腕が切り裂かれていた。赤い血が、ぱたた、と零れ落ちる。

「わあ、ごめん……! 痛いよな?」

 自分を庇って傷を負ったのだと思い、フィルートは慌てて傷口を押さえた。治癒魔法を使おうとしたが、闇魔法での治癒方法が分からない。

 ――僕って本当に役に立たないな……。

 情けなく眉を下げ、アヴァンを見上げた。

「ごめん、治癒魔法が分かんないだけど……」

「…………」

 アヴァンは軽く目を見張った。滅多にない驚きの表情だ。

 ――なんだその顔は。治癒魔法も知らないのか、って驚いてるのか?

 フィルートは直ぐにむっとして、視線を逸らす。

「なんだよ。まだ習ってないんだから、仕方ないだろ。ぐぇっ」

 急にアヴァンが腰と肩に腕を巻きつけ、フィルートを抱きすくめた。肩口に顔を埋め、くつくつと笑っている。――頭がおかしくなったのか?

 眉根を寄せていると、耳元でアヴァンが囁く。

「本当に……お前は可愛いなあ……フィルート」

「ただの馬鹿なんだよ、僕たちの弟は」

 フィルートは首を少し動かして、横目にカインを睨んだ。

「なんだよ、みんなして! 僕は馬鹿じゃないぞ!」

 カインは半目になる。

「あのさあ……お兄ちゃん達はお前が死んだって国から宣言されて、とてもじゃないけど信じられなかったから、ものすごーく頑張って、フィルート君を探したんだよ。牢にでも繋がれているのかと思ったら、可愛らしいドレスに身を包んで、そこの『魔王』の婚約者になっててさ。あんまり可愛いから、何回かデュナル王国の人間をつかって、本当にフィルートかどうか確認したけど、本物みたいだし。嫌がってるみたいだから、とりあえず王弟と宰相の体を乗っ取って、ここまで順調に連れて来たって言うのに、肝心の弟はお兄ちゃん達そっちのけで、『魔王』の怪我を心配してるんだよねえ。お兄ちゃんは、なんだか泣きそうだよ」

「え……っそうだったの?」

 呆れた様子のカインに対し、ヨハネは怒り心頭だ。鬼の形相でアヴァンを睨んでいる。あんなに怒る兄を初めてみた。

「いい加減に、俺の弟から離れないか、青二才……!」

「……ふっ」

 なにか危険を感じたのか、アヴァンは軽く笑いながらも、両手を広げて、フィルートを開放した。

 拘束を解かれたフィルートはにやにやと笑うアヴァンをきょとんと見上げ、兄達を振り返る。

「えっと……」

 ――この場合、僕はどうしたら良いんだろう?

 戸惑って動かないフィルートを、カインは苛々と睨む。

「だからさあ、どうしてお兄ちゃんのところに駆けて来ないのかなあ、フィルート?」

「あ……うん」

 フィルートは、やっと状況を理解した。これは、敵国に囚われた自分を救いに来た兄たちの元へ戻る場面だ。

 何度も逃げようと試みた結果、毎回恐ろしいお仕置きを受け、フィルートはすっかり逃げ出すという思考を失っていた。

 今もまだ、逃げ出して大丈夫かな、と不安になり、アヴァンを振り返ってしまう。

 アヴァンは綺麗な瞳を細め、やんわりとほほ笑んでいる。自分だけをただひたすらに注視しているその眼差しは、これまで見たどんな表情でもなかった。

 ――なんか、寂しそう……?

 兄の元へ向かう足取りが、重くなる。

「フィルート」

 ヨハネが厳しい声でフィルートを呼んだ。フィルートは、はっとヨハネとカインの間に滑りこんだ。

 剣の切っ先をアヴァンに付きつけ、ヨハネが低く言う。

「弟が世話になったな、デュナル王。二度とお前の前に現れることは無いだろう」

 ヨハネは、アヴァンを『魔王』と呼ばなかった。一国の王として見ているのか、とフィルートは顔を上げる。

 カインも冷たい眼差しをアヴァンに注いだ。

「だからあんたも、もう僕たちの弟には、ちょっかいかけないでね」

 カインの手が背中に回る。湖に向けて促され、フィルートは素直に従った。ヨハネはアヴァンに切っ先を向けたまま、用心深く後退してくる。

 フィルートは自分が解放されようとしているにもかかわらず、胸に靄がかかったような感じがしていた。

 ここでアテナ王国に戻れば、これ以降アヴァンに会うことはなく、母国で再び過ごすことになる。

 『勇者』の肩書も失われ、アテナ王国でも女として零から始めなければならないだろう。

 姫として生きていくには、婿を取る必要があり、いずれは誰かのものになる運命なのだろうか――?

 けれど、元男である自分が、姫としての自分を受け入れられるか疑問だし、相手もいない気がする。

 フィルートの足先が湖の中に差し掛かった。その耳に、低く、甘い男の声が聞こえた。

「フィルート」

「……なんだよ」

 寂しいと思ってしまう自分を誤魔化すために、フィルートはわざとつっけんどんにアヴァンを振り返った。

 アヴァンは赤い瞳を細め、少し眉を下げ、悲しそうに言った。

「お前は……俺以外の男を選ぶのか……?」

 さあ、と全身が凍りついたようだった。先程まで自分でも同じことを考えていたのに、アヴァンに言われると、何故かショックだった。

「……っ僕は、男だぞ! 男なんかと結婚するわけないじゃないか……!」

 アヴァンはうっすらと人の悪い笑みを浮かべる。

「だがお前がアテナ王国へ戻れば、必ず男どもがお前に群がるぞ」

「そんなわけ……っ」

「――ないと言えるのか。なあ、フィルートの兄上達。貴公らもフィルートが母国へ戻った暁には、安穏とした人生を送れるなどと、信じておられるのか?」

 フィルートを強引に湖に入れようとしていたカインの手が、力を失う。

 ――え。

 見上げたカインの顔は、渋面である。更にヨハネの足も止まった。見上げると、ヨハネは苦悶の表情を浮かべている。

 アヴァンは顎を上げ、くつ、と笑う。

「フィルートが我が国において無事でいられたのは、ひとえに俺の婚約者だったからだ。女に困らない俺の弟でさえ、己の婚約者を袖にしてまで、フィルートを所望した。数多の美姫に慣れた我らですら欲しいと思う女が、アテナ王国の凡庸な男たちの目に、どう映るかなど、想像するまでもない。フィルートを巡り、如何なる事件が発生するか、お考えいただきたい」

 ヨハネが呻いた。

 ――え、え?

 カインが振り返り、腕を組んでアヴァンを睨みつける。

「そんなことは、考えなくたって分かってるけどさあ、仕方ないでしょ! 男に戻れないなら、それなりにいい男の元に嫁がせるしかないんだよ!」

 アヴァンは今度こそ、にやり、と魔王の笑みを浮かべた。

「闇魔法しか使えぬ女を……嫁にする男が、貴国にいるのか?」

「――」

 カインは目を見開いた。ヨハネが愕然とフィルートを振り返る。

 フィルートはおどおどと首を傾げた。

「えっと、あれ? 知らなかった……? 僕、アヴァンに魔力を入れ替えられちゃったから、闇魔法の勉強中で……」

 どさ、と草の上にヨハネの剣が落ちた。ヨハネが震える手でフィルートの薄い両肩を掴む。あまりの細さに驚いて、一度手を放し、今度は壊れ物を扱うように、そっと掴んだ。

「フィルート……本当なのか……」

「う……うん……」

「なんということだ……!」

 そのままぎゅう、と羽交い絞めにされた。

「に……にいちゃ……死ぬ……」

 ――兄の愛が苦しい。

 顔を赤くして腕を叩くと、ヨハネはびくっと体を離した。

「済まない……」

「俺から提案がある――兄上」

 ――おいおい、僕はそっちのけ? しかも、さり気なく僕の兄ちゃんの事、兄上って呼んだね? お前の兄上じゃないよね?

 文句ありげなフィルートを見つめながら、アヴァンは腕を組む。風が吹いて、漆黒のマントが『魔王』然と優雅に広がった。

「フィルートを俺の嫁にくれるのであれば、正式にアテナ王国の伯爵令嬢であることを公表しよう。更に、アテナ王へ働きかけ、国交を開いても良い。国交が開ければ、貴公たちを含むご家族も気軽にフィルートに会いに来られるだろう?」

「――え、待って。なんでそんな話になったの?」

 フィルートの質問を無視して、カインが思案気に首を傾げ、口角を上げる。

「……それだけじゃ駄目だね。闇魔法の情報開示も加えてくれないと」

「ねえ、兄ちゃん。闇魔法の情報開示って、僕の身柄と全然関係なくない?」

 それって絶対、研究の題材にしたいだけだよね――?

 カインの手が、いい子いい子と頭を撫でる。

 アヴァンは片眉を上げ、鼻を鳴らした。

「よかろう。闇魔法と光魔法の相互理解を深める、という目的であれば、こちらは惜しみなく闇魔法の情報開示をしよう。もちろん、現在貴公らが使用している新たな光魔法と、研究過程のものの開示を含んで、だ」

 カインはヨハネに目配せをする。ヨハネはフィルートを切なそうに見下ろした。

 ――えっとお、どうして娘を送り出す父親みたいな顔してるの?

「そうだな……。お前の幸福を考えるのなら……デュナル王に任せる方が……良いのだろうな……」

「はい?」

 迎えに来たはずの兄達が、ころっと考えを改めているように見える。

 戸惑うフィルートを置いてきぼりにして、アヴァンが傍らに佇んでいる人形――のようなエルゲナの腕を持ち上げ、手首を見せる。

 そこには、太陽を象徴した記号の中に、人間の目が描かれている。

 ――あ、思い出した。

 そのマークは、兄達の持ち物の中によく描かれていた印だ。ルークの手首にも同じ文様が刻まれていた。

「この条件でフィルートをくれるのであれば、我が国の国境くにざかいの兵卒、将官、高官および王弟と宰相の体を乗っ取り、間諜まがいに方々を調べ上げた罪は問わない」

 フィルートは眉を上げた。光魔法は、人体に直接干渉できない、というのが定説だ。しかしあのマークを兄達が付けたのだとしたら、兄達の魔法は光魔法の定義を逸脱している。

「あれも……新しい魔法?」

 カインはにこ、と笑った。

「そうだよ。あの陣は人と人が接触するだけで移行可能だから、人が握手するだけでいくらでも縛り対象を増やせるんだよ。縛った人間は中から行動を覗けるし、意識を支配することもできる。お兄ちゃん達は、何でもできて、すごいでしょう?」

「う……うん……」

 兄は、アテナ王国一の魔法使いと言われている自分を、遥かに凌駕した存在だったようだ。ちょっぴり虚しく――フィルートは俯く。

「愉快だっただろう? 我が国の内政は……」

 底の知れない暗い眼差しで、アヴァンが問うと、カインが肩を竦めた。

「仕方ないでしょ。弟がどこにいるんだかわからないんだから、国境から内部の人間を魔法で縛って行くしかなかったんだよ。まあ、あんたやルークの性癖を知りたくて、覗いてた時もあったけど、内政に関しては、目を瞑るつもりだよ」

「なに? 何それ? 覗いてたって……ぼぼぼ、僕とアヴァンのことも……見てっ?」

 ――僕とアヴァンがあれやそれをやっている様を、見ていたって言うのかっ?

 絶対に見られたくない醜態をさらしていたのか、と涙目になると、カインは首を振った。

「デュナル王はガードが固くてねえ、ルークの前でやってたキスくらいしか見られなかったけど。なに、そんなにすごい事されてたの……?」

 フィルートは勢いよく首を振った。ヨハネの顔が再び鬼のようになったので、慌てて腕を掴んだ。また真空切りでアヴァンを切り刻まれてはたまらない。惨殺死体は見たくない。

「あああああの、何もないよ! ヨハネ兄ちゃん、大丈夫だから!」

 真っ赤になって引き止めても、逆効果だった。ヨハネはゆるりと落とした剣を持ち上げた。

「デュナル王……正式な婚礼までは、我が妹に手出しされぬとお約束頂きたい……」

「僕、妹じゃないよ……!」

 いつの間にか兄の頭の中で、自分が弟から妹へと移行されている。

 アヴァンは飄々と笑って頷いた。

「もちろんだとも。貴公らの大切な妹姫、誰の手も触れぬよう、我が城にて真綿に包み込むように大事にするとお約束する」

 ――真綿で首を絞めるつもりってこと?

 カインが両腕を頭の後ろで組んだ。

「そっかあ、じゃあ、アテナ王国でフィルートの登録を男から女に変更しなくちゃねえ。」

「出生届に記載した性別って、変更できないよね……!?」

 カインはそんなもの、と笑った。

「お兄ちゃん達に出来ないことは無いよ、フィルート」

「……っ」

 フィルートはもう何に驚いたらいいのか分からなかった。なんだかわけが分からない内に話がまとまり、ふと深紅の瞳の『魔王』と視線が絡む。

 『魔王』は最高に色香溢れる、美しくも妖艶な笑みを湛え、両腕を広げた。

「さあ、フィルート……晴れてお前は俺の花嫁だ。――おいで」

「…………」

 ――おいでって、なに? あの腕の中に飛び込む場面なの? あり得ないだろ!

 フィルートは唖然とアヴァンと兄達を見比べる。兄達が背中を押した。

 ――だからなんで?

 さあ、行けと促され、フィルートは三歩進み出た。そして立ち止まる。数メートル先には良い笑顔の『魔王』。彼の背後に、まがまがしい怒気を感じるのは、僕だけだろうか――。

 カイルが背後で何か呪文を唱えた。

 ぱちり、とエルゲナが瞬き、隣に立っている王、少し先で怯えて涙ぐんでいるフィルート、その背後の二人の男を認め、淡々と呟いた。

「……混沌としている……」

「早く来ないと、お仕置きを追加するぞ……?」

 低い美声が脅しをかける。

「うぅ……っ人でなしめ!」

 フィルートは悔し泣きをしながら、アヴァンの腕の中に飛び込んだ。ひょいとフィルートを横抱きにして、アヴァンは今にも触れそうな距離まで唇を寄せる。

 深紅の瞳は、ほんの少し潤んでいた。

「……もう俺の元から逃げるんじゃないぞ……可愛いフィルート……」

「……」

 潤んでいるアヴァンの瞳は、本心を映しているように見えた。寂しそうな、嬉しそうな、複雑な感情を見てとったフィルートは、何を言えば良いのかわからない。けれど何かしてあげたい気持ちになり、ちょん、と間近にあった唇にキスをした。

 アヴァンの目が、今度こそ驚きに見開かれた。

「フィルート……」

「――な、何回もしてるし! ご、ごめん、ってことだよ、よくわかんないけど!」

 なんか寂しそうだったし、泣きそうだったみたいだから、特別だ! 好みの顔にキスされて、嬉しいだろ! それに、今更、僕からしたって何も――……っ。

 頭の中で言い訳を捲し立て、真っ赤になって俯くフィルートの鼻先で、アヴァンはうっとりとほほ笑んだ。

「……早くお前を串刺しにして、泣かせたい……」

「――――」

 照れくさい初心な感情は、一瞬で凍結した。

 フィルートは、アヴァンを冷たく見返し、ぼそりと呟いた。

「……やっぱり、お前は僕を幸福には出来ないと思う……」

 終始無言で事態を傍観していたエルゲナが、頭から垂れ下がっていた藻を摘まみ、ぺっと遠くに放り投げた。



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