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 からん、と美しい指先から杖が零れ落ちる。

 意識を失い、のけ反った少女を抱き上げるエルゲナの顔は、これまで見たことも無い、愉悦に染まっていた。

 ラティが、闇の中に保管していた杖を呼び出そうとすると同時に、額にエルゲナの指先が付きつけられる。

「……っ」

「動くな。今より一歩でも進み出れば、お前の体、木端微塵に砕いてしまうよ」

 全身が凍りつく。己の力量不足を察したラティの体は、動物的に凝り固まった。

 それを鼻で笑ったエルゲナは、少女を抱きしめるように引き寄せると、ずるりと姿を闇に溶かして消えた。

 ラティは、己の失態に顔色を無くし、闇の中に姿を溶け込ませ、駆け抜ける。

「やはり、陛下のご許可など……っ頂いていなかった……!」

 闇の中で、口惜しく叫ぶ。陛下の元へと、一刻も早く事態を報告しなければならない。

 エルゲナがフィリアの部屋に訪れた時、ラティは何も聞いていなかった。だがエルゲナが陛下の許可を貰っていると言えば、扉前の衛兵も、ラティも信用するしかなかった。陛下の腹心である男に、疑いの目など向けられようはずもなかった。

 しかし、甘い自分の判断が、事態を最悪な方向へ向けた。

 国王が掌中の珠のように慈しむ姫君を、目の前で浚われてしまうとは――!



 頬を生暖かい風が凪いでいる。夜なのか、瞼を閉じた瞳に光は感じられなかった。頬に布が当たる。不安定に体が揺れ、誰かに抱かれている――と、気付いた刹那、フィルートは心臓を押さえ、かっと目を見開いた。

「――うあっ……!」

 見開いた視界には、何も映らなかった。自分の体も、闇に溶けてしまっていて、よく分からない。だが確実に自分の体は誰かに運ばれている。その誰かが、こちらを見下ろした気配を感じた。

「ま……っ、とま、れ……っ!」

 フィルートは喉元を何かに締め付けられているかのような、苦し気な声で制止する。形は見えないものの、自分の手と認識できるもので、相手を掴んだ。それは服だったかもしれないし、腕だったかもしれないが、フィルートには分からなかった。

 心臓を無数の針で貫かれているかのような、鋭利な痛みが胸を襲っていた。

 あまりの痛みに顔が歪み、全身を嫌な汗が流れていく。

「待って、くれ……!」

 自分を運んでいた人間は、ふと速度を落とした。自分を訝しげに見下ろしている感じがする。だが、止まる気配はない。

 ――やばい。死ぬ。あいつ本気で……、心臓を壊す魔法を……っ。

 苦しすぎて、くの字に体を折り曲げ、腕から逃れようとする。だが相手は逃げられると思ったのか、ぐっと力を込めてくる。

「待て――」

 低い、アヴァンによく似た声が制止した。ほっとして顔を上げたが、フィルートは人違いだと、何故か直ぐに分かった。闇の中に、もう一人男が現れた。男の形も良く見えなかったが、その気配は、かつて自分を抱きしめてくれていたアヴァンのそれよりも、ずっと細く、冷たい。

 フィルートを運んでいた人間が、足を止めた。もう一人の男が近づいて来て、脂汗を浮かべるフィルートを見おろし、やんわりと笑う。

 ――お前、ルークだな……!

 声も出せない程苦しくて、涙目で睨むしかできなかった。

「……こんなに執着されて、可哀想にな……」

 ルークの物言いにしては、違和感を覚えた。だが気配と声はルークだ。だけど――この話し方は、どこかで聞いたことがあるような……。

 男の手が、胸を押さえるフィルートの手をはがし取り、自分の掌を胸の間に潜り込ませる。

 ――おまえええええ! 後で殴ってやる! ……生きてたらだけど!

 ルークは何事か呪文を呟き始めた。胸に闇の力が集まる感覚がある。そして、ルークがとん、と手のひらを胸に叩きつけると同時に、灼熱が心臓を貫いた。

「――っ!」

 激痛に目を見開き、喘ぐ。自分を見下ろしているルークが、穏やかな声音で言った。

「……苦しいだろうが、すぐに良くなる」

「……っ、おま……え、誰だよ……?」

 言われる通り、徐々に痛みが引いて行く。痛みが無くなると、目の前のルークに見える人間が、また違う人間のように感じられて、フィルートは眉根を寄せた。

 ルークは顎を上げて、フィルートを抱いている人間に合図を送る。

「もう良いぞ。運んでくれ――」

「え……?」

 てっきりルークも一緒に来るものと思っていたのに、彼は闇の中に留まり、フィルート達を見送った。

「……だれだ………?」

 ルークのようでいて、ルークじゃない人間は、闇の中で優しげに笑い、気配を消した。



 侍女が現れると同時に、フィルートを縛っていた自分の魔法が解除されたのを感じた。魔法の発動を感じ、解除しようかどうか迷ったその刹那だった。アヴァンとて、可愛いフィルートを殺したいわけでは無い。だが自分以外の人間が、知らぬ間に彼女を奪うくらいなら、殺した方がマシだ、くらいの気持ちでかけた魔法だった。

 恐らく、たとえ誰が彼女を連れ去ろうとしても、あの魔法が発動される前に解除してしまう自覚はあったけれど――。

 アヴァンは蒼白で状況を説明した侍女に下がるよう命じ、玉座に深く腰掛けた。丁度、謁見の間で、各国に手配していた間諜から報告を受けた後だった。

 傍らにいるはずの、腹心は居ない。デュナル王国に置いて、他の追随を許さない明晰な頭脳と、豊富な魔力を有する人間が、突然自分を裏切って、婚約者を浚ったと言う――。

 アヴァンはぼそりと呟く。

「あり得んな……」

 エルゲナに限って、あの頭の足りない『元・勇者』を欲するはずが無い。エルゲナの好みは、大人しく、聡明な、深窓の令嬢だ。

 どんなに容姿が、奇跡か――?と己の目を疑いたくなるほど完璧な美少女であったとしても、内面が少し間抜けで頭の足りない阿呆では、対象になるはずが無い。

 あの間抜けな内面も、完璧な見た目も、アヴァンにとっては愛しいものとなっていた。自分と普通に会話をし、自分を見てくれる、唯一の女だ。今更、その辺りにいる普通の――自分の顔を見るなり呆け、声を聞くだけで瞳を潤ませ、思考が麻痺してしまうような、まともな令嬢では満足できない。

 アヴァンは赤く色気溢れる眼差しを、己の闇の中に注いだ。そしてにい、と笑った。

「――そう易々と、逃してなどやらん」

 その笑顔は、確実に『魔王』そのものだった。



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