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 前触れもなく、その男が現れたのは、デュナル王国・前国王夫妻との顔合わせ前日だった。

 先日の特訓の結果、林檎の破壊ができるようになったフィルートは、次なる技――『影抜け』という、闇魔法使いなら誰でも当たり前にやってのける、闇に溶けて移動する技に挑戦中だった。

 一度アヴァンと一緒に闇の中に入ってみたが、怖すぎて終始アヴァンに抱きついてしまうという、あいつを喜ばせるだけの口惜しい結果になったので、密かに練習をしようとしていたのだ。

 闇の中に入るのは、どうも体の作りを融解させているらしく、闇の中で自分という確固とした感触が無い。つかまっている筈のアヴァンの実態も感じられず、子供の様に喚いてしまった。――『出して』と。

 フィルートが半泣きで『出して!だしてー!出してえええ!』と叫ぶのを、傍近くでアヴァンが笑って見ていたのは気付いていたが、どうしようもなかったのだ。どうもしっかり抱きしめていてくれたらしいが、感覚が融解していて訳が分からなかった。

 しかもアヴァンは、なかなか出してくれなかった。――鬼畜野郎め。

 そんな鬼畜生だというのに、影から出た後も、しばらく怖くてアヴァンから離れられなかったという体たらく。

 ――このままでは、僕のプライドが許さない!

 己の威信にかけて、『闇抜け』を習得せねば、と自分の影に溶け込むべく、何とか融解しようとしていたところ、扉がノックされた。掲げていた杖を降ろす。『闇抜け』は普通、杖など使わないのだが、どうにも恐ろしすぎて、フィルートは杖を握っていた。

 ラティが直ぐに反応する。

 ラティが生暖かい眼差しで見守っていてくれるからこそ挑戦できていたので、ラティの目が無いのならやめよう、とフィルートは直ぐに練習を辞めた。ソファに腰を降ろして、ラティを目で追うと、扉を少し開けるなり彼女は、眉を上げた。

「まあ、宰相様。いかがされましたか?」

 ――宰相?

 フィルートは身を乗り出した。ラティが扉を薄く開けて中途半端に対応していたので、相手が見える。

 扉の隙間から見えた男の背は高い。白い髪に、細い赤目。黒いローブをまとった雰囲気は、陰気だ。ラティを見下ろしていた男は、その向こうに顔を覗かせたフィルートに気づき、視線を上げた。

「あ――『魔王』の横に立ってたやつじゃん!」

 何も考えず指を指して叫んでいた。つい、戦闘日を思い出すと我を忘れる。この男は『魔王』の隣に立ち、何をするでもなく、ただ迷惑そうな顔でフィルートを眺めていた。

 男は若干、半目になった。

「……陛下のご許可は頂いています。中に案内しなさい」

「あ、はい……」

 ラティは戸惑った顔をしながら、扉を大きく開く。

 男はソファの傍らまで歩いてくると、衣擦れの音を立てて頭を下げた。

「改めまして、ご挨拶申し上げます。デュナル王国において宰相を任じられております、エルゲナ・トバリです。お見知りおきを、フィルート様」

「……え。あ、はい……どうも……」

 彼はとても丁寧に頭を下げる。フィルートは戸惑いがちに応じた。

 自分が彼の主を殺そうとした自覚があるだけに、対応に迷う。アヴァンを殺しに来た『勇者』など、挨拶をするまでもなく、虫けらでも見るように見下されてもおかしくないのだ。負けたのだから。

 だけど――なんだろう。この妙な落ち着き。静かに怒る人?

 エルゲナの顔は、無表情だった。どんな感情も無く、フィルートを淡々と見返し、さらっと言った。

「ご安心を。『勇者ご一行様』の見事な大敗ぶり、清々しく見届けさせていただきました。よもや主への不敬を正そうなどとは考えておりません。フィルート様に置かれましては、人生そのものが零へ帰する事態、心よりお悔やみ申し上げます」

「……くっ」

 フィルートはぐうの音も出ず、歯を食いしばる。

 ――むかつくなあああああ!

 さすが『魔王』の配下だ。

 何も聞いていないのに、フィルートの内心を読み、わざわざ癇に障る答えをくれた。

 扉を閉めたラティが、きょとんと首を傾げる。

「フィルート様……『勇者ご一行様』……?」

 ぎく、と身を強張らせたフィルートの代わりに、エルゲナが素早く応える。

「お前は気にする必要のない事です。茶を入れてください」

「あ……はい」

 まだ訳が分からない顔ながら、ラティは素直に部屋の隅に置いていたカートを押して、準備を始めた。

 ――だいたい、この部屋では僕が主人だぞ! ラティに命令するのは僕のはずだ!

 エルゲナは堂々とフィルートの許可なく、向かいのソファに腰かけ、まだ立ったままだったフィルートにすっと、席を勧めた。

「どうぞお掛け下さい、『姫様』?」

 ――いちいち、癇に障る奴だな!『姫様』なんて思ってもいない癖に!

 エルゲナは十分フィルートに含みがあるようだ。ラティの手前、反論するわけにもいかず、フィルートはふて腐れた顔でソファに沈んだ。

「で、宰相様がわざわざ、ぼ……私に何の御用ですか?」

 ――くそ! 元・男だってわかってる奴の前で女言葉を使うのは、ものすごく恥ずかしいじゃないか! 今すぐこの部屋から出ていけ、宰相!

 熱い思いを込めて睨み据えるが、エルゲナは涼しげな無表情で、フィルートの顔を見つめ返す。

「……しかし、改めて拝見いたしますと、稀に見る、可憐さでございますねえ……」

 ふわりとした白金の髪、青く澄んだ瞳、染み一つない、透けるような肌に、華奢な肢体。対して豊満な胸と、くびれのある腰。身に付ける衣装は全てアヴァン好みのレースをふんだんにつかった、超高級品。仕上げに唇に淡い紅を差せば、誰もが振り返るであろう、美少女の完成だ。

 本日も、完璧に天使の仕上がりであると分かっていたフィルートは、賞賛を侮辱と捉えた。拳を握って喚く。

「うるさいなあ、なんだよ! どうせ普通の女より華奢だよ! 力も侍女に負けちゃうよ! 男になんて、誰にも勝てないよ!」

 エルゲナは無表情で眼鏡の縁を摘まみ上げる。ローブの隙間から見えた手首に、どこかで見た文様が描かれていた。

「いやはや……女性としての振る舞いも身に付けていらっしゃるのですねえ……これなら、陛下も押し倒したくなるはずでございます」

「……」

 ――何言ってるの、このおっさん。

 喚いた自覚はあっても、女らしく振る舞った覚えは無い。意味不明だと訝しむと、彼は視線でフィルートの胸元を指し示す。フィルートは、胸の前で、小さな手のひらをぎゅっと握っていた。

「――」

 ざあ、と全身が冷える。フィルートは無言で手のひらを膝の上で重ねた。

 ――こわ! 何? 無意識? ももももしかして、僕、女になっていっていないか……?

 額に冷たい汗を滲ませたフィルートの顔をじろじろと眺め、エルゲナは淡々と頷く。

「ああ、そう恐れられる必要はございません。もはや、今後『姫様』が、『姫様』でなくなる時など未来永劫ございません。安心して、その姿に身を委ねてください」

「そういうのが嫌なんだよ! なんだよ、僕の尊厳はどうなるの? 僕の人生ってなんだったの? 僕の夢は?」

 宰相は口の端を上げた。――うわあああああ、悪魔っぽいよおおお!

 悪寒が全身を駆け巡ったフィルートに、エルゲナは抑揚のない声で言った。

「どうせ彼女を作ってちょめちょめしたいといった、非常にどうでもよろしい夢でございましょう?」

「ぐ……っ!」

 ――その通りだが、頷くもんか!

 エルゲナはさらに続ける。

「ましてや、我が主に刃向った時点で、尊厳など……与えられるはずも無いと、ご理解いただかねば……。悪ければ貴方は今頃、ここにいらっしゃいませんでしたよ……?」

 ――そ、その通りだ……っ。

 なんだか自分が我が儘を言っている気がして、フィルートはしょぼんと俯いた。

「……すみません」

「お分かり頂ければ、構いません」

 柔らかな声音で、エルゲナはほんの僅かに笑んだ。

 ――あ、なんかいい人……?

 無表情の人間が笑うと、特別に良い顔に見える。フィルートは少し嬉しくなり、にこ、と笑む。ラティがそっと紅茶を二人の前に並べた。

「では、本日の私の用件なのですが――」

「はい」

 エルゲナの指先が紅茶を取ろうと伸びた。と、思ったと同時に、彼は目の前に出現した。

「――え」

 エルゲナの足が、ローブ越しにフィルートの足に押し付けられる。漆黒のローブが視界を覆いつくし、瞳を丸くして見上げた彼の顔は、にい、といつか見た侯爵と同じ顔つきをしていた。

「――私と共に、来ていただきます」

「宰相様……っ?」

 ラティが非難めいた声を上げる。エルゲナはラティの存在は無いもののように、フィルートだけを見つめ、大きな掌が、頭を掴んだ。ちら、と揺れたローブの隙間から見えた彼の肌には、やはりどこかで見た文様が刻まれていた。

 ――どこで、見たんだっけ……。

 切迫した状況とは裏腹に、頭の動きは酷くゆっくりで、男の腕が腰に回ったと思った時には、フィルートの意識は途切れていた。



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