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 とりあえず、城から出るだけで殺害されるような呪いは早々に解いてもらおう、とフィルートは部屋の扉を自ら開いた。

「あ、フィリア様!」

 きん、と白刃が煌めき、目の前で交差する。

「……」

 フィルートは、鼻先で煌めいている刃から、そろりと視線を横にずらした。銀の甲冑に身を包んだ、衛兵が赤い眼をこちらに注いだ。

「お下がりを、姫様。陛下の許可なく、外出はまかりなりませぬ」

 扉前についている二人の衛兵が、槍をフィルートの前に交差させて、出口を塞いでいた。

 ――おおおおおい、姫様に刃向けるなよ!

 若干青ざめたフィルートの腕を、ラティが引く。

「お部屋よりご移動される際は、陛下に事前にご連絡をした後でなければ、衛兵は下がらないのです。ご説明が足りず、申し訳ございません!」

「そ、そう……。じゃあ、陛下にお伝えして欲しいな……」

 ちょっぴり腰を抜かしそうだったなんて、口が裂けても言わないぞ――。




 しばらくして、ラティがアヴァンの執務室に通る許可を貰って来てくれた。

 『鋼の塔』は、『滴の塔』と違って、妙に薄暗い。闇魔法を使う人間が使う城だからか、全体的に廊下は薄暗いのだが、『鋼の塔』は鉄格子で覆われた窓や、基本的に光が射しこむ場所が少なく、暗さが半端ない。昼間なのに灯火が灯され、より深い闇が生まれた石造りの回廊は、いい具合に不気味だ。

「どうして『鋼の塔』はこんなに暗いの?きも……じゃない、怖くない?」

 素直に気持ち悪いと、感情を吐露するところだった。

 半歩後ろを歩くラティに尋ねる。ラティはいたって平然としていた。

「陛下や、王族の皆様の寝所がございますので、防犯上、各窓を小さくし、更に全ての窓に鉄格子をはめているのです」

「ああ……防犯……」

 闇さえあればどこにでも行けるような奴に、果たして防犯対策は必要だろうか。

 ずる、となんだか嫌な音が聞こえた。即座に音のする方に目をやると、前方にある灯火の下――、一際濃い影の中から、黒い物体がずるずると湧き上がって来るところだった。

「いひぃいいい!」

 ――闇の魔物が現れた!

 フィルートは男であるプライドを忘れ、傍にいた少女に抱きつく。思いのほかしっかりとした腕に抱きしめられ、フィルートは彼女の体が自分よりも若干大きい事に気付いた。

 普通に見える女の子よりも細い自分――……。

 ――くそおおおおお、『魔王』! なんで普通の女の子以下なんだよ! ラティの腕にすっぽり収まっちゃったじゃないか! あ、でも胸は気持ちいい。

 ふっくらとした胸に顔を押し付けられ、フィルートはにや、とした。

「まあ、大丈夫ですわフィリア様。ギリナ侯爵――大臣のお一人です」

 ラティが、くす、と耳元で笑う。ああ、いつか自分の彼女にこうやって抱きしめてもらうのが僕の夢だったのに――。

 切ない気持ちで顔を上げたフィルートは、もう一度黒い塊を見やる。黒いローブを着た、六十代と見受けられる男が厳めしい顔でこちらを見下ろしていた。灰色の眉はぼさぼさだが、瞳は鷹のように鋭い。鷲鼻の下の唇は、頑固そうにひん曲がっている。

「……私を見て悲鳴を上げるなど、そなた、間者か?」

 ラティとフィルートを疑わしく交互に見やるが、もう一度フィルートを見下ろした瞳が、かっと見開いた。

 ――怖い!

 本能的に肩を竦め、両手を胸の前で拳にする。――あ! 杖、部屋に忘れてきた! 持ってきたらよかった!

 通常、杖は魔法でどこに居ても呼び出せるものだったが、フィルートはまだ杖を仕舞うことができず、使いたい場合は手で持ち運ばないといけなかった。

 ギリナ侯爵は、低く聞き取りにくい声で呟く。

金色こんじきの髪に青の瞳……」

 フィルートは若干むっとした。僕の髪は金色じゃなくて白金色だ――と、どうでも良い反発を覚えた。

 ラティが社交的な笑みで頭を下げる。

「失礼いたしました、ギリナ侯爵様。こちらは陛下のご婚約者様――フィリア様でございます。まだ城内に慣れていらっしゃらないもので、少し驚かれたのです」

 ギリナ侯爵はラティを睥睨し、鼻を鳴らす。

「確かに。噂に違うことなくお美しい姫君だ……。このような場所でいかがされましたかな?」

 にい、と悪魔のような笑顔を向けられ、フィルートはぎこちなく笑む。

「あ……し、失礼いたしました。アヴァ……いえ、陛下に、お目通りを……」

 可憐な少女の声は鈴を転がしたように甘く、薄暗い廊下に響いた。未だ自分の声とは信じがたい可愛さに、フィルートは打ち震える。僕の声は――もうちょっと格好よかったのに!

 ギリナ侯爵は納得の表情で頷き、ふと背後に目をやった。同時にラティの肩がぴくりと揺れたが、フィルートは気付かなかった。

 そしてこちらに視線を戻したギリナ侯爵は、先程の笑顔が嘘のような、柔らかな笑顔を浮かべたのだ。

「陛下でしたら、先程まで『六華の部屋』にいらっしゃいました。執務室へ行かれる前に、一度お立ち寄りになってはいかがか?」

 ――なんだ、優しい顔もできるんじゃん。

 人並みの表情に安堵したフィルートは、愛らしい笑顔を返した。

「そうですか。『六華の部屋』ですね、お伺いしてみます」

 ギリナ侯爵は優しげに首を傾げる。

「失礼ながら、『六華の部屋』の場所をご存知ですか?」

「……いいえ」

 フィルートは知らないがラティがいるのだから大丈夫だろうと言おうと思ったが、それよりも先にギリナ侯爵が頭を下げた。

「では僭越ながら、私がご案内いたしましょう」

「えっと……」

 見ず知らずのおっさんに案内されるのはどうなのだろう、とラティを見る。ラティは常にない、強い眼差しを彼に向けていた。

「いいえ、ギリナ侯爵様。フィリア様は私がご案内を申し付けられておりますので、ご安心ください」

 ギリナ侯爵はぎん、と先程までの笑みが嘘のような、鋭い眼差しをラティに向けた。ラティの肩が跳ねる。――うん。この人の顔、怖いね。

「侍女風情が私に物言うつもりか?」

「……っ」

 氷点下の冷たさで、低い声音が放たれた。ラティの顔色が悪くなる。

「命が惜しくば、下がるがよかろう。二度は言わぬ」

 フィルートはぽかんと成り行きを見守った。

 ――何このおっさん。ラティに対する態度が、鬼すぎないか?

「しかし……っ」

「……二度は言わぬと言ったはずだが?」

 これがデュナル王国での普通なのだろうか。高圧的な物言いをされたラティは、顔色悪く俯く。

 アテナ王国ではあり得ない高官と侍女のやり取りに、呆気にとられていたフィルートは、我に返った。

 ギリナ侯爵に怯えた様子にもかかわらず、ラティは辞そうとしない。恐らくアヴァンに傍仕えを命じられている手前、自らフィルートの傍を離れるわけにはいかないのだろう。

「じゃあ、ぼ……私、ギリナ侯爵のお言葉に甘えて、ご案内頂きます。ラティはどうぞ下がってください」

 これで安心して下がれるだろう、と思ったのだが、フィルートを見返した彼女の顔は、絶望に染まった。

 ――どうした、どうした? 何があった?

 ぎょっとしたが、素早くギリナ侯爵がラティとフィルートの間に滑り込み、それ以上声を掛けられなくなった。

 目の前に鷲鼻が付きつけられ、フィルートはのけ反る。赤い男の瞳は、人のよさそうな笑顔を作っていた。

「ではご案内いたしましょう。どうぞこちらへ」

「あ、はい……よろしくお願いします……」

 促されるまま進み出たフィルートが振り返ると、薄暗い廊下の真ん中で、白髪に赤い瞳の少女が顔色悪くこちらを凝視していた。

 ――……なんか、不味い選択をした予感がする……。




 自ら案内すると言った割に、ギリナ侯爵は一言も口を開かなかった。アヴァンの執務室は『鋼の塔』の五階だ。『滴の塔』から移ってきたため、三階の廊下を歩いていたフィルートは、彼の背中につき従いながら、若干不安を覚える。

 ――おいおいおっさん。何で降りて行くんだよ……。

 『六華の間』とやらが階下にあるのなら、後で上がる階数が増えることを考えて、もはやアヴァンの執務室に向かった方が楽だったと思う。

 だが今更文句も言えず、どんどん薄暗くなっていく廊下を、フィルートはおどおどと付いて行った。

 途中どんな罠も、攻撃も無く、意外にもあっさりと、ギリナ侯爵は部屋まで案内した。鋼の塔の二階、多分東の端の部屋――雪の結晶が掘り込まれた扉の前で、彼はにやりと笑う。

「こちらでございます。どうぞお入りください」

 案内を買って出た割に、扉は開けてくれないんだな、とフィルートは奇妙に思いながらも、金色のドアノブを回した。

「ありがとうございました、ギリナ様……」

 ぎい、と重い音を立てて開いた扉の中は、廊下よりも明るい。ノブから手を放し、二歩進み出たフィルートは、部屋を見渡した。

 扉の向かいにある窓から光が射しこんでいる。こじんまりとした部屋だ。四角い部屋の中央に脚の長い机が一つと、椅子が六脚。その脇に長椅子が二つに、一人掛けのソファが二つ。一人掛けのソファには、黒い軍服に身を包んだ男が、優雅に座っていた。

 皮のブーツを履いて、組んだ足は長い。漆黒の軍服は金の装飾が施され、胸を彩る勲章は見覚えがあり――高い鼻筋と形良い唇は見慣れた男と同じだが、その瞳はやや垂れている。大きな違いは、襟足で束ねた長い髪――。

「――」

 フィルートはくるりと踵を返した。にやりと笑んだギリナ侯爵が、ぱたんと扉を閉めた。

「いやああああ! 閉めないで! 待って!」

 がちゃり、と嫌な音が聞こえ、フィルートはドアノブを必死に回す。しかし無情にも、扉は既にロックされていた。

「……これはこれは、私の妖精が自ら足を運んでくれるとは……なんと光栄な」

 低い、笑い含みの声が背中から聞こえ、フィルートは慌てて振り返る。びたん、と美しくない音を立てて、背中を扉に密着させた。

 フィルートをご所望と名高い、ルークがゆらりと立ち上がるところだった。

 赤い双眸が、愉快気に細められる。

 フィルートは首を振った。

「いやいやいや。待って! それ以上近づかないで! っていうか、出して! ここから!」

 ――まずい! アヴァンに見つかったら殺されるよおおおお!

 二人きりになるなという命令に背いた。

 そして万が一ここで襲われようものなら、自ら純潔を捧げたと判断されるだろう。

 お仕置きなんかでは済まない。

 ルークは指先で前髪を払い、にや、と笑う。袖口から覗いた手首に、おしゃれなのか、変な模様が描かれていた。

「おや。お願いをするなら、その代償を差し出さねばならないものですよ、フィリア姫」

 フィルートは額に汗をにじませつつ、頷いた。

「あ、はい。何……何が欲しいのでしょうか……?」

 ルークは明るく笑った。わあ、良い笑顔――。

「貴方の純潔でいいですよ」

 ――部屋から出るだけに、どれだけあこぎな要求するんだ、この悪魔!

 フィルートはぶんぶんと首を振る。

「無理です! アヴァ……陛下が! 陛下がお怒りになるので……!」

 ルークは、下らない、と言わんばかりに鼻で笑った。

「貴方が私と二人きりになった時点で、もうお怒りは絶対ですよ……」

「でも、ほら! 秘密にすれば、大丈夫です。それに、もしも知れたとしても、数分しか一緒にいなかったとわかれば、陛下もお分かりになります!」

 事に及べないほどの短時間なら、まだ許される可能性がある。

 ルークは輝く笑顔を浮かべた。

「これから致すというのに、数分では終わりかねますよ、フィリア姫……」

 ――致すって何を?

 と、聞き返す間もなく、漆黒の悪魔は、瞬間移動でフィルートを扉と自分の間に閉じ込めた。両腕を扉につき、見下ろしてくるルークの瞳は、期待に満ちた雄々しいものだった。

「うう……」

 フィルートの目に涙が滲んだ。ルークは近距離にもかかわらず、わざわざ影を抜けて、フィルートの目の前に忽然と出現したのだった。

 ずる、と何かが這う音が聞こえる。逃げ場を失って彷徨うフィルートの青い瞳は、足元を蠢く、無数の蛇のような影を映し、愕然と見開かれた。

「へ……蛇……?」

 ――ぎゃあああああ、蛇は嫌い! 蛇は嫌いなんだよおお!

 本能的に両腕で上半身を抱きしめると、耳元でごくり、と生唾を飲み込む音が聞こえた。

「…………」

 恐る恐る目を上げると、猛禽類の眼差しが、フィルートの胸元に注がれている。熱い吐息が、耳元に掛かる。

「ああ……なんと恐ろしい姫だ……。嫌がる素振りをしながら……自ら私を煽るとは……」

 ざわ、と寒気が襲った。ルークの手が腰を撫でると同時に、足元から、ずる、と漆黒の蛇が這いあがって来たのだ。

 その感触が、ぬちゃ、と濡れていて、フィルートは総毛だった。

「や……や……」

 もう声も出ない。蛇が足を這いあがってくる感触に、フィルートは唇を引き結び、ぎゅっと目を閉じた。

 ルークが耳元から首筋を撫で、目の前で笑った気配がする。

「ああ……いい子ですね……。安心しなさい……私の触手と、私自身で、貴方を高みへいざなってあげます……」

「……っ」

 ――何言ってるんだよおおお! どうでも良いから、蛇どけろよ! 蛇!

 フィルートはびくっと震え、目を見開いた。目の前に赤い瞳がある。だが意識は、脚に集中した。黒い蛇が肌を撫でる毎に、ぞく、と妙な感覚が生まれたからだ。しかも、蛇が両足に絡みついて、じっとりと這いあがってくる。

「や……め……」

 じり、と蛇が這った場所が熱を帯びる。肌を這いあがられる毎に、膝が笑って行く。

「ああ……愛らしい瞳だ……」

 恍惚とした声で、ルークが目元に口付ける。だがそんなことはどうでも良かった。

 蛇が太ももに到達すると同時に、フィルートは唇を震わせる。怯える眼差しを、目の前の男に向けた。

「やめ……やめろ……」

 ルークは、にっこりと笑う。

「なぜ?気持ちいいでしょう、私の触手は……」

「やだ……」

 太ももを舐められているような錯覚に陥る。蛇が触れているところから、肌の中に何かが染み込んでくる。肌と肉の間に熱い何かが広がり、上へ上へと上がって行く。触手は止まる気配を見せず、フィルートの足の付け根まで這い上がり、下着の隙間から入り込もうとした。

「……っ」

 総毛立つほどの恐怖に襲われ、手で押さえようとしたが、いつの間にか両手首をルークが捕らえている。

「ダメ……駄目、駄目だって……!」

 触手があり得ない場所を撫でようとした瞬間、フィルートは堪えきれず、叫んだ。

「いやだああああ、くそアヴァン――!」

 があん、と鼓膜をつんざく爆音が上がったのは、一拍後だった。



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