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この作品には 〔ガールズラブ要素〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

お祭り女とカボチャの約束

作者: 白湊ユキ

【ご挨拶・ご注意などなど】

★初投稿です。拙筆ですが、よろしくお願いします。

★本作はガールズ・ラブ要素しかありません。苦手な方はご注意ください。

★諸事情によりハロウィンからだいぶ遅れての投稿になってしまいました。それだけが悔やまれます……。


「トリック・オア・トリートぉ!!!」

 廊下の曲がり角から、でかいカボチャ頭の女子高生が躍り出てきた。

 エクスクラメーションマークが三つくらい付いた、少し舌っ足らずな声。ランタンっぽい形をしたかごを突き出してお菓子を要求するその子を、私が間違えるはずはない。

「——あぁ! やめて取らないで……」

 無防備なカボチャを取り上げると、私より頭一つ分も小柄な少女は、羽織った黒いマントを翻して顔を隠す。胸元の高い位置を飾りボタンで留めてあるマット地の布が広がって、セーラーカラーの冬服が覗いた。

 その子の軽やかなアッシュグレーの髪を見下ろして言う。

「朝から何してんのよ、みい」

 名前を呼ばれて観念したのか。みい——都築美衣香は顔を隠すのをやめ、ぱっちりとした目で私を見上げて舌を出す。

「何って。きょーちゃんこそ、今日は何の日だか知らないの?」

 もちろん知っている。今朝、カレンダーを見てげんなりしたばっかりだ。

 みいから取り上げた黄色いカボチャに目を移す。三角形が三つと、ギザギザにへこんだ三日月形をくり抜いて構成された表情は、妙に愛嬌があって腹が立つ。ハロウィンの定番、ジャック・オー・ランタン。要するに、すっかりお祭りモードというわけだ。

 それにしても、でかい。両手に一抱えほどもある。触ってみた感じ、さすがに本物のカボチャではなかった。表面は紙でできているように見えるけど、いったい何が詰まっているんだろう。意外と重かった。

 こんなの被ってたら肩が凝りそうだ。

「今日はハロウィン! 楽しいお祭りの日なのだよ」

「みいは毎日お祭りみたいなもんでしょ。ほら」

 私はカボチャを小脇いっぱいいっぱいに抱えると、通学鞄のポケットに突っ込んでおいたチョコを、みいの手元のかごに放り投げる。

「じゃあ私は先を急ぐから。ばいばい」

「わぁい、ありがと! それじゃあ、またね——って違うよ!」

 と、踵を返しかけたみいだったが、本来の目的を思い出したのか踏み止まる。ちぇ、上手く躱したと思ったんだけどな。

「きょーちゃんを誘いにきたんだ。商店街のハロウィン・パレード、一緒に出よう」

「ええー……」

「今年は暇でしょー? ねえねえ、一緒にでーよーう」

 そらきた。

 私の手を取って、駄々をこねる子どもようにすり寄ってくるみい。もう毎年の恒例行事だ。

「今日は家の用事があるから無理」

「あ、それなら心配ないよ。今夜は食事当番代わってほしいって、おばさんにお願いしといたもん。グラタンだってさー」

 グラタンかぁ。最近寒くなってきたし、きっと美味しいだろうな。

 ——なんて言ってる場合じゃない。

「は? ウチに寄ったの?」

「うん。きょーちゃんは出た後だったけどね」

 通学路は被っているはずなのに、いつの間に追い抜かれたのか……。

 しかも、ママに許可を取り付けているなんて用意周到にも程がある。みいの本気度が垣間見えた気がして、ちょっと気圧されてしまう。

「と、とにかくハロウィンは無理。毎年言ってるでしょ」

「そんなこと言って! クラス替わってから、一度も付き合ってくれてないよ」

「う……。そ、それは——」

 みいの指摘に後ろめたさが先行する。

 勢いに負けて一歩一歩と下がっているうちに、あっという間に壁際に追い込まれていた。

「一生のお願いだよ、ねぇ?」

 みいは瑞々しく健康的な唇を尖らせて、私の目を覗き込むように身を乗り出す。

 両手に抱えたカボチャ越しに、みいの羨ましいほど軽めな体重がのし掛かってくる。試しに押し返してみたけど、肩をがっちりホールドされているせいで逃げられなかった。小柄なくせに、普段やんちゃしているせいか無駄に力がある。

 近い、近すぎだってば……。

 私は背にした張り出し窓の空間に向かって上体を反らせることで、何とか顔だけでも距離を空ける。そうでもしないと、息苦しくて落ち着かなかった。

 この状況は——、やばい。

 しかも、朝の廊下なんて、特に人通りの多い時間帯のこと。このままだとあらぬ噂が立ちそうだ。

 焦る私に助け舟が降臨したのは、そのときだった。

「みっちゃん、いつまでやってんだよー!」

「早くしないと一限遅れちゃうよ!」

 廊下の先で二人の女子が、みいを呼んでいる。片方がリコーダーを頭の上で振っているので、きっと音楽の授業だ。音楽室はここから遠いし、そろそろ移動しておかないと遅刻確定だ。

 そっちに気を取られたのか、みいの体からちょっとだけ力が抜ける。

「——ほら、急がないとやばいんじゃない? 滝本先生、遅れると怖いぞー」

「やだ! きょーちゃんがうんって言うまで、絶対離さない」

 首をぶんぶん振るみいは、完全に駄々っ子になっていた。こうなるとしつこい。

「何でそんなに拘るのよ。私じゃなくたって、一緒に行ってくれる子はいっぱいいるでしょ?」

「きょーちゃんとじゃなきゃ嫌」

「どうして?」

「ハロウィンだからね」

「何それ、意味分かんない」

 肩を掴む手首に巻かれた腕時計を、ちらりと確認する。一限目がもう間もなく始まろうという時間だった。

 このままだと、みいばかりか私まで遅れる羽目になってしまう。一応優等生で通してるだけに、受験を控えたこの時期の遅刻は避けたい。みいを引き剥がしてこの場を収める最良の手は——、悪いけどこれしかないか。

「分かった分かった。放課後までに考えとくから、とりあえず離して」

「——絶対だよ?」

 みいは再び私の鼻先まで顔を近づけて囁いた後、渋々といった様子で離れてくれた。

 胸にのしかかっていた重みがなくなって、お腹の底にバランスの悪い虚脱感だけが残る。

 後でちゃんと断ろう。別に嘘を吐いたわけじゃない。そう自分に言い聞かせる。それでも、みいの「信じてる」と言わんばかりの眼差しが痛々しかった。

「約束したからね! 放課後迎えに行くから!」

「ちょっと、これ持って行きなさいよ!」

 言い残すと、みいはマントをはためかせて走り去った。私の両手に、巨大なカボチャ頭を残したまま。

 久しぶりにやってきたお祭り女は、今回も私を振り回す。そんな予感が頭を掠めた。


   *


 カボチャは結局、教室の後ろのスペースに置かせてもらうことにした。

 被るという選択肢は論外。机の上に置くわけにはいかないし、それができるサイズでもない。当然、ロッカーも無理だ。いっそのこと、みいが出払っているうちに返品してやることも考えたが、泣く泣く却下した。というのも、みいの机の上には、既に同じサイズのカボチャが鎮座していたからだ。いったいいくつ用意したんだ、あのお祭り女。

 まあ、あるものはあるんだからしょうがない。どうせ放課後になったら突っ返しに行くのだ。とりあえず自分の席が窓際の最後列で良かったとこれほど実感できるのは、後にも先にも今回だけかもしれない。

 暢気にそんな風に思っていた。風邪を引いた先生の代理でやって来た、初老のシスターの顔を見るまでは。運の悪いことに、その人は理不尽なくらい厳しいことで有名な浅木先生だった。

「遠山さん、それは何ですか?」

「ええと……。カボチャです」

 隣りの席の赤城がくすくす忍び笑っているのが、視界の端に映る。あとで絶対泣かす。

「そんなことは見れば分かります。何でそんなものが、教室にあるかを聞いているのです」

 それは私が聞きたい。

 えーと、みいは何て言ってたっけ——。

「は、ハロウィンだからじゃないですかね……?」

 口にした瞬間、言葉の選択を誤ったと悟る。

 赤城がついに吹き出した。耳まで真っ赤にして。俯き気味に恐る恐る伺うと、浅木先生の顔も真っ赤に染まっている。

「貴女はしっかりしていると思っていたのに。受験前にもなって、そんなに浮ついた気持ちでどうするのですか!?」

「す、すみません……っ!」

 雷が落ちた。その迫力は教室全体を震わせて、隣のクラスまで響いたという。その中心地点にいた私は反射的に頭を下げ——、下げすぎて机に頭をぶつけながら、平身低頭、平謝りする。

 何で私が謝らなきゃいけないんだろう。

 やっぱりハロウィンなんて嫌いだ。

 後ろで素知らぬ顔をしているカボチャを、猛烈に蹴り飛ばしてやりたくなった。


「杏子もよくやるわぁ。まさに火に油だったね」

「好きでやったんじゃないよ、もう……」

 まだずきずき痛むおでこに氷嚢を当てて、赤城を睨む。他人事だと思って。わざわざ部室から借りてきてくれた恩は感じるけど、さっき笑ってくれた恨みと相殺されて、お礼を言う気はちっとも起きない。

「みっちゃんは相変わらずって感じか。お姉ちゃんは大変ですねぇ」

「別にお姉ちゃんじゃないし」

 とは言ったものの、私とみいは姉妹のように扱われることが多々あった。

 みいは、基本的には明るく活発な普通の女の子だ。しかし、思い出したように突飛な行動をするせいで、クラスではちょっと浮いていた。

 初めて会話らしい会話をしたのは、六年前の秋のこと。その日から何故か懐かれてしまった私は、みいのお守りをすることが多くなった。中等部を経て高等部、エスカレーター式に進級を重ねていく私とみいは、示し合わせたようにずっと同じクラスになった。

 別にお互い、他の友達がいなかったわけじゃない。でも、みいがやんちゃする度に歯止め役はどうしても必要で、それだけは何故か私に回ってくるのだった。

 災難は、特に祭りと名のつく日に多かった。

 花祭り、七夕祭り、夏祭り、文化祭に体育祭に、ひな祭り——数え上げればきりがない『お祭り』の度に、無理やり引っ張り回されるのが常だった。しかも仮装好きときているから始末が悪い。ペア物はその最たる例で、みいが織姫をやれば私は彦星にさせられたし、女雛をやるときは決まって男雛にされるのだった。

 そんな風に、私たちの腐れ縁みたいなものは続いてきた。

 しかし、高等部も三年になって、ついにクラスが分かれた。クラスが変わると接点がなくなるなんて珍しい話じゃない。合同でやる授業はなかったし、みいは手芸部で、私はバスケ部。最寄り駅は一緒だけど、何も用事がないのに行き来するほど家も近くない。そうしてほとんど会うこともなくなった現在では、晴れてお役御免というわけだ。

「強がっちゃって。本当は寂しがってたくせに」

「まさか。肩の荷が下りた気分だったわよ。おかげさまで部活に集中できたもん」

「まぁ、部活のことはちょっと同意するけど。四月からの杏子の活躍っぷり、半端なかったよねぇ」

 同じくバスケ部だった赤城は、感慨深そうに言う。私が六番、赤城が七番。大会では揃ってフル出場した仲だ。

 まあ正直、赤城の方が私よりずっと上手いのだけど。引退しても変わらないショートの髪と、長身で程よく筋肉の付いた長い手足を持つ彼女は、女子校にあって固定ファンが付くほど人気がある。

「——で、あれは? そのまま置いとくの?」

「うん。帰りにあいつに持って行かせる」

 無事、というべきかどうか。件のカボチャは、今も教室の後ろに鎮座している。

 浅木先生もさすがにその場で何とかしろとは言わなかった。取り上げられそうになったときは焦ったけど。今日中に持ち帰ることを条件に何とか容認してもらったのだ。

 何であんな必死にお願いしちゃったんだろう。別に私が困るわけじゃないのに。

 自己嫌悪だかなんだか分からない、もやもやしたものを抱えつつ、腫れたおでこを撫でる。

 赤城はカボチャの側に寄って、ぺたぺた触り始めた。

「しかしよく出来てるわぁ。本物みたい」

「器用なだけが取り柄だからね」

「またそんな言い方するんだから。みっちゃんかわいそー」

「ふーん。赤城はみいの味方するんだ」

「でも、結構手間かかってると思うのよねぇ、これ」

 カボチャを撫でくり回す赤城。案外可愛いもの好きなのだ。

「それなのに、毎年誰かさんに振られて、一人でパレードに参加してると思うと——」

 赤城は冗談めかして大げさに言う。

「は? 一人って……」

「知らなかった? 毎年行ってるのよ、みっちゃん」

 パレードに誘われるのは今年で通算六回目、全て口実を付けて断ってきた。

 みいのお祭りテンションに付き合えるのなんて、当時は私くらいだったから、てっきり諦めていたものと思っていた。なのに、まさか参加していたなんて。本人からは一度も聞いたことがない。

「一度くらいは行ってあげてもいいんじゃないの? 杏子の個人的事情ってやつは置いといて、卒業したらどうなるか分からないんだから」

 卒業——。その単語がやけに現実的な重みを持って襲いかかってくる。

 もし断ったら、みいは今年も一人で行くんだろうか。確かにそれは寂しそうだった。

 ——それとも、今年は別の誰かを誘うんだろうか。

 仕方ない。行くかどうかは別にして、話くらいは聞いてやってもいいかもしれない。

 でも、二人っきりになるのはなぁ。先ほどのやり取りの後だし、気まずい。

「ねえ、赤城。ちょっとお願いが……」

「んー? 何かしら、きょーちゃん?」

 赤城の質の悪いにやにや笑いが目の前にあった。

「何よ、しゃーないじゃん!」

 その視線に堪えられなくなって顔を背けた先には、無邪気なにやにやを浮かべたカボチャ。まるでつまみ食いの現場を見られた子どものような気分だった。


   *


「トリック・オア・トリートぉ!!!」

「うお、びっくりしたぁ」

 隣りで赤城が呟く。

 朝より重たくなった気のするカボチャを抱えて教室を出た私の前に、今朝と同じ光景が広がっている。違うところは、三匹に増えていることだ。微妙に表情の違うそいつらは、お揃いのかごを同じような動作で突き出している。

 通りがかるクラスメイト達は、わざわざ廊下の隅を歩き過ぎて行く。完全に通行の邪魔だった。

「お、お菓子をよこせー」

 右のカボチャが棒読みで口火を切る。事前に打ち合わせてたっぽい登場の仕方だったが、細くて可愛らしい声は頼りなさげで、何だか初々しい。

「でないと目玉を抉り出すぞー」

 左のカボチャは対照的にノリノリで続いた。

 その予想外の異音に、その場を通りがかった全員が二度見する。ニュースとか深夜番組とかで聞くような機械的なダミ声。変声機でも仕込んでいるんだろうか。仮装どころか、正体不明の不審者がそこにいた。

「はっぴ~は~ろうぃ~ん!!!」

 そんな二人を引き連れてトリを取るのは、真ん中のカボチャ。エクスクラメーションマークが余裕で三つは浮かんだ叫びが、大理石の廊下を震わせる。

「いや、アンハッピーなんですけど」

「わたしはハッピーだから、何の問題もないよ!」

 無言で抱えたカボチャを置いてから、胸ポケットに忍ばせた飴玉を二つ摘み上げ、両サイドのかごに放ってやる。それは綺麗な弧を描いて宙を舞い、過たずかごの中に収まった。

「おお!」

「すごーい」

「…………」

 かごを覗きこんだ二人が歓声を上げる。

 真ん中のカボチャだけはそれに加わらず、存在を主張するようにぴょんぴょん飛び跳ねる。

「ねえねえ、わたしには?」

「みいには朝あげたじゃない。一人一日一個って決まってるの、知らない?」

「がーん」

 嘘だけど。

 大げさに頭を抱えて見せるみい。その様子を眺めているうちに、もうちょっと悪戯したい気持ちが湧いてきた。

「——へ?」

 朝と同じように被っているカボチャを取り上げ、頭上で掲げ持つ。みいのきょとんとした顔が露わになった。

「ひ、ひどい! 届かないっ、よ!」

 一生懸命伸び上がって取り返そうとする姿が、何かを連想させる。

 あ、猫だ。蛍光灯からぶら下がった紐に戯れ付くウチの猫そっくりだ。

 そんなみいに、赤城が近づいていく。

「はぁい、みっちゃん」

「赤城っち! 久しぶりだねー!」

 ごく自然にハグをするみいと、それを余裕たっぷりに受け止める赤城。その光景は、身長差も相まって親子に見える。

「いちゃついてる場合だっけ? きょーちゃん?」

 赤城が今日何度目かのにやにや顔を私に向けて聞いてくる。普段そんな呼び方しないくせに。

「ほらー、みっちゃんも。遠山さんにお話があるんじゃなかった?」

「そーだった。ちゃんと迎えにきたよ! さあ、みんなでパレードに行こー!」

 みいの期待のこもった眼差しを受けて、お腹の底に隠れていた罪悪感が再びちくりと痛む。

「それなんだけどさ、みい——」

「あ、赤城っちもどう!?」

「あら、いいわねぇ。行こうかしら」

「は、はあぁ!?」

 みいの誘いに赤城が即答する。おいおい、話が違うぞ赤城さん。

「でも、私たち仮装の用意してないの。何か貸してもらえない?」

「手芸部に行けば色々あるよー。ガッちゃん、コンちゃん。赤城っちの分もある?」

「うん」「あたぼーよぉ!」

 左右のカボチャが口々に請け負った。

 事態はトントン拍子に、私が予期していない方向へと転がっていく。

「ちょっと、みい——」

「だいじょーぶ、きょーちゃんには——むぎゅっ」

 カボチャを被せて、ひとまずみいを黙らせる。

「か、勝手に話を進めないで!」

「別にいいじゃない。言いたいことがあるんなら、着替えついでにみっちゃんと話しなさいな」

 この流れを作った元凶である赤城が、こそっと耳打ちしてくる。

「断るなら断るでいいけど、杏子と関係なく私は参加する。こっちでお祭りなんて、今年で最後かもしれないもの」

 赤城にとっては、確かにそうかもしれない。女子バスの強豪チームがある、他県の大学に進学することが決まっているのだ。地元に残る私としてはあまりピンとこない話だが、そう言われてしまうとぐうの音も出ない。まんまと赤城のペースに乗せられていた。

「……どうでもいいけど。これはどうするのよ」

 大理石の冷たい床の上で笑っているカボチャを指差す。今朝、みいに押し付けられたやつだ。

「あげる! 被って!」

「は?」

 気のせいかな。私もカボチャの一員になれと言われたような。

「まあまあ。せっかくパレードに出るんだから、仮装した方が楽しいでしょう?」

 だから出るとは一言も言ってないんだって。

「ほれほれ、お三方!行きませうぞー」

 廊下に響き渡るダミ声が私たちを呼ぶ。みい以外のカボチャ二人が先導して歩き出したので、とりあえずそれに続くことにする。赤城はすたすたと先に行ってしまう。

「さあ、行こうよ! きょーちゃん」

 みいが差し出した手を、渋々取った。相変わらずちっちゃくてマシュマロみたいな、私よりも体温の高い手だった。


 部室棟にある一室の前に、手書きっぽい丸文字で『手芸部』と書かれたコルクボードが掛かっている。

 一言で言うと、手芸の定義がよく分からなくなりそうな部屋だった。

 室内にあるのは、大きな作業机が四つとミシンやアイロン台がいくつか。窓側の作業机の上には、みいたちが被っているカボチャと同じ形の、白い紙粘土が置かれている。制作途中なんだろう、顔も彫られていない。というか、一体いくつ作るつもりなんだ。隅っこの一角に目を移すと、万力とか電動ノコギリとか、それ以外にも見たこともない工具類がたくさん転がっている。側には木の板や金属の棒が立て掛けられていて、もはや何でもござれと言わんばかりだ。さすが、演劇部から大道具のヘルプを頼まれるだけのことはある。

 みいは、廊下側の壁際に設置されたブラウンのクローゼットの前に歩いていくと、鏡開きの扉を開け放つ。

 道すがら運ばされ続けたカボチャを机の上に置いて、私もそっちを覗き込む。中には黒いマントが二着掛かっていた。

「カボチャもそうだけど、いったい何セットあるのよ?」

「五セットっすな」

「本当はもう一人参加するはずだったんだけど。その子、先週からインフルエンザにかかっちゃって……」

「つまり、私はその子の遺志を継いで参加するのね」

 赤城は神妙な面持ちで呟いた。そんな大げさなものじゃないと思うんだけど。カボチャ三人組が何故かうんうん頷いているので、あえて突っ込むまい。それよりも気になるのは。

「あれ、それなら四セットで良くない?」

「きょーちゃんの分は最初から数に入ってるもん」

 みいは、さも当然のことを今更という感じで言ってくる。

「まじかぁ……」

「今だ! 行け、みっちゃん。遠山さんに着せちゃれ」

「おおー!」

 ダミ声カボチャに唆されたみいカボチャが私の後ろに回り込み、ばさっとマントを肩にかける。それから肩越しに手を回して、胸元の飾りボタンを留めてくる。

「意外と着心地いいのね」

 マット地の厚い生地は滑らかで手触りが良かった。何より夜中でも暖かそうだ。この季節にはありがたい。ちょっと重いけど。

 丸く広がった立て襟には針金が入っている。さらに肩の辺りに裏地が縫い付けてあって、シルエットが崩れにくいよう工夫されていた。さっきまで後ろ姿はあまり見ていなかったけど、紫とオレンジのラメが光っていて、これも可愛い。

「じゃーん。そしてこのかごを持ってね」

 クローゼットの棚にあった、円筒形のランタンっぽい形状のかごを手渡される。これも三人が持っているのと同じだ。

 蓋を開けて覗き込んでみると、中は思いの外浅い。この下は何が入っているんだろう。そう思ってかごの下半分を見てみると、側面にスイッチが付いていた。好奇心で押してみると、スイッチの反対側の面が丸く発光する。

 おお、光った。橙色の温かみのある光は、何となくガス灯っぽい感じにも見える。

「何か本格的ね。楽しくなってきちゃった。みっちゃん、私のもあるかしら?」

「マントとかごはあるよー。でも、ごめん! カボチャが間に合わなかったんだぁ……」

 奥の作業机に置かれた作りかけの白いカボチャを見て、私の頭にふと名案が浮かぶ。

「なら、赤城がこれ被ればいいんじゃないの?」

 手前の机の上でにやにや笑いしている、完成品のカボチャを指す。

「だめ!」「却下ね」

 みいと赤城に同時にダメ出しされる。

「そこらへんは問題ないっすよ。隣の物置に色々あるんで」

 ダミ声カボチャはそう言いながら、物置に繋がっているらしい扉を指差す。

「そういえば、二人も手芸部なんだ?」

「うん。紹介したことなかったよね。二人は、ガッちゃんとコンちゃんってゆーの。同じクラスで手芸部で、この衣装もみんなで作ったんだよ」

「へぇ——」

「よろしくです」「ドウモー、コンチャンデス」

 ガッちゃんとコンちゃんが揃って『ないすとぅーみーちゅー』を唱える。素顔も本名も明かされていない。そんな身も蓋もない自己紹介は、ちょっと奇妙な感じがして可笑しい。

「こっちはきょーちゃんと赤城っち! あれ、きょーちゃん笑ってる?」

「笑ってない。そんなことより、ちゃんと名前で紹介しなさいよ。——元バスケ部の遠山です」

「同じく赤城よ。よろしく」

 今朝みいを呼んでいたのも、この二人だったのかな。カボチャ姿しか見ていないから、何とも判断が付かない。一人に至っては声まで変えてるし。

 何にせよ、こんな遊びに付き合ってくれる友達ができたなんて知らなかった。昔からお祭り好きなみいの相手をしていたのは私だけだったから。それは、幸せなことかもしれない。

「マントは裁縫が得意なガッちゃんが作ってくれて、このかごはコンちゃんの手編み!」

「みいは?」

「カボチャ!」

「だよね。赤城もよくできてるって褒めてた」

「きょーちゃんは褒めてくれないの?」

「そうねー。可愛いと思うよ。被るのはちょっと恥ずかしいけど」

「わぉ、ひねくれもの」

 茶化してくる赤城。うるさい。

「素直じゃないのが、きょーちゃんらしくていいんだよ」

「ノロケか、このぉこのぉ」

 みいはこの上なく失礼なことを臆面もなく言い放つ。そんなみいカボチャをぽこぽこ叩いて、コンちゃんが突っ込みを入れる。

 しまったなぁ。ここまで流されてきてしまったことに対して、後悔が湧き上がってきた。

 みいを中心に流れる緩やかな雰囲気。それはグラタンの中に入ったカボチャみたいなものだ。熱くてすぐには食べられないくせに、口の中に入れるとあっという間に溶けてしまう。甘すぎてちょっと食べたらお腹いっぱいになって、それでもまた食べたくなる。そうしてカボチャばかり食べて穴ぼこだらけになったお皿の中は、意地汚い自分を見せられているようで落ち着かなくなる。

「よっしゃ、ちょっくら物置に行きませう。ほれガッツも。あの帽子なんて赤城っちに似合うんでね?」

「そうだねー。みっちゃん、遠山さん。少しだけ待っててくださいね」

「せっかくだから、私にも見せてほしいな。特殊メイクっぽいのとかあったりしない?」

「絵の具なら。演劇部から借りたのがあるかも」

 赤城たちは、連れ立って隣の部屋に入っていく。木製の引き戸は、三人が部屋に入るとパタンと閉じた。

 図らずも二人っきりで残されてしまう。みいはこちらにカボチャの笑顔を向けて聞いてくる。

「どう?」

 何に対しての『どう?』なのか。複雑な意味がこもっている気もするし、考えなしの質問かもしれない。仕方ないので、適当に衣装を眺めながら答える。

「凝ってるね。さすが手芸部」

「あ、欲しかったら本当にあげるよ」

「——いらない」

「がーん」

 さて、残すはコイツだけ。なんだかんだで朝からずっと行動を共にしているカボチャと睨めっこする。

 これを被ったら引き返せない。根拠はないけどそんな気がした。何となく、自分の中での決意表明になってしまいそうなのだ。

 だからその前に——。

「そのままじゃ被りにくいよね。結んであげるー」

 勧められた椅子に腰を下ろすと、みいが背後に立つ気配がする。ごとっと、カボチャを脱いで机の上に置いたらしい音。偶然にも丁度良いタイミングが訪れた。

「みい、ちょっと話しようか」

「なぁに?」

 みいの指がさらさらと私の髪を抜けていく。その心地良いくすぐったさに身を任せたくなる。しかし、言うべきことはきちんと言わなきゃいけないので、気合いを入れ直す。

「前に私のママたちのこと、話したよね」

「うん」

「だったら分かると思うけど、私は正直あんまりパレード行きたくない。赤城のせいでこんなとこまで来ちゃったけど、本当はさっき断るつもりだったんだから」

「赤城っちとだったら行くんだぁ?」

「違うわよ。真面目に聞いて」

 話の腰を折って茶化してくるみい。珍しい。言葉の端にちっちゃい棘を感じたのは、気のせいということにしておいた。

「きょーちゃんが行かないなら、わたしも行かない」

「はぁ? こんなに準備しといて、もったいないんじゃない?」

「きょーちゃんと一緒に行くことに意味があるんだもん」

「でも、私はみいと同じようにハロウィンを楽しめない。一緒に行ってもはしゃげないし、空気読めない感じになっちゃうと思う」

 毎年、この日の断り文句だけは慎重に選ぶ。

 私はハロウィンが嫌いだ。ストレートにそう言えばいいのかもしれない。しかし、みいにとって、とても大事な『お祭り』だということも知っている。だから面倒だけど、十月三十一日をネガティブな言葉で飾りたくはないと思う。

「いいよ。きょーちゃんが付いてきてくれるだけで、わたしは嬉しいんだ」

 花もリボンも何の飾り気もない、率直なみいの言葉。嬉しいとか楽しいとか、そういうポジティブな気持ちをそのままぶつけてくる。それに比べてあれこれ考えがちで、感情を上手く表現できない私は、時々たじろいでしまう。『きょーちゃんはどうなの?』そう問われている気がして。

「はぁ……。いつも自分勝手よね、みいは」

「きょーちゃんだけにはね」

「それは迷惑だこと」

「はい、可愛い三つ編みのできあがりぃ!」

「ありがと」

 腰のポケットから出した手鏡を覗き込む。そこに口元を引き結んだむっつり顔が映る。見慣れた自分の顔。暗めの茶色にカラーリングされた三つ編みの先端が左肩にかかっている。

 みいの言葉は本心か、私を連れていくための口実か。

 ——毎年行ってるのよ、みっちゃん。赤城の話をふと思い出す。

「みい、去年はどうしてたの? 私が断った後——」

 そのとき——。

 ぎゅっと。

「バスケやってる割に細いよね。きょーちゃんって」

 みいの両腕が私の肩を通って、胸元で交差されている。

 髪を纏めたせいで遮るものがない首筋に、みいの声を直に感じる。

「それは胸の脂肪的な意味でしょうか?」

「うーん……。確かに少ないかも」

「この、コイツめ! 今すぐ離せっ」

「あはは、怒らないでよー。大丈夫、知ってるから。柔らかくて気持ちいいんだよね」

「いや、それはちょっとひく……」

「がーん、褒めたのに」

 二人っきりでいると、みいは甘えん坊になる。他の人がいる場所でも、姉妹扱いが定着するくらいには甘えてくる。でもそれは、懐くとか頼るとかそういった種類のものであって、今感じている雰囲気とはちょっと違う。物理的な繋がりというか、触れるということに意味を求めるような、そんな甘え方になるのだ。

 お互い一人っ子なので、他人には覗くことのできない、兄弟姉妹同士の時間の過ごし方を知らないせいかもしれない。

「行こうよ、きょーちゃん。わたしずっと待ってるんだよ」

 みいの指が私の頬を撫でる。背中から伝わる熱は、確実に私の心拍に影響を及ぼしていた。

 これは、よくない。

「みい、ちょっと——」

 離して。

 そう口にしようとした瞬間、赤城たちが入った部屋の引き戸がキィと音を立てて開く。

「お似合いですなー!」

 いきなり飛び込んできたダミ声の感嘆とその内容に心臓を掴まれた。思わず頭を上げて身じろぎすると、みいが離れていく。

「そうかしら? こういう格好するの初めてだから、変じゃない?」

「すごく格好いいです。それにしても本当に背高いよねー。羨ましいなぁ」

 カボチャ二人に続いて物置から出てきた赤城は、天辺が中ほどから折れた三角錐の黒い帽子を被っていた。丸い大きな鍔が目元に影を落としている。手作り感溢れる竹の箒まで携えて、さながら下僕を引き連れた魔女といった感じだ。

 その魔女様は、みいと私の側にある机の椅子に腰掛けると、手早くメイク道具を広げ出す。

「ガッツじゃ宝の持ち腐れっしょ。運動音痴ここに極まれりだかんねー」

「ひっどーい、コンちゃんだって人のこと言えないのに」

「二人とも、メイク手伝って。おねがーい」

「へい、アネゴ」

 きびきび仕切る赤城に、コンちゃんがぱっぱと応えていく。ガッちゃんはわたわたとしながら、でもコンちゃんの手がいっぱいなときを適切に察して手伝っている。息の合った二人だなぁとちょっと感心していると、既にカボチャを被っていたみいが、そっちにとてとて走っていく。

「おかえりー」

「よう、ただいまだぜー。みっちゃんも手伝って、右の頬っぺた。ヨロ!」

 よかった、たぶん見られてない。まあ別に見られてどうこうなるとは思わないけど。仮にも去年までは親友なんてやっていたわけだし。それに、みいが甘え症なのは周知の事実である。

 それでもあの瞬間は誰にも見られたくない。そう思うのは、私にやましい気持ちがあるからだ。穴ぼこだらけのグラタン皿が、目の前にいくつも並んでいる。そんな光景が浮かんだ。

「さて、これからきょーちゃんがカボチャを被りまーす。ぱちぱち」

「は、はぁ……!?」

 突然話を振られて付いていけなくなる。

「ついに腹を決めたか、我が親友よ」

 右頬にラメ入りの赤い星を輝かせた、我が親友こと赤城が椅子から立ち上がる。メイクは完成したらしい。コンちゃんに当てられてか、若干口調がおかしかった。目の周りを深く彩る黒いアイシャドウが、視点の高さと相まって凄みを放つ。黒いリップクリームを塗った口許はご機嫌そうに歪められている。どうせまた、にやにやしているに違いない。

 背中にまだ熱が残っている気がする。

 ——ずっと待ってるんだよ。

 そんな面倒くさい一言まで添えてくれて。

 まあ、当初の思惑通り二人きりというのは回避できたわけだし。赤城の思い通りになるのは癪だけど。

 決意表明のときだ。机の上のカボチャを抱え上げる。

「あ、最初のうちはバランス取りにくいかも。気をつけてくださいね」

「そうなの? その割に、三人とも余裕そうだこと」

「まー、あたしらはカボチャ慣れしてんすよ」

 カボチャ慣れって。

 言葉選びが独特なコンちゃんの台詞を、ガッちゃんが丁寧に補足してくれる。

「去年もこの格好でパレードに出てるんです。だからコツを掴んでるんですよー」

「ふーん、なるほど」

 ——ん?

 不意に胃のあたりがむずっとする感じがした。違和感。例えるなら、ボタンを掛け違えたことに気付いた瞬間のような。

 みいは三人で分担してセットを作ったと言っていた。カボチャ頭が自分の作品だとも。それが去年からあったものだとしたら——。

 おいおい赤城、ちょっと情報が違うじゃないか。などと、赤城を責めても意味がない。三人揃って同じ格好をしてるんだから、そりゃそうだ。気付かない方がどうかしてたのだ。

「ごめん、悪いけどやっぱりパス。四人で行ってきなよ」

「えー!?」

「いやー、仮装恥ずかしいじゃん。私には荷が重いって言うか……」

「大丈夫だよー!みんなで同じ格好すれば怖くないって」

 さっきから『みんな』を強調してくるみいが、煩わしいと思った。いつもなら「はいはい」と聞き流せる無邪気な高音が、感情を逆撫でしてくる。

「はぁ……、毎年我慢してあげてたのに。ちゃんと言わなきゃ分かんない?」

「きょーちゃん——?」

「もういい加減にして。私は、ハロウィンなんて大嫌いなんだから」

 言い切った瞬間、針が刺さったように胸がちくりとする。自分の口から出たとは思えないほど乾いた、硬質な響きを持った拒絶。それは、たちまち場の空気を冷やす。

「でも、約束……」

 思い余ったかのように、みいが一歩足を踏み出した。反射的に私も一歩下がる。

 みいは約束が好きだ。でも、何でもかんでも約束事にして私を縛り付けるのは、少し鬱陶しい。

「約束なんて、みいが勝手にしただけでしょ」

 視界の真ん中で、黒いマントを羽織った肩が小さく震える。

「——そーいうことじゃないよ! きょーちゃんの噓つき。忘れんぼ!」

「——っ!」

 お腹の底がかっと熱くなる。その熱は頭のてっぺんまで昇ってきて、瞬く間に理性の一部を焼く。

「噓つきはそっちでしょ! 何が『きょーちゃんとじゃなきゃ嫌』よ。調子のいいことばっかり言って。私を振り回すのは——」

「嘘なんてついてない! ばかばか、分からずやぁ!!」

 みいの湿った叫び声が、室内に反響する。

「泣いたって無駄よ、何度も言わせないで。これ持って早くどっか行ってよ」

「……やだ。絶対、連れてくもん」

 それっきり、みいは口をつぐむ。ただ意志の強さを主張するように見つめてくる気配が、被り物を通して伝わってくる。でも、私だってここまで来たら引き返せない。

 お互い無言のまま睨み合いが続く。

 やがて、重苦しい空気に耐えられなくなったのか、後ろのカボチャ二人は、みいの後ろを通してひそひそと会話し始めた。

「どうしよう、何かどんどん険悪になってる……」

「青春ですなー」

 どっちの声も丸聞こえだった。

「もう、ふざけてる場合じゃないって……」

「まったく、ガッツは真面目ですわね。せっかくのお祭りですもの、うんと楽しまなくてはいけませんわ」

「コンちゃんはやり過ぎだと思うんだけど。あと、キャラぶれてるから」

「いやー、声変わるのが楽しくて」

「コンちゃん!」

「冗談だよ。そんな怒るなって。みっちゃんがこのままじゃ、お祭りが台無しだもんな」

 変声機をオフにしたらしい。初めて聞くコンちゃんの地声は、さっきまでの言動が嘘に見えるほど落ち着いていて、大人びた雰囲気を持っていた。

「ほれ、みっちゃん。あんまし遠山さんを困らせたらいかんよ。嫌われたくないよね?」

 こくり。黙り込んでいたみいから、ささやかな頷きが返る。

「だったら今日は出直そう? ちゃんと仲直りしてさ。ハロウィンなら来年もあるんだから、ね?」

 今度ははっきりと首が横に振られる。

「どうしても?」こくり。

「ワケあり?」こくり。

「それ、後でもいいから遠山さんに話しな。大事なところは言葉にしなきゃ、ただのわがままにしか見えないって。みっちゃんの悪い癖だぞ」

 コンちゃんがみいの被るカボチャをぽこんと叩く。

 もう一度縦に揺れるカボチャ。それでコンちゃんは納得したみたいだった。

「——だ、そうですよ。遠山さん」

 みいの表情は被り物のせいで窺い知れない。しかし、たまに小刻みに肩を震わせていて、まだ泣いているのだと分かる。

 何でこんなことになっちゃったんだろう。別にみいを悲しませるつもりなんてなかった。でも、ハロウィンだけは、どうしても好きになれないのも事実だ。その理由を話したことがある相手はみいだけだから、なおのこと理解してほしかった。

 ——それなのに。

「そんなの、勝手じゃない……」

 みいは、ずるい。

 これじゃあ、私が一方的に泣かせたみたいじゃないか。

「——あの、遠山さん」

 今度はガッちゃんが躊躇いがちに話しかけてくる。再び物思いが中断される。

「みっちゃんは遠山さんとパレード行くの、すごく楽しみにしてたんです。今日だって、朝から遠山さんのことばっかり話してて。だから——」

「だから?」

「私からもお願いします。いつまでも意地を張らないでください。みっちゃんを一番よく知ってるのは、遠山さんじゃないですか」

 やっぱり細くか弱いガッツさんの声。でもそこには折れそうにない芯が通っていて、私が必死になって塗り固めてきた壁に突き刺さる。

 みいは私のことをどういう風に話したんだろう。去年までずっと一番近くにいた。そのくせ私は、みいがパレードに出ていたことすら知らなかったのだ。少なくともこの二人の方が、ずっとみいの気持ちを理解しているように思えてならない。

 だったらやっぱり——。

「はぁい、そこまで」

 私の頭の上に何かが載る。それが赤城の手のひらだと気がつくのに少し遅れた。黒いアイシャドウに縁取られた赤城の瞳がこちらを見下ろしている。

「赤城……」

「杏子の負けよ。ちょっと冷静になりな」

「何よ、知らないくせに……」

 赤城も、ガッちゃんもコンちゃんも、私がハロウィンを嫌う理由を知らない。だから平気でみいの味方ができるんだと思う。でも、ガッちゃんの口にした言葉が、図らずもニアピンを取っているのも確かだ。私は意地を張っている。六年もかけて複雑に捩れた茨のように。

「そうね。ケンカの原因が、杏子の言ってる個人的事情ってやつだけなら、私も何も言わないわよ。でも、今回はそうじゃないように見えるんだけど?」

「それは赤城の勘違いよ」

 本当は分かっている。

 拗くれた茨に覆われているけど、『そうじゃない』部分こそが本質なのだ。しかし、追求した先は必ずあの穴ぼこに通じていて、なるべく見ないふりをしておきたい、私のアキレス腱でもある。今までそうしてきたし、それが正しいと思ってきた。

 馬鹿みたいだ。苦しくなったから手放すと決めたくせに、未だにそれに苦しんでいる。

 みいはどこまでも真っ直ぐで、ただ無邪気に私と遊びたいのだろう。そんな純粋さを相手にして、パラドックスを抱えている私の理が立つわけない。

「はぁ……。いいよ、私もパレード行ってあげる」

 カボチャの奧からすんすんと鼻をすする音はまだ止まない。

 私はみいのカボチャをそっと取り上げる。先程のような不意打ちではなかったけど、みいは抵抗しなかった。

「だから、泣くのはやめて。私が悪いみたいじゃない」

「うん、うん……っ! ありがとぉ!」

「まったく、ひどい顔して」

 何年経っても変わらない泣き顔。

 ポケットからティッシュペーパーを出して、みいの鼻に押し付ける。ずびーっと鼻水をかむ姿は、とても高三女子には見えない。

 ミシンの走る音が控えめに響く。部屋の中にはいつの間にか、部員がちらほら集まってきていた。皆こちらの騒動は見て見ぬ振りで、思い思いに作業を始めている。その中には私のクラスメイトもいて、ばっちり目が合ってしまった。

 明日何か聞かれたら嫌だなぁと思いつつ、小さく溜め息を吐いた。


「さて、では気を取り直して行きますか」

「「いえーい!」」

 ダミ声に戻ったコンちゃんの音頭に、赤城とガッちゃんの掛け声が上がる。みいが落ち着くのを待って、部室前の廊下に出たところだ。

「あー、待って。鞄置きたいから一度家に帰ってもいい?」

 私は通学鞄を提げた左肩を竦めて言う。英和辞典が入っているので、これを提げて練り歩くのはさすがにしんどい。

「——逃げない?」

「逃げないよ」

 部室を出る前から、みいは私の制服の袖を掴んで離さない。

「はぁ……。そんなに心配なら、付いて来ればいいでしょ。ウチ、商店街と同じ駅なんだから」

「うん、そうする」

 即答。「信じてない」と面と向かって言われたようだし、実際そうなんだろう。それでもくっついてきたがるみいに、少なからず鼻白む。

 ウチの最寄りは、ローカル線で二駅のところにある。歩けない距離じゃないけれど、パレード開始までの残り時間を考えると、電車に乗るのが手っ取り早い。

 これを被って乗るのは勇気がいる。というか、かなり迷惑じゃないだろうか。

「んじゃー、あたしらは部室に荷物置いてあるんで、先に行ってよう。赤城っちもどーっすか?」

「もちろん。ご一緒するわ、コンちゃん」

 すっかり意気投合したらしく、ニックネームで呼び合う二人。

 ちなみに、置き勉派の赤城はいつも手ぶらだ。家が遠いからとかしゃあしゃあと言ってのけるが、れっきとした校則違反である。財布やメイク用品を持ち歩くために愛用している小さい茶革の肩掛けポーチは、ゆったりしたマントの中にばっちり隠れていた。

「うそ、大丈夫? だって、みっちゃん——」

「ほれ行くぞ、ガッツ!」

「きゃ——っ」

「わはは、さーらーばーでぁー」

「わ、分かったから! その変な声やめようよ……」

 コンちゃんがガッちゃんを引きずるようにして去っていく。その後に赤城の長身が悠然と続く。魔女帽子分を差し引いても、前の二人より余裕で頭一つ抜けている。

 ロングトーンのダミ声を発しながらずんずん歩くハロウィンコスプレの一団に、下校する人波が自然と分かれて道を作っていった。

 そして、私の隣に残されたのは、俯き気味のカボチャ娘が一人——。

「いつまで袖掴んでるの?」

「ずっと」

「信用ないんだ」

「きょーちゃんのせいだもん」

 袖を掴む手に、ぎゅっと力が籠る。

「やれやれ。ホントに可愛くないね、みいは」


   *


 ハロウィンなんて嫌いだ。

 別に西洋のお祭りだから、とか言うつもりはない。クリスマスも普通に祝うし。

 そこには、私の個人的事情というものがあるのだ。

 忘れもしない六年前の十月三十一日。

 泣き喚く私を一人置いて、母が家を出ていった日である。


「杏子ちゃん、おかえり」

「はいはい、ただいま」

 玄関を入ってすぐ、ママに出迎えられた。

 丁度料理をしていたようで、部屋着の上に腰巻きの白いエプロンをしている。仕事中だけ掛ける眼鏡は外していた。

 赤城よりも長身のママは、艶のある黒髪を伸ばし、家の中でもどこか艶っぽい雰囲気を漂わせている。

「ってーか、驚かないんだ」

「あら、朝見たときは驚いたわよ?」

 私は被っていたカボチャから顔を出した。

 みいの気持ちがちょっと分かる。こうもあっさりした反応が返ってくると、その気がなくても少し残念になってしまう。

「お邪魔しまーす!」

 そんな私を押し込むようにして、みいカボチャが突入してくる。ウチへの道すがらはずっと無言だったくせに、随分と唐突な切り替え具合だ。

 特に広いわけでもない我が家の玄関は、カボチャが二つ並ぶとたちまちいっぱいになってしまう。とりあえず自分のカボチャは脱いで、玄関の隅に置いておくことにした。

「みいちゃん、いらっしゃい。朝はどうもねー。助かっちゃった」

「そんなー。大したことしてないです」

「何かしたの?」

「ゴミ出し手伝っただけだよ」

 そのときに私の予定を聞き出したわけか。天然に見えて、そういうところは案外したたかで抜け目がない。

「今日はパレードってみいちゃんに聞いてたけど。アンタも出るのね」

「うん、まーね」

「それじゃ、みいちゃん。杏子のことよろしくね」

「えっへん。任せてください」

 とても不服な会話を始めた二人を睨み付ける。

 ママはセーターで膨らんだ肩を竦めて、台所に引っ込んでいった。

「きょーちゃんはたまに不良みたいな目つきするね」

「うっさい。そんなこと言ったら、みいはカボチャじゃない」

「それって可愛いってこと?」

 全然めげない口が世迷い言を述べる。

「ちょっと鞄を部屋に置いてくるから。何だったら上がって待ってて」

「玄関にいるー。頭でっかいし」

 みいは自分のカボチャをこつこつ叩いて遊び始めた。その音に惹かれたのか、リビングから三毛猫が走り寄ってくる。我が家族の一員にして唯一の男の子。

「リリー!」

 でっかいカボチャ頭が自分の名前を呼んだことに、びくりと身を震わせて足を止めるリリー。仔猫の頃から一緒に過ごしてきたが、可愛らしい名前を付けてしまったせいか、やたらと怖がりに育ってしまった。

「じゃーん。リリー、わたしだよー!」

 みいが、カボチャの下から顔を出す。それを見たリリーは——、おお、目がまんまるになってる。

 リリーはそろそろと近づくと、みいの周りを三周くらいしてから、寝転がって戯れ始めた。みいが家に来ていた頃はかなり懐いていたので、すぐに慣れるだろう。このまま相手を任せておくことにした。

「すぐ戻ってくる」


 部屋に上がって、肩に掛けた通学鞄をベッド脇に寝かせる。

 テレビも電気も付けてない室内は静かだ。

 私は奧の勉強机に向かって歩いていく。小学生になったばかりの頃から、かれこれ十二年使っているシステムデスク。その最上段の引き出しの奧にしまっていたものを、制服の内ポケットに滑らせる。

「——これでいいのかな」

 自分の口がぽつりと呟くのを聞いた。

 その余韻が残る部屋を後にして、足早に玄関へと戻る。

 リリーは満足したのか、丁度リビングに戻っていくところだった。尻尾を立てたお尻がキュートである。

「おまたせ」

「ママ! みいの荷物、ここに置いてくから。よろしく!」

「気を付けて行ってきなさいねー」

 台所から響く鼻歌混じりの声に送られ、カボチャを抱えて家を出る。

 夕陽に染まる庭まで、牛乳とバターの濃密な香りが漂っていた。


 母が出ていくずっと前から、両親は離婚していたらしい。親権者はママだ。

 中等部に入った頃、その辺りの事情をママから初めて聞かされた。

 私が物心つく前の話は、ほとんど聞いたことがない。ウチにはずっと、両親の実家に帰るという習慣がなかった。おかげで自分の祖父母の顔を覚えてないくらいだ。

 「駆け落ち同然だったしね」と、ママは懐かしむように話していた。

 ママの抱える事情については、当時から共通理解ができていたという。そんな二人がどうして、結婚して、私を産んで、離婚するに至ったのか。経緯は不明だけど、さぞかし面倒なドラマがあったに違いない。

 でも、母は突然に去っていった。少なくとも、幼い私にはそう見えた。

 両親の仲が悪いと感じたことはない。むしろ良すぎたくらいだと思う。娘の前で平気でいちゃついていた記憶だってある。愛されて育った自覚もあるし、両親ともに見てくれが良いことは、私のささやかな自慢だった。

 しかし、母は我慢していたんだろうか。一人娘を育てるため、色々なことに妥協しながら、何とか『家族』という形を維持し続けたんだろうか。

 母の手が離れた瞬間を今でも覚えている。

 十月三十一日は特別な、別れの日。

 それを楽しい思い出に上書きするのは、一抜けしたみたいで母に悪いと感じてしまう。それに、母を追いかけなかったママを簡単に許してしまうみたいで、私自身も納得できなかった。


 ハロウィンは嫌い。

 それは、私の意地なのだ。


   *


 パレード会場の商店街は駅のすぐ目の前である。さっき通学鞄を持って歩いた道のりを、今度は逆に辿っていく。

 行く手に伸びる影は長くなり、もうすぐ闇に沈もうという時間だ。パレードもじきに始まる。会場の賑やかな音楽は、ここからでも風に乗って響いていた。

 とはいえ、歩いて五分くらいの距離。のんびり行っても余裕で間に合う。

「おばさんいつもキレイだよねー」

「そう見える? こないだ化粧品変えたらしいから、そのせいかも」

「もっと内から出る感じだと思うけどなぁ。こう——、大人の魅力って感じで」

「大人ねぇ……。家の中じゃ子どもみたいな人よ?」

 ママは翻訳の仕事をしている。最近特に順調らしく、むしろどんどん若返っている気さえする。見た目も、中身も。

「きょーちゃんって、おばさんに似てるよね。目元とか鼻の形とか」

 そう言ってすぐに私の瞳を覗き込もうとするみいから逃れるように、抱えていたカボチャを被る。

 私が物心ついた頃には、我が家に父親と呼べる存在はいなかった。

 別に悲劇の前振りじゃない。そう呼ばれるはずだった人は健全すぎるほどに健在だし、今頃は私の家のオーブンの前でグラタンを焼いている。

 社会的にも、生物的にも、私は正真正銘ママと母の娘なのだ。

「きっとすっごく美人になるんだろうなぁ」

 被り物の奧で、みいは何を見ているんだろう。

「どーかしら。まぁでも、みいはそのままかもね」

「えー、わたしだってこれから成長するんだい!」

「いや、内から出るちんちくりんっぽさのことよ」

「なにおー!」

「ちょ——っ、寄り掛かるな。危ないわよ!」

 すぐに行動に表れるところが、やっぱり子どもっぽいと思う。

 だから安心する——という感覚は変かもしれないけど、私はそうあり続けて欲しいと願っている。

 未来を夢見るようなカボチャの横顔に、ちょっとだけ真剣に祈ってみることにした。


 親権は女親のほうが取りやすいと聞いたことがある。

 経済的にはどちらも自立していたはずだ。母は舞台作家として、それなりに有名な劇団に専属で付いていた。

 裁判にするという手もある。離婚に関する非がどちらにあるかを世間的に問えば、おそらく母に軍配が上がるだろう。

 つまりその気になれば、私の親権は母が取っていた可能性の方が高いのだ。

 しかし、実際に親権者になったのはママで、私はママが好きで、何不自由なく暮らしている。

 ママに何も言わず、私を連れて家を出た母の心境はどんなものだったのか。高校生になった今でさえ、想像できない。

 折しもその数日前。ママが正式に戸籍を変えていた。

 もしかしたら母は、どんどん——下手したら自分よりも綺麗になっていくママを見守るのが、辛くなったのかもしれない。

 みいの言う通り、私の顔はママに似ている。


 女同士はやっぱり少し複雑で、面倒くさい。


   *


 先に会場に着いていた赤城達と合流して、パレードの出発地点に向かうことにした。

 途中にあるスーパーで適当にチョコとキャンディーの詰め合わせを買って、ポーチに詰める。

 パレード参加者に限らず、沿道の観客にも仮装している人がちらほら紛れていた。アリスや赤ずきんといった童話や、ヒーローもののコスプレなんてのもいる。

 赤城とコンちゃんは率先して、百人以上は居そうな仮装集団の中に飛び込んでいく。ガッちゃんもそれに付いていく。私はみいに引っ張られるようにして輪に入り、『トリック・オア・トリート』をする。もちろんねだり返されて、こちらからもお菓子を渡すのだけど。ジャック・オー・ランタンと魔女がお菓子を配って回る姿は、想像したら何だか可笑しかった。

 そうこうしているうちに、パレードが始まる。DJのデスメタルっぽい音楽に、集まったお祭り男女の夢を乗せて。

「すごいすごーい! 見て、きょーちゃん!」

 隣りで観客に手を振りながらはしゃぐみいの高い声は、騒がしいパレードの中でも耳に響いてくる。

 そのお祭り女が指差す先——。パレードの先頭にはカボチャの馬車があって、犬の被り物をした三人の男性が引っ張っていた。

 不意にカボチャ馬車のてっぺんが開く。跳ね上げ扉になっていたみたいだ。そこから赤い一枚布のドレスを着た女の子が飛び出してきた。この寒空をものともせず、縫い傷だらけの手足を露出している。

「いっえーい! みなさーん、楽しんでますかー!?」

 夏の太陽のような熱量を孕んだ声が、マイクに乗って——音楽、人の声、行進の音——喧騒という喧騒の上から降り注ぐ。周囲から熱に浮かされたように掛け声が返る。みいも跳び上がって「おー!」とやっていたので、私も控えめに「おー」と答えておいた。

「今日の公式カメラマン、ちー坊です! よろしくでーっす! みんなでバッチリ決めて、この商店街を楽しいでいっぱいにしましょうね!!」

 カボチャの上で飛び跳ねて、ちー坊さんが煽る。それに応えるように、会場もさっきよりも大きく沸き上がる。

 彼女はカボチャの馬車の上でカメラを構えると、仮装の行列に向かってシャッターを切り始めた。

 すごいなぁ。ぱっと見、私たちと年齢は同じくらいに見えるのに、数百人という人の前で物怖じ一つしていないようだ。ここにもお祭り女がいた。ふとそんなことを思った。この人もみいと同じく、真剣に遊んでいるのだ。

 私は周囲の音に飲まれないように、でも赤城達には聞こえないように、みいに話しかける。

「去年も来てたんでしょ? その前もずっと」

「へ、どうして知ってるの?」

「って、赤城っちしかいないよね。言っちゃったんだぁ……」

「そもそも内緒にする必要ないと思うんだけど?」

「きょーちゃんがハロウィンに行きたくないって、分かってたもん。わたしだけ楽しい思いしてるって勘違いされたら、嫌われちゃいそうでやだったの」

 ——現に楽しんでたんじゃないの? ガッちゃんやコンちゃんと一緒に。

 うっかりまた顔を出しそうになった嫉妬心を、何とか飲み込む。

 みいの言葉をちゃんと聞こう。左胸の内ポケットがある辺りに手を置いて、心を落ち着ける。

「勘違いって——?」

「うんとね、パレードは出てないよ」

「……どういうこと?」

「ずっと見てただけ。だって、きょーちゃんがいなきゃ楽しくないんだもん」

「一人で?」

「うん」

「ふーん……」

 じゃあ、あの二人は一緒じゃなかったのか。そのことに少なからず安堵している自分を意識して、お腹の底がちくりと痛む。

「だから今年はすっごく楽しいよ! きょーちゃんがいて、赤城っちも、コンちゃんとガッちゃんもいて」

 赤城は部活でもなかなか見せないような、良い笑顔だった。ガッちゃんとコンちゃんもその被り物の下では、幸せそうな顔をしているのだろう。

「もしかして、ヤキモチやいてる?」

「はぁ!? 何で私が……っ」

「心配しなくてもだいじょーぶ。去年からきょーちゃんの分も用意してあったんだから。今年は被ってくれてよかったよ」

 否定しようと色々と言葉が浮かんでくるが、声には出なかった。今日はペースを乱されてばかりだ。みいにも、赤城にも。

「もうちょっと欲張るなら、二人っきりの方が良かったかも——なんて、ね」

「え?」

「一緒に抜け出しちゃおっか」

「は、はい?」

 まさかみいからそんなことを言われるなんて思っていなくて、理解するのに時間がかかった。

 その間に、みいは行列の合間をすいすい縫って先に行ってしまう。あのでかいカボチャを被っているくせに、どうしてそんなに機敏な動きができるのか謎である。

「早くー。みんなにばれちゃう」

「ちょっと待ってよ! カボチャ重いんだから……」

 不意に、人混みに置いていかれた記憶が頭をかすめて、反射的に伸ばした手が何もない宙を掴む。

「お願い、待って……っ!」

 喉が渇いて声が掠れる。力なく下ろしかけたその手を——、

「ほら、行こー?」

 一回り小さい手が、力強く握りしめた。


   *


 パレードの喧騒が遠ざかっていく。

 人垣を抜けて数分ほど歩いた。

 ジャック・オー・ランタンが二人。オレンジ色の甘い残り香に満ちた河川敷の道を辿っている。

 地に足を付けて歩く自分を、一段上から眺めるような。妙にふわふわ頼りない収まりの悪さがあった。肩にかかる確かな重みのおかげで、かろうじて現実感を保っている。そんな感じ。

 みいと二人っきりという状況が、そう感じさせるのかもしれない。

 あの頃に当たり前だった時間はとっくに失われて、今では遠い昔のように思っていたから。

「わがまま言って連れてきちゃって、ごめんね。迷惑だったら……」

「今更何言ってんの。らしくないって、気が付いてる?」

「そーだね。迷惑でも謝るつもりないしね」

「はぁ……。やっぱり可愛くない」

 みいに対する感情を明確に意識したのは、今年のクラス替えの後だった。

 最初にあったのは心配。私と離れてもちゃんとやっていけるのか、寂しがって泣いてるんじゃないか。今考えるとばかばかしくなるほど、——それこそ姉か何かのように、三クラス分離れた親友を案じていた。

 でもそんな私をよそに、みいは順調に友達を作っていった。もう大丈夫。そう呟いてみても、気持ちは安心とは程遠くて。

 たぶん、それがきっかけだったのだ。距離を置かなきゃと思った。

 その頃から部活を優先するようになった。みいと一緒だった時間を埋め尽くしていく、胸を押しつぶすようなもやもや。それを忘れるために、ひたすらコートを駆け回った。部活を理由にしてみいの誘いをはぐらかすうち、何となく会うことも無くなった。

 いっそ伝えてしまったら、もしかしたら。そんな淡い期待は何度も頭をよぎった。だけど、伝えたらこの関係は確実に壊れてしまうことは分かっていて。伝えた後に待っている何かと対面する勇気はどうしても持てなかった。

 それに、これまでみいに友達があんまりできなかったのは、保護者面をした自分がくっついていたせいかもしれない。そう考えてしまうのも、嫌だった。

「初めて会ったときのこと覚えてる?」

「覚えてるよ」

 その日、私は商店街にいた。初めて開催されたパレードを母と見物していたのだ。

 今よりもハロウィンの認知度が低かった当時、一般の仮装参加者は少なかった。商店会の人達もそれは承知の上で、地元の劇団なんかにも声をかけて、結構本格的に盛り上げていたそうだ。

 幼かった私は、目の前を過ぎていく百鬼夜行のような行進に目を奪われていた。

 その間に、母の手は離れてしまう。遠ざかる後ろ姿に気付いた私は追いかけたけど、すぐに人混みに紛れて見えなくなる。茨道を歩くように、身体中が痛くなって、足が絡めとられて、そのうち自分がどこにいるのか分からなくなった。ただ、どれだけ捜し回っても、母はもう帰ってこないような気がした。

 そんなときだった。泣きじゃくる私の前に、みいが現れたのは。

 絡み合う茨の奧にしまいこんだ、出会いの思い出。

「ホントかなぁ……。じゃあそのとき、わたしとした約束は何でしょうかー?」

「約束?」

「やっぱり忘れてる。ちゃんと言ったのにぃ」

「えーと……ごめん。何て言ったっけ」

「一緒にパレードしようね、って」

「もしかして、それがワケってやつ?」

「そーだよぉ。きょーちゃんと行けるの、今年が最後だと思ったから」

 みいがさらっと口にした、『最後』という言葉が引っかかる。

 ——卒業したらどうなるか分からないんだから。

 赤城の一言がリフレインする。


 商店街から絶えず響いていた行進曲が、いつの間にか止んでいた。

 パレード帰りの私たちを目ざとく見つけて、小学生くらいの子たちが寄ってくる。お決まりの呪文を口々に唱える子ども達に、みいは持っていたお菓子を全部あげて、それでも足りなくて、私が持っているのも全部あげた。

 土手の向こうに駆け去って行く子ども達に、みいはいつまでも手を振っていた。

 やがて後ろ姿も見えなくなった頃、みいの背中がぽつりと訊ねてくる。

「きょーちゃん、やっぱりハロウィンは好きじゃない?」

「そんなすぐには好きになれないわよ」

「そっかぁ……」

 気落ちしたトーンを隠さない答えが返ってくる。

 いったい何年間こじれさせてきたと思ってるんだ。みいとは違う。昨日今日で意見をひっくり返せるほど単純にできてないのが、遠山杏子という人間なのだ。

 だけど、みい——。しょげるのはちょっと早い。

「でも嫌いは言いすぎた。ごめんなさい。今日は本当に楽しかったし。だから今は——」

 もう六年が過ぎた。私の個人的事情というやつは、そろそろ時効を迎えている。そのことを認めちゃっても、いいのかも知れない。

「普通ってとこかな」

 ママのことは愛している。彼女の生き方を百パーセント肯定はできないけど、否定はしたくない。どこにいるのか分からない母もきっと同じ気持ちだと思う。だからこそ、私のことをママに託していけたんだ。

「わたし、きょーちゃんのことが好きだよ」

 どきりと、心臓が飛び跳ねる。

 いつからだろう。みいの可愛らしい唇が紡ぐ『好き』を、素直に受け止められなくなったのは。

「だから好きでいてほしいんだ。ハロウィンもそうだけど、毎年やってくる今日を。わたしの一番大切な日を」

 みいの瞳は真っ直ぐで、時々居たたまれなくなる。

「私も、みいが好き。——親友だと思ってるよ」

 頭の中で半自動的に巡った複雑な思考が、私に親友という言葉を選ばせる。私たちが交わし合った親愛の感情。その位相をずらすために。

「良かった。きょーちゃんに嫌われてると思ってたんだ」

「みい……」

「わたし、赤城っちのことが羨ましかったみたい。三年になってから、ずーっときょーちゃんを独占してて、ずるいなーって」

 羨ましい。そんな言葉がみいの口から出るとは思わなかった。いつだってみいには自分の世界があって、他人を次々巻き込んでいくのが普通だと思っていたから。

 お祭りだから普段より饒舌になっているのかもしれない。

「時間はたくさんあるわよ。卒業したって、友達じゃなくなるわけでもないし」

「そのことなんだけど、あのね——」

 みいは一拍だけ口ごもる。

「わたし、来年は京都にいるかも。大学、美大目指してて。第一志望なんだ」

「——は? 嘘でしょ。突然何言ってるの?」

「隠す気はなかったんだよ。今年は全然きょーちゃんと会えなかったから、言えなかったの」

 一瞬耳を疑ったけれど、みいの真剣な口調を聞いているうちに、嫌でも現実味を帯びてくる。

「本当、なのね…………」

「きょーちゃんは? 進路どうするの?」

「こっちで短大出る。ママと同じ翻訳家、目指そうと思って」

「英語得意だもんね。きょーちゃんならきっとなれるよ」

「あ、それとわたしに英語教えて! センターやばいんだぁ」

 英語の成績が壊滅的なみいは、両手を合わせて『オネガイ』のポーズをする。

「考えとく」

「つれないんだぁー」

 みいの膨れたような声。それっきり会話が途切れる。何か喋ったら、言葉にしていない感情まで零れそうだった。

「また来年もパレードに出よう」

 ふと、隣りを歩いていたみいが、私の前に進み出る。

「約束しようよ! 来年のこの日、また二人で集まるって」

「そうだね、約束する——」

 気を抜くと尻すぼみになりそうな声を振り絞る。

「はい、きょーちゃんも小指」

「え、なに。指切りまでするの? 子どもじゃないんだから……」

「だめ! 大事な約束なんだよ。今度は忘れないでね」

 六年ぶりの指切り。

 ——今度はいっしょにパレードしようね。

 不意に、みいが一方的に結んだ小指の感触が蘇る。

 ——みいとの約束だよ。

 すごく迷惑な子だと思った。

 私にとって、その日は悪夢に違いなかったのだ。部屋で布団を被って寝て起きたら、家族三人の朝がやって来る。そんな風に全部なかったことになって欲しかった。

 誰かと約束なんて交わしたら、『あった』ことになってしまう。差し伸べられた小さな指を見ながら、そう思っていた。

 でも本当は、心のどこかで期待していたのかもしれない。

 この約束が私の希望になってくれることを。

 ——そのときになったら、話したいことがあるんだぁ。

 そう言って、みいが触れ合わせた唇を——。

「忘れてなんかないよ、みい」

「へ?」

 みいは本当に約束が好きだ。私はいつだって、みいが結んで束ねた糸に引っ張られてきた。救われてきた。

 私にもできるだろうか。

「トリック・オア・トリート」

「——あ。ええと、えーと……」

 自分が言われるとは思っていなかったのか、みいは珍しくあたふたして、空っぽのポーチを一生懸命漁っている。中身は全部配ったばかりだ。

 案の定、諦めたように肩を落として——、ずり落ちかけたカボチャを慌てて両手で支える。表情は張り付いた笑顔のままなのに、何て分かりやすいんだろう。

「きょ、きょーちゃんも欲しかったの? ごめん、全部あの子達にあげちゃったよ」

「お菓子がないなら、いたずらしちゃうからね……」

 みいの手を取り、こちらに引き寄せる。

 ——こつん、と。思ったより軽い音と振動が響く。

「わぁ、何なに? いたずら?」

 真っ暗に染まる視界。接したギザギザの口を通して、無邪気な声が反響している。みいの微かな息遣いさえも感じていたいという、渇きにも似た想いを抱えて、ぬるま湯のような闇の中を揺蕩う。

「きょーちゃん……?」

 その声が不安げに揺れていた。

 何か言葉を返そうにも、喉が自分のものじゃないみたいに震えてしまって音にならない。だからせめて、その手をぎゅっと握り返す。

 今、みいは何を思っているんだろう。どんな顔をしているんだろう。この『いたずら』の意味に気が付いているんだろうか。

 知りたい気持ちと、知りたくない気持ち。相反する感情がせめぎ合って、長いマントをはためかせる。


 どれだけの間そうしていたろう。胸の奥がぎゅうっと締め付けられるような時間を、みいはただ静かに待っていてくれた。

「大丈夫、何でもないよ」

 ようやく自然に出せた一言と共に、頭を離す。

 顔が見えていなくて本当に良かった。見えていたらきっと、この気持ちも隠すことができなかったから。

 カボチャを隔ててようやく表現できた想い。これが今の私の精一杯。それでも、私の希望は繋がっただろうか。

「ねえ、手を出して」

「一日一個じゃないの?」

 冗談っぽく言うみいの手のひらに、赤いリボンでラッピングした小さな紙袋を載せる。制服の内ポケットに隠していたものだ。

「お菓子じゃないしいいの。早く開けてみて」

「わぁ——、かわいい!」

「お誕生日おめでとう」

 袋の中に入っていたのは、いたずらっぽい笑みを浮かべた、鮮やかなオレンジ色のカボチャの髪留め。渡すか渡さないか、今朝まで悩んでいた、六年越しのプレゼント。

 今日は十月三十一日。ハロウィン。都築美衣香の誕生日だ。

「ありがとう!」

「貸して。付けてあげるから」

 脱いだカボチャを二つ、並べて草っ原の上に置く。

 こうして素顔で向き合うのは久しぶりな感じがして、なかなか言葉が出ない。さっきまで、随分と恥ずかしいことを言い合っていたというのに。

 すぐ近くで見下ろすアッシュグレーの素直な髪は、指の間をさらさらと流れて心地良い。そのうちの一房を取って髪留めを付けた。

「初めてだね。きょーちゃんが当日にお祝いしてくれたの」

 みいは俯き加減のまま呟く。丸っこい耳の先は少し赤みを帯びているように見えた。

「寒い?」

「ううん。このマントのおかげで、暑いくらいだよ。それより、——どう?」

「よく似合ってるわよ」

 お世辞じゃない。ちびっこいジャック・オー・ランタンのどこか間の抜けた愛らしさは、みいの雰囲気と馴染んでいる。そこに『自分が選んだものだから』というささやかな自慢が含まれていたとしても、罰は当たらないと思う。

「みいはどんな髪型でも、やっぱり可愛いね」

「あ、あれぇ……。さっきからきょーちゃん、ちょっと変な感じ」

「そーかな?」

「うん。何かね、くすぐったくなる」

 ——ああ、もう。

 ずっと言えなかったくせに、素直になると決めた途端、際限なく込み上げてくる。

 たった一つの言葉だけでいい。今すぐに伝えたい。照れたように俯くみいを見つめながら、そんな焦燥に駆られそうになる。

 でも、もう少しだけカボチャの中にしまっていよう。久しぶりに訪れた二人っきりの時間を、その居心地良さを大事にしたいと思った。それは、私にとってのかけがえのない宝物だから。

 こんな気持ちになるのはきっと——。

「ハロウィンだからかな」

「そっかぁ。ハロウィンならしょーがない」

 気が付けば、夜空にくっきりと半月が輝いていた。その下にはきっと、包み込むような温かい日常が広がっているのだ。

 『そのとき』は、すぐ側まで来ているという予感がある。次のお祭りのときには、もう少し違う関係になっているかもしれない。差し当たっては——クリスマス。ちょっとは期待してもいいだろうか。ハロウィン効果が消えないうちに願を掛けておこうと、十月三十一日限定の夜空に思いを馳せる。

「今度さ、ハロウィンじゃないときに教えてね。あのときの、キスの意味」

「——へ?」

 ぼんっと。爆発音でもしそうな勢いで、みいの表情が染まる。

 してやったりなんて思っていると、ポケットからピロロンと着信音が鳴り響いた。

「うちに来るんなら、ついでに夕飯食べてく? ママがグラタン作り過ぎたって言ってる」

「う、うん!」

 草の上のカボチャを抱え上げる。

 ケーキ屋さんはまだ開いてるかな。早くもみいの喜ぶ顔が浮かんできて、つい口許が緩んでしまう。心なしか、手元のカボチャも楽しそうに見える。

「きょーちゃん、帰ろうー」

 一足先にカボチャを被っていたみいが、私に呼びかけてきた。

 疎らな街灯が照らす薄明かりを、みいと二人、お菓子でいっぱいのかごを揺らしながら歩く。

 遠いあの日のシルエットをなぞるように。


   (おしまい)


読了くださいまして、ありがとうございました。

今後も何作か上げていく予定ですので、ご意見・ご感想など残していっていただけると幸いです。

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