4.真実を知るもの(3)
慧の防御魔法と、黒李の攻撃魔法が発動したのはほぼ同時。
けれど極限まで練られた攻撃魔法と、咄嗟に発動させた防御魔法。どちらが強力かなど比べるまでもない。慧が築いた光の壁が、澄んだ音とともに砕けた。
防御が崩されたと同時に襲い掛かってくる衝撃に、雅の隣にいた春蘭が、その場から吹き飛ぶ。
それを一瞬目で追った雅は、反射的に視線を前に移す。
雅の視界いっぱいに広がっていたのは、いつも守ってくれた、慧の背中だった。
慧が自分の身体を盾にしているから、雅には春蘭ほどの衝撃がこないのだということに気付く。
それでも、雅の全身を襲う衝撃は生半可なものではない。ならば、雅の前に立つ慧が受ける衝撃は相当のものであるはずだ。だが、慧はその場から動こうとしなかった。その精神的な衝撃が、痛みに耐性のない雅の意識を繋ぎとめていた。
黒李に抱いていたはずの恐怖は、いつの間にか消えていた。かわりに抱いたのは、別の恐怖だ。このままでは、目の前のこの人が。
ずっと、どっちつかずな状況だった。自分が光の神の生まれ変わりだと受け入れることも出来なくて、けれど出会ってしまった人達を切り捨てることも出来なくて。
伝説の真実を知ってからは、さらにその状況に拍車がかかっていたように思う。
ずっとずっと、揺れていた。自分がどうしたいのかも分からなくて、何を選ぶのも怖くて。けれど。
今、願うことは。
雅の感覚では延々と続いていたような攻撃も、実際には短い間の出来事だった。攻撃を耐え切った慧は、そのままその場に力なく崩折れる。
「――……!」
雅は、慧の背中に手を伸ばす。けれど、出来たのは伸ばすことだけだった。伸ばしたと同時にバランスを崩し、雅も地面に倒れてしまった。庇われて一番の軽傷とはいえ、雅も相当の深手を受けていたのだから、冷静に考えれば無理もない。
けれど、今の雅にはその手が届かないことがもどかしい。
「……たいしたものだな、煌輝の生まれ変わり。……まさか、反射的に防御が出来るとは思わなかった」
黒李の声が頭上に響く。それは、心底感嘆したような声音だった。
「恐怖で動けないものとばかり思っていた。……おかげで、誰も殺せなかったな」
すぐに破られてしまった防御壁だったが、魔法の威力を弱めるくらいの効果はあったらしい。黒李の言葉に、どうやら吹き飛ばされた春蘭も生きているらしいと知る。身体が痛くて、自分の目で春蘭の無事を確認することは敵わなかった。
雅も慧も、春蘭も生きている。生きているが――それだけだ。誰一人まともに動けるものはない。
このままでは辿る道は皆同じだろう。殺される。黒李に。
雅は小さく唇を噛んだ。そんなのは、嫌だ。死にたくないし、死なせたくない。ぐっと右手に力を込める。
胸元の勾玉が強い熱を持ったが、そのことにも気付かないほど雅の神経は慧と春蘭に集中していた。
黒李がゆっくりと歩き出す。がさがさと草をかきわけて歩く音が、妙に大きく聞こえた。
慧の右手がぴくりと動いて、顔が微かに雅の方向を向いた。その唇が微かに震える。
同時に、地面に魔法陣が出現する。雅が横たわっている、ちょうどその場所に。
それに気付いた黒李が足を止めた、瞬間。魔法陣が強く発光し、淡い光が雅を包み込んだ。
「何!?」
黒李の驚愕の声が、響く。その声を聞きながら、雅の霞み始めた視界が、反転した。
空気が、変わった。
それを感じて、雅は首を動かそうとしたけれど、遠のきかけた意識では、それも難しい。
ただ、先程まであれほど強く感じていた黒李の気配を全く感じないことに気付いて、雅は微かに眉をしかめる。それどころか、慧の気配も春蘭の気配も感じない。
「……け、い……しゅん、らん……」
呟いたと同時に、扉が開くような音がした。だが、それはおかしい。雅がいたのは鬱蒼とした森の中で、扉があるような建物はどこにもなかったはずなのに。
まともに思考が働いたのはそこまでだった。
とうとう耐え切れなくなって、雅は目を閉じる。遠く、さくさくと砂を踏むような音が聞こえた。そして。
「……あなたは……」
男性とも女性とも判別のつかない、低いアルトの声を記憶に留めて。
雅の意識は暗転したのだった。




