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蒼穹の狭間で  作者: 藍原ソラ
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1.伝説の始まり(2)

 広々とした平原を、風が渡る。夏になり緑で生い茂れば、さぞかし見ごたえのある草の海になるのだろう。

 その平原を横切るように、澄んだ水が流れていく。緩やかな流れは、だんだんとその幅を広げ、やがて河口に辿り着き、海に交じり合うのだ。普通ならば。

 しかし、海があるべき場所にそれはなかった。そこに広がるのは海の青ではなく、空の青。

 海のない大地の果ては、切り立った崖だ。そこまで辿り着いた水は、滝のように下に流れ落ち、そのまま空に溶けて消えてゆく。

 そして、その遥か下方には青い海と大地が広がっている。切り立った大地から臨むことが出来るその大地の海岸線は、とても見覚えのある形をしていた。――東京湾だ。

 その時。美しくも悲しい声が、大気を震わせる。

 ――……時は、来た。

 明るい金髪に碧眼の女が、物悲しそうな目をして、果てのある大地に立っている。

 ――……時は、来た。伝説が始まる。

 瞬間。目も開けていられぬほどの強い風が吹き抜けた。


「っ!?」

 神代雅は、目を開けると同時に上半身を勢い良く起こす。それから一呼吸を置いて、目覚まし時計から小さな電子音が流れ始めた。

「び、びっくりしたぁ……夢?」

 半ば無意識に目覚まし時計を止めつつ、思わず呟いてしまうくらい、真に迫った夢だった。

 確認しなくても夢だと分かってはいるのだが。あんな非現実的な代物が現実であるはずがない。某アニメ映画じゃあるまいし。

「空に浮かぶ大地、なんてね……」

 雅が見たのは、空に浮かぶ大地の夢だった。平原と、そこを流れる川。海のあるべき場所に海はなく、代わりにあったのは空。そしてそのずっと下には天気予報でおなじみの東京の海岸線が見えた。

 そう、そして。金髪碧眼の美女が意味深長な言葉を深刻そうに呟いたと思ったら、台風でも来たのかという位強い風が吹いて。

 とりあえず覚えている限りの情報を頭の中で整理し、雅は眉をしかめた。

 夢は、記憶を整理するためだとか抑圧された願望の表れだとか聞くが、今の夢のどの辺りに、と考えるとさっぱり分からない。

 なので、雅は結論としては妥当だと思われる答えを導き出した。

「……疲れてるのかな」

 無理をしているつもりはないけれど、日に日に疲れが溜まっているのかもしれない。家事って重労働だし。日頃、頑張り過ぎだって言われるし。そんなつもりはないのだけれど。

 そんなことを考えながら、雅は目覚まし時計に視線を落とす。時刻は五時四十五分。何の部活にも所属していない女子高生が起き出すにはいささか早い時間だが、雅にとってはこれが普通だ。

 神代家は父・彰彦、母・遥、兄・優也そして雅の四人家族だ。彰彦は公務員で遥は翻訳家の共働き夫婦である。とはいっても遥は家で仕事をすることがメインなので、家事をこなすことも可能なのだろうが――超絶家事音痴なのだ。

 料理に関してだけでも皿は割る物、砂糖と塩は入れ間違えるもの、卵焼きイン殻の欠片が当たり前の人だ。

 物心ついた雅が家事の全権委譲を申し出た時、彰彦と優也が心の中で拍手喝采を送ったという程の低レベルさだったりする。そもそも、雅が申し出た理由も遥が作ったケーキが辛いケーキだったことに絶望を覚えて、という何とも悲しい理由があったりする。

 洗濯物だって、洗剤の量の入れ間違えなんてしょっちゅうだし、手洗いじゃなきゃ駄目なものも平気で洗濯機に放り込むし――と、遠い目をしつつも制服に着替えた雅は、肩を越す長さの髪を後ろで束ねた。

 何だか遠い世界に足を踏み入れかけたが、感慨に耽ってる場合ではないのだ。学生である雅にとって朝のこの時間は貴重だ。夜は学生業に比重を置きがちなので、この時間に家事の大半をこなさなければならないのだ。

 雅は家族を起こさぬように静かに、だが素早く二階の自室から一回に降りると、朝食と弁当の準備を始めたのだった。


* * *


「お兄ちゃん! さっさと起きなさーいっ!」

 ノックもなしに優也の部屋にずかずかと入り込んだ雅は、問答無用と言わんばかりに冬用の羽毛の掛け布団を力一杯引っ張った。その反動で、優也の身体は一回転し顔からべしゃりと落ちた。

「っっいってぇ~っ! 鼻打った! こら、雅っ! もうちょっと兄を敬えっ!」

 がばりと身を起こして、優也が雅を睨み付ける。目尻に涙が浮かんでいるのを見ると、真面目に痛かったらしいがそれに対する雅の反応は冷ややかだ。

「じゃあ、ぱぱっと起きて、あたしに手間かけさせないでよね。忙しいんだから。毎日あたしを煩わせずに起きてくれるんなら、兄として敬ってあげないこともなきにしもあらずね」

「くっ……!」

 優也が悔しそうに拳を握る。

 今日は痛みのあまりあっさりと目を覚ます羽目になったが、いつもはあと五分と散々ごねている身である。反論は出来ないらしい。

 そもそも年子の兄妹だから兄の威厳も何も殆どないようなものなのだが。

「……ってか、あげないこともなきしもあらずってことは……結局どっち?」

 用件を果たすとさっさと次の仕事に取り掛かってしまった頼もしすぎる妹に、まだ若干寝ぼけて頭が回転してない上に古典が苦手な兄が疑問の声を投げかけたなど、洗濯物干しに勤しんでいる雅には知る由もない。

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