山のお作法
「ふぅ〜。知りたくも無かった事実が明かされちゃったぜ……」
走ったせいか、恐ろしい事実のせいか、額にかいた汗を拭いながら、私は一人ぼやいた。
すっかり上がった息を落ち着かせながらてくてく歩いているうちに、ふと気がついた。
「しまった。こっちの道は熊が出るんだった」
我が家の裏山には幾つかの熊の群れがいて、この辺りはその中でも大きめの群れのテリトリーなのだ。
そしてこの季節、冬眠前の彼らは食糧を求めてうろつき回っている。遭遇する確率はかなり高い。
更に言えば、私と同様に甘い山ぶどうを好物としているから、熊除けの鈴は必須アイテムだった。
それが無いとなると……。
「……歌うか」
元々熊の方から人間に寄ってくる事は無い。鈴を鳴らすなり何なり、音を立てていれば、向こうから避けてくれるのだ。
まあ、飢えた熊は別としてね。この場合は死んだ振りなんて何の意味も無い。逃げるか、戦うか。この二択だ。
さて、歌うとなれば何を歌うか。
ここはやはり物悲しい恋歌よりは、陽気な童謡だろう。
そう思った私が、すうっと息を吸い込んだその時だった。
♪お〜おきなくまにたべられて、終わるーなんてーイヤだ〜っHey!
歌が、聞こえた。
傍らの茂みの奥のようだ。
妙な歌詞だが、メロディーに聞き覚えがある。ような気がする。
よもや村の子どもが一人で来ているんじゃないかと心配した私は、熊を警戒しつつ、茂みの奥へと足を踏み入れた。
が、しかし。
「いないな……」
少しばかり開けたその場所には、人っ子一人いない。
しかし収穫はあった。
その場所には山ぶどうの木が何本も生えていて、紫色の果実がたわわに実っていたのだ。
この間、隣のケン君(実在)を脅して教えさせた山ぶどうが沢山穫れる秘密のポイントはここだったらしい。
よっしゃ! とガッツポーズを決める私の耳に、歌の続きが聞こえて来た。
♪せっかくぶどうのまおお〜うにうまれたからには、がっちり勇者様に狩られてやろう!Year!
……多分、Yeah! と間違っている。
目を凝らすと、そこに、ヤツはいた。
一粒だけ、激しくブランコのように揺れている。
その、黒い点としか言い様の無い瞳。一筆書きの口。投げやりに書き下ろされたかのような細い手足が、ぶらぶらと体(果実)の横で振れていた。
私は、見ザル言わザル聞かザルを決めた。
腰から取り出したハサミで、端から順に熟したぶどうの房を切り取り、背中から下ろした籠に入れていく。
そのうち、ヤツは私に気がついた。
やめろ、その目を輝かせるな!
「そこにおわすは勇者様ではあ〜りませんか!」
「違う」
「まったまた〜♪」
うっかり即答してしまった私に、近所のおばちゃんのようなツッコミをいれてくる。
「不肖、このぶどうの魔王! 勇者様の訪れを今か今かと待っておりました次第でございますそうろうっ」
訳のわからない言葉遣いで、私を、……歓迎しているらしい。
しかし一度構うと先のキノコの魔王と同じ道を辿りかねない。
私はぶどう収穫マシーンと化して、ハサミをぱちりぱちりと動かし、ぶどうを次々と収穫していった。
ぶどうの魔王は私のシカトにもなんらめげる事無く、一人(一粒)話し続ける。
「おおっ、それは、よもや聖剣を変化させたハサミですかなっ。いや〜、聖剣に狩られるなど、本望本望!」
いえ、普通の園芸用ハサミですが、何か? とは答えまい。
「いやはや、流石は勇者様。その収穫スピード! いよっ裏山一! 熊どもとは比べ物になりませんなっ」
そして、ぶどうの魔王は話せば話す程その揺れが激しくなっていった。
ゆらゆらから、ぶらぶらへ。
ぶらぶらから、ぶらん、ぶらん、へ。
ぶらん、ぶらんから、到頭、ぐわん、ぐわんへ……。
ぷちっ、と可愛らしい音がしたかと思うと、続いたのは、とんとんとん……、という虚しい音だった。
さしもの私も、ハサミを止めた。
地面に仰向けにひっくり返ったぶどうの魔王は、それまでの陽気さを捨てて呟いた。
「……ぶどうも、木から落ちる」
自然の摂理がそこにあった。
第二の魔王は山ぶどう。