28.比べれば苦労は九牛の一毛
気が付けば見知らぬ天井。
けれど匂った覚えのある消毒液の匂いに、そこが病院であることがすぐに分かった。
体中が痛い、特に掌と腕と背中。タイムは痛みに呻き、寝返りさえ打てない事に気が付き舌打ちを一つ。
「こら、起きて早々なんだその悪態は」
首はどうやら何らかの医療器具で固定されているらしく、一切動かせなかったが、聞こえる声だけでその声の主は分かった。
一番タイムが苦手としている兄弟だ。
「お前は自分がどれほどの無茶をしたか分かっているのかタイム! お前が頑張ったのは認めるがな、お前が自分を蔑ろにすることで泣く兄弟もいるんだぞ、分かっているのか?」
分かっているし、似たような事を以前カレンに説教したなと、タイムはオリーブの説教を上の空で聞き流す。
だってあの時はああする以外に何ができたよ。
言葉に出さずにぼやけば、その態度から察したのか、オリーブが深々と溜息を吐く。
「まったく……確かに現場検証でもお前のしたことは仕方がないと言われていたよ」
「……現場検証終ったんだ?」
ようやく口を開いたタイムに、オリーブは再度溜息を吐く。
説教は聞き流すくせにとぼやけば、だってそれと同じことをマートルに絶対言われるからとタイムは返す。
「そうだろうな。事件の方は、もう犯人逮捕が決まっている。今はその罪状を詰めてる所だ……それと、お前が起きたらお前にも話を聞かなきゃならんのだが、話せそうか?」
一応当事者だからなとオリーブは言うが、タイムとしては放火窃盗事件とお化け時計塔での殺人未遂、どちらの事を指してなのか分からなかった。
放火窃盗の方ならば、タイムはその証拠隠滅にも手を貸したことになりかねない。
「お前が被害者の事件の方だ。放火窃盗についてはまた別に調べなくてはいけないからな……証拠品については、一応ヤロウさんが、犯人が証拠品を隠滅するのを防ぐために、民間人の協力を得たという体を繕ってくれてるぞ、安心しろ」
寧ろ最初からその方向で動いていたんだとオリーブは自慢げだが、そうでもなければヤロウもあんな無茶はさせなかっただろうとタイムは思っていた。
それよりも自分が被害に遭ったという事件の方だが、タイムはその時の事を思い出して強い吐き気に襲われる。
「無理……ショック大きすぎて無理」
割れた鐘の音、掌の痛み、降りつける雨の冷たさと、足元に見える町並み。
視界がグラグラと揺れ、遠くの山並みにも雨が降るのが見えていた。
その状況がどれほど恐ろしかったか。
そしてその後のギシギシと鳴く歯車とむせかえるような血の匂い。
ジャケットが歯車に引かれた瞬間、その軋みの中に自分も飲まれるのかと絶望した。
寧ろカーミレに首を絞められている時よりも、思考する余裕のあったその時の方が恐ろしかった。
今でも思い出すと震えが止まらない。
青白い顔で無理だと言うタイムに、それなば仕方ないなとオリーブは頷く。
「分かった、そう伝えとく……カーミレとカマイの証言でも、だいたいお前に非が無いのは分かってるからな」
オリーブの返した言葉にタイムは驚き、とっさに飛び起きようとして痛みに悶えた。
「生きて……」
カマイが生きていた。
あの時鐘が邪魔でカマイがどのようになっていたのか分からなかったが、あの時悲鳴が途切れ強烈な血臭がしたことから、絶対に死んだと思っていた。
きっとカーミレもそう思ったからこそタイムを襲ったのだ。
「ああ、脚を切断して気絶しただけだったらしい……カマイはカーミレから引き離したら、とたん僕達に協力的になったよ。本当は悪事などしたくなかったが……父親のために、認めてもらうためには必要だと.....養母であるカーミレにそう言い付けられていたらしい」
やはりカマイはカーミレの息子だったらしい。しかし養母と言うことは、実際に血の繋がりは無いのかもしれない。
ただカーミレに従わざる得ない、そう強制させていたのは片親の血なのだろう。
容姿は完全に火の穴熊族の姿だったが、だからこそ吼え馬の性質を持っていたのだとすれば気になる事が一つ。
「カマイの父親って?」
タイムの問いに、オリーブは頭を掻き、どうにも腑に落ちないと言った様子。
「それなんだがな、一応カーミレはネトル氏だと言っているんだが……ネトル氏本人は否定していて、一応……ネトル氏がカーミレと情を持った証拠などは一切ないらしい。また、カマイ本人がカーミレは実母でないと言っていて.....いや、全く関係がなかったわけではないのか。カマイが生まれる前に関係を持ってはいないというだけで。だがどにうも妙だ.....誰の言葉にも、嘘はないのに齟齬がある。僕には男女の機微は分からないが本当にどうして何か妙なんだ。使用人からの証言では、カーミレがネトルの恋人だったと。だがネトルは否定して.....あれは嘘だとは思えないと、匂い羊の同僚も言うし」
「はあ?」
ずっとネトルの愛人だと思っていたはずのカーミレが、実はネトルとは関係が無いかもしれないとは、一体どういうことだろうか。
「だってあいつ……ソレル家の本家に出入りしてたんじゃないの?」
「ああ、いや、本家の敷地内にある別宅に、住んではいるらしいんだが……」
本家の敷地内にある別宅に住んでいるのなら、愛人ではないと言う方が難しい気もするのだが、オリーブはそれでもカーミレはネトルの愛人ではなかったと言う。
「もう一人怪しい人物はいるんだ。元々その別宅を使っていた……まあ何と言うか、カーミレとその男は原告と被告と言う関係上、そちらを疑うのが難しいというか……」
「え……カーミレと裁判してるって、それって……」
オリーブの言葉にたった一人だけ該当する男をタイムは知っていた。
まさかと問い返そうとしたタイムの言葉を、オリーブはまだ確証じゃないからと遮り、これ以上は捜査上の機密だと口を閉ざした。
これ以上何も聞けず、こちらも話はできないとタイムが言ったことで、この日のタイムとオリーブの面会は終わった。
それから連日、タイムの病室にはひっきりなしに兄弟達が出入りをした。
時に怒り、時に泣き、そして時にディルがお揃いじゃんと車椅子で茶化しに来た。
半身不随と言ってはいたが、体のしびれが取れてくれば、完全に動かないのは足だけで、腰くらいまでなら結構動くのよと、体重移動を駆使し、機敏に車椅子を操縦するディルに、やっぱりこの人はこれくらいじゃへこたれなかったかと、タイムは安どと呆れを同時に味わった。
肋骨の骨折などが有り安静を取っていたが、タイムもそろそろ退院となった頃だった。
「ルバーブの奴がさ、認めたよ!」
ディルは片手で器用に車椅子を扱ぎながら、もう片方の手にひらりと何かの書類を振る。
いきなり自分の入院する部屋に来て謎の発言をかます兄に、タイムは怪訝に眉をしかめる。
「本当か! どうやったんだ!」
しかし見舞いに来ていたマートルとバジリコには、その理由が分かっていたようで、飛び上がらんばかりに喜んだ。
「どういうこと? バジリコ」
ようやくかと喜びに肩を震わせ、感動屋らしく目に涙さえ浮かべるバジリコに問うと、バジリコはそう言えばお前に言っていなかったかと今更ながらに語る。
「相続書類の改ざんにあの弁護士が一枚噛んでたということだよ! それをついに認めたんだ! これで裁判までの道のりが近付いた!」
答えたのはマートルで、鼻の頭を真っ赤にし、今にも泣きだしてしまうのではないかという様子。
盛り上がる三人に、タイムは驚きつつもなるほど納得がいったと頷く。
裁判までの時間がなぜそんなにかかっていたのか、そもそも偽造書類は何処から出てきたのか、色々と腑に落ちない点があったのだ。
それにカーミレがどうして弁護士事務所で火事に遭い、顔を火傷したのかも。
さらにはネトルが全くこの件に噛んでいなかったことも。
何のことは無い、契約の破棄をしたのはネトルではなく、間に立っていた弁護士のルバーブだったのだ。
ディル達はもしかしたらその事をうすうす感づいていたのだろうか?
ネトル本人に対する敵愾心のようなものが感じられず、随分と悠長だとタイムには感じられていた。
それがまさか敵と目している相手が違ったからだとは。
なぜ犯行が放火窃盗だったのかも、最初に被害に遭った自分達も、被害者であると言い張る為だったのだろう。
実際はその火事は契約書類を一方的に破棄したことによる、シフレの呪いだったのかもしれないとタイムは気が付く。
タイムがシフレの呪いの話をした時に、ディルが何かを確信した様子だったのは、これだったのだ。
「兄貴……俺が勘違いしてるって、気が付いてたの?」
問えばディルはキシシシと笑う。
「まあお前は何だかんだで熱い奴だしな、誰と敵対してるかなんて教えちゃったら、俺の言うことも聞かず飛び出して行っちゃいそうでしょ?」
「っ……返す言葉もないね」
なにせディルが止めるのも聞かず飛び出して、心配をかけてしまったのはついこの間だ。
マートルもタイムは猪突猛進過ぎるとお説教を始めるが、ディルがそれを遮る。
「でもま、これもお前のくれた情報のおかげよ。あの狸、自分が契約に立ち会ったあの書類が、シフレの本物の契約書だって事を知っておきながら破棄して、自分が肺の病にかかってやんの。治すにはシフレ山への参拝で罪を懺悔するしかないって教えてやったら、すんなり白状したよ。ま、認める前の最後の悪足掻きもしやがったけどな」
火事で肺に炎症を起こし、激しく動くことができなくなっていたルバーブに、ディルはタイムから聞き出していたシフレの呪いの解き方を教えに行った。
それがルバーブの証言を引き出し、文書にしたものがこれだとディルは振っていた書類をタイムに差し出す。
それでタイムは、何故ディルが強盗に襲われた日にソレル家へと帰ったのかも分かった。
最後の悪足掻きが最悪な結果になる事も有り得ただろうと呆れるタイムに、ディルは失敗したなと苦笑い。
それでも成果は出たと満足そうにタイムの頭へと手を伸ばす。
「お前のおかげ」
ありがとうと、ディルは真っ直ぐにタイムの目を見て礼を言う。そのあまりにも強すぎる視線に、タイムは思わず目を逸らす。
「別に……俺は、ただ、知ってる事話しただけだし……」
「お前がベラムを出て、知ってきたことだろ? ここにいたんじゃ何時までも知らなかったことかもしんないじゃん。だからさ、お前のおかげだよ」
それは四年前にタイムが施設を飛び出し、ベラムを出て行ったことも含めての言葉だった。
自分が出て行った間に大きく変わってしまった施設の現状に、タイムは心を痛めていた。
自分のせいだという思いが少なからずあった。
ディルはそんなタイムの想いを見抜くように、お前がベラムを出てくれて良かったと言うのだ。
礼を言うのはこっちの方だと、タイムは首を振る。
言葉は出てこなかった。
代わりにぼろぼろと涙がこぼれ、言いたい言葉を飲み込んでいく。
認めてほしかった。自分が誰かを知りたかった。頼って欲しかった。誰かの役に立つ自分になりたかった。
ずっと求めていた物が、満たされていることにタイムは気が付く。
言葉は涙に呑まれて音にならなかったが、それでもタイムはぐっと顔を上げた。
あと一話でおしまい。




