27.落ちる鳥
タイムは外への扉へと手をかける。
鍵はかかっているようだったが、長く放置されてさび付いた鍵は錠前のような形で、木の扉に取り付けてある鍵をかけるための金具は、ネジの根元が折れているようだった。
ガタガタと揺らせばあっさりと鍵は壊れて落ちる。
扉は引いて開けるようになっており、そこから覗けば文字盤の上に出られることが分かった。
鐘楼は中からも点検や整備ができるようになっていたが、どうやらこれは外からの点検用の通路に出るらしい。
人一人がようやく歩けるほどの狭い通路が壁に張り付くように作られている。
転落防止のための柵は鉄でできていたらしいが、雨風ですっかり錆びてボロボロだ。
柵の代わりなのか、時計塔の壁には後から打ち付けられたのだろう金属の杭が通路に沿って刺さっていた。
これを掴んで手すりの代わりにするらしい。
雨が降り込む。風がかなり強い。濡れた外の通路に出るのはかなり勇気がいるが、それでも逃げ道はここしかない。
タイムが躊躇しているうちにカマイ達ははしごを立てかけ直したのだろう、ガタガタと音がしてタイムが登ってきた床の穴から茶色い頭が見えた。
いつまでも躊躇ってはいられないと、タイムはすぐに外の通路へと躍り出た。
風も強くなっており、激しく吹き付ける雨に足を取られない様に慎重に通路を進む。
螺旋の通路は鐘楼へと続いている。
鐘楼の縁に何とか辿りつくが、足場は細く不安定だ。
鐘楼には壁が無くの八本の柱と梁と四つの鐘で出来、鐘の音を響かせるための空洞が屋根の内側にあった。
鐘を吊るすための柱だけは劣化をさせないように手入れしていたのか、外に吹き曝しになっていた柵の様に朽ちてはいなかった。
しかし鐘楼の鐘は四つのうち二つに大きな罅が入り、一つは中の舌と呼ばれる金属の棒が半ばから折れていた。
この割れた鐘が鳴らす音が、お化け時計塔のあの悲鳴のような割れた鐘の音を出していたのだろう。
足元を見れば、鐘の更に人の背丈ほど下に、格子状に渡してある板の隙間から複雑そうな歯車が見えるばかりで、中の様子ははっきりとはうかがえない。
歯車は酷く錆びている。
時計の機械部分に比べて雨風が振り込みやすいせいだろう。
タイムは目の前にある大人でも抱えきれないほどの鐘を見る。吊るされているこの中に隠れようかとも思ったが、掴まる所は中の舌しかない。
さすがにいつ諦めて帰るかも分からない相手に、こんな所に隠れてはいられない。
他に場所があるようには見えないが、どうにかして身を隠して、オリーブ達の帰りを待つしかない。
ならばここはどうかと、タイムは鐘の吊るされた柱に手をかける。
簡単には登れそうには無かったが、はベルトを抜くと梁にかけそれを掴んでよじ登る。
タイムが梁に登り上がるの頃には、足元の壁沿いに先ほど見たのと同じ茶色い頭が見えていた。
間一髪登り切りタイムは音に出さずに息を吐く。
「いない! いないよ!」
「いないはずがない! 探すんだ!」
声の片方は時計塔の建物の中、鐘楼の下から聞こえた。
どうやらカーミレはまだ中にいるらしい。
タイムが再び下を覗き込めば、歯車の隙間にチラチラと何かしら影が動くのを見ることができたが、鐘が邪魔ではっきりとは見えなかった。
ただこの鐘の下は時計塔の中に繋がっているのは確かの様で、よくよく見れば唯一無事な鐘には舌に直接縄が括り付けられ、それが建物内へと引き込まれている。
上手くすればここから中へ入る事が出来るかもしれない。
しかし時折思い出したようにうごくこのお化け時計塔。
下に見える歯車が運悪く動かないとも限らない。
もしここから中へと飛び降りるなら、よくよく注意しなくてはいけないだろう。
それでも、見つかるのは時間の問題だ。
いつまでも梁の上にいるわけにはいかない。焦りが体に伝わり、僅かに前のめりになった瞬間、タイムの登った梁がギシリと鳴いた。
勢いよく顔を上げたカマイとタイムの視線が交差する。
「いた!」
「捕まえるの! 速くして! あいつが戻ってくる!」
カーミレの声は雨に紛れて聞こえにくかったが、外を覗いているのだと分かった。
あいつがマートルかヤロウかは分からないが、タイムがじりじりと逃げている間に間に戻って来たらしい。
しかしタイムは手放しで喜べなかった。
カマイの手は梁へと延び、力任せに登ってきているのだ。カマイの体重を受け梁がさらにギシリと悲鳴を上げる。
足場の悪い梁を這うように伝い、タイムは割れ鐘の上へと移動する。濡れた梁が今にも滑りそうだ。
「逃がさない、逃がさない、逃がさない!」
切羽詰まったようなカマイの声。
タイムは一体にが彼をそうさせるのか聞いてみたい衝動にかられた。
尋常ではない様子のカマイに、タイムは声をかける決心をする。
「あんた、どうしてあの女の言うことを聞いてるの? あんたはもっと自分の好きな事をしていいはずなのに」
「何で?」
駄目で元々のはずのタイムの言葉に、カマイの動きが止まった。言葉は通じる。
妙に幼く見える言動をしてはいるが、カマイには間違いなく人とコミュニケーションを取れるだけの思考があるようだ。
「怒られるの嫌だろ? あの女はあんたを」
「カマイ!」
タイムの声を遮り鋭いカーミレの叱責が飛ぶ。
するとカマイはびくりと肩を跳ね上げ、タイムに一瞬見せた思考の色を消し去ると、不安定な梁の上に一瞬で体を引き上げた。
その動きが先ほどの梯子一つに四苦八苦していた姿とは重ならず、タイムは困惑する。
まるでカーミレの言葉に何かトリガーが有ったかのような。
「そうか……波馬は吼え馬の」
亜種。だからこそ吼え馬の長の咆哮と似た性質を、カーミレの声がも持っているのだろう。
普段の数倍もの膂力を発揮し、恐怖や躊躇を消し去る反面、思考の単純化と想像力を欠如させる諸刃の剣。
タイムは吼え馬の咆哮の短所も熟知していた。
何せ自分の師匠が最も恐れるべきは、自分の中にあると常々言っていたのだから。
きっと今のカマイはタイムを捕らえることだけに腐心し、自分が置かれている状況を顧みることはできないだろう。
思考無く動くだけの木偶ならば、幾ら力が強かろうが問題は無いと、タイムはほくそ笑む。
「後必要なのは俺の勇気ってね」
自分を鼓舞するために茶化したような言葉を吐いて、タイムは梁の上にふらりと立ち上がる。
カマイもまた梁の上に立ち、タイムに飛びつく寸前だった。
タイムはカマイを避けるように梁の上から飛び降りた。
タイムに伸ばしたカマイの腕が宙を掻き、カマイは即座にタイムを追って梁から飛び降りた。
梁の下には割れた釣鐘。カマイは釣鐘の上にぶつかり、掴む場所も無い釣り鐘から滑り落ちる。
ベルトを梁に通し、割いたハンカチを手に巻くことで滑り止めとして両手でしっかりと握るタイムに、割れた吊り鐘が大きく揺れて迫る。
ぶつかる寸前に手を離そうとするタイムだったが、それまでの釣鐘の重みに耐えていた古びた梁は、いよいよもって限界を迎えたのか、バリバリビシリと鞭うつような音を立てて割れ、裂けた。
「嘘だろ!」
タイムとカマイ二人の体重のせいもあったのだろう。
Vの字に割れた梁から鐘が落ち、歯車上に渡してある板に辛うじて引っかかったカマイを直撃した。
カマイの乗っていた足場の板は梁以上に脆くあっさりと重みと衝撃に割れる。
ギャアッと潰れる様な悲鳴を上げるカマイ。
しかしその悲鳴はすぐに軋んだ歯車に飲み込まれてしまう。
鐘の落ちた重い衝撃に、錆びた歯車が動き出したのだ。
錆だけではない生臭い匂いと、聞こえてはいけない濡れた破砕音がタイムの耳に届く。
タイムは折れた梁に何とか手をかけ、手に巻いたハンカチのおかげもあってひっかりを作り体重を支えることができていた。
もろともに落ちるのだけは回避できたが、このままではタイムも落ちてしまうことは避けようが無かった。
掌が痛む。手に巻いたハンカチを貫き、割れた木材が皮膚を裂き、肉に食い込む。
握力ももう持たない。
ギシギシと異物を巻き込んだ歯車の動きに合わせ、残った三つの鐘が不協和音をかき鳴らす。
最悪だと毒づきながらタイムは目を閉じた。
悪い人生ではなかったと思う。
結局一番やりたい事は出来たし。
本当はこれからもっと恩返しもしたいし、施設の事も気になるのだけれど、タイムには頼もしい兄弟達がいるのだから大丈夫だろう。
兄は怪我くらいでへこたれる様な奴では無い、姉達はタイムが心配するほど柔ではない、妹達は……きっとタイムがいなくなったら泣くだろう。
それこそ食事も喉を通らなくなるほどに。
泣いて泣いて泣き暮れて、もしかしたらあの妹達の小さな体はタイムの無責任な行動のせいなのかもしれない。
はっと気が付けば、タイムはまだ死ねない理由に想いたる。
「あいつら残して死ねるかバカ野郎!」
決断すれば早かった。
手の内側が裂けるのも構わず、タイムは足を大きく振りかぶって勢いをつけ、揺れる鐘のうちの一つに狙いを定める。振り子運動のタイミングで、タイムとその鐘が最も接近する瞬間に手を離した。
舌に括り付けられた縄。それを掴もうと手を伸ばす。
その下には歯車を避け時計塔の内側に抜けるだけの隙間がある。
痛みにひきつる体を叱咤し、タイムは縄を掴んだ。
掌の刺すような痛み、体重を支える間接が千切れそうな痛みに意識が遠のきそうになるが、それでも必死に、血で滑るままに縄を使って下へと滑り降りる。
ギシギシと鳴る血塗れの歯車に、ジャケットが引っかかる。
錆びてるくせにやけに力強い歯車に引っ張られ、タイムは手を離してしまった。
しまったと思うも、運よく両手を上げる様な形で落ちるタイムの体から、ジャケットがずるりと剥ぎ取られ、歯車に絡まる。何処を噛んだか、歯車のギシギシと唸るような動きが止まり、タイムは時計塔の床に投げ出された。
強かに体を撃ちもんどりうつタイムに、カーミレが掴みかかる。
「よくもおあああああああああ!」
喉を押さえ、息の根を止めに来るカーミレに、タイムは抵抗することも出来ずただじたばたと足を床にたたきつける。
苦しいと悲鳴すら上げられず、意識を飛ばすタイムの耳に、甲高く吼えるような声が聞こえた気がした。
ドンと、タイムの体が跳ねて床を転がる。
受け身も取れずに転がるまま壁に叩きつけられるタイム。
意識は朦朧とし、自分に何が起こっているのかも分からない。
「兄さん! 兄さん!」
一瞬視界が白け、気が付けば、そこにいたのはカレンとネトル、そしてマートルの三人。
一体何が有ったのかと見れば、顔に火傷のある女、カーミレが時計塔の壁、自分の横にもたれるように伸びていた。
その傍らにはオリーブの姿。
「兄さん! 兄さん! 兄さん!」
ぼうっとする頭に響くカレンの泣き声に、タイムは煩いよと呟き、血塗れの手でカレンの手を握る。
「生きてるから……とりあえず、病院」
タイムが意識を保っていられたのはそこまでだった。




