2.喪に服す黒猫
施設は最大百人の子供を受け入れられるように作られていた。とは言っても一人部屋が与えられるわけではなく、二人ないし三人の共同部屋。
タイムがいた頃は女児の方が多く仕方なく女児と同じ部屋で生活をしていた。その部屋は今はもう誰も生活していないとい。
埃をかぶった部屋には、誰の生活跡も無く、部屋に据え置かれたベッドやチェストには灰色にくすんだ布がかけられていた。窓を見れば中庭が見える。傷薬や子供の解熱に使われる薬草や、料理のためのハーブを育てている中庭は、以前よりもずっと耕作面積が狭くなっていた。
種を取るために摘み取らず放置された数株のキンセンカの花が、枯れて茶色くなっている。
傷薬の定番であるその花に、昔は散々世話になったと少し笑ってしまう。
管理する者も、薬としてハーブを使う者も少なくなっているのだ。
「今は二十人ほどしか子供達はいないわ。それでももうやって行けそうにないの」
荒れた施設の現状を聞いたところ、マザー・フラックスが返したのは、この施設はもう資金難で閉鎖寸前だということ。行政からの援助も今のままでは得られないらしい。
「ほとんどが十歳未満の子供達よ。働き口の探せる子達には皆出て行ってもらったわ」
マザー・フラックスは布のかけられたチェストを名残惜しそうに撫でる。
「もう新しい子を受け入れることはできそうにないから、ここにある物も売りに出す予定なの。二束三文でしょうけど、今いる子達だけでも、無事働ける年齢まで育てなくては」
夢見がちだと言われる菫の瞳が、夢など見れない現実を見据えて細くなる。苦しそうな顔をしているとタイムは溜息を吐く。
「ごめん、俺も働いて、少しでもここに金を入れるべきだった」
まさか自分が飛び出してたった四年の間に、ここまで大変な事になるなんて思ってもいなかったのだ。セイボリーの理想がたった一代で潰えてしまい、もうこの施設には金を出すことはできないと、新しくその商人の家業を継いだ甥という男が宣言したのだそうだ。
それはまさに青天の霹靂。今まで運営資金の殆どをその商人からの寄付で賄っていた児童養護施設は、瞬く間に窮地に陥った。
人の金で運営している以上、余剰な物や金なども無く、必要最低限で運営していた施設は翌月からの資金繰りにも困るようになった。
しばらくは施設の窮地を知った出身者達が金を入れてくれてはいたが、その多くはすでに自分達の家族を持っており、その金額も多くは無かった。
眠り羊の種族特徴は、一晩で物事の判断を付けること。眠りが深い種族だが、それは夢の中でも常に思考し、他者の無意識と共感することができるため、眠りこそが眠り羊の一晩の判断をもたらすものだった。
資金の打ち切りを聞かされたマザー・フラックスは、その日の内に施設内の現状を紙にまとめ、読み込み、結論を出していた。今いる子供達だけを、より効率よく職に就けさせ、この施設を閉鎖する方法を導き出すと。
タイムが今更後悔しても、当時の資金繰りでは焼け石に水であったろうし、眠り羊である祖母が出した一晩の判断は変わらない。マザー・フラックスは緩く首を振る。
「いいのよ。本当ならあなたの養育は身内である私自身が担うべきだったのよ。それをこの施設優先にして、あなた自身をここの子供にしてしまったの……あなたは本当なら、ここではない場所で生きてよい子だったのよ」
マザー・フラックスの言葉にタイムはうなだれる。
「違うよ……俺は仕方なくここにいたんじゃない、ちゃんと自分で望んで此処にいたさ」
自嘲気味に笑い合うタイムとマザー・フラックス。孫と祖母という関係ではあるが、タイムは自分達の間に壁があるのを感じた。他の児童養護施設よりも環境は良かったとはいえ、それでも一般的な家庭の子供のようにタイムを育てることができなかったことは、マザー・フラックスにとって負い目なのだとタイムは気が付く。
「俺は、婆ちゃんに感謝をしてるよ」
どうにかして家を、あの施設を残すためには何をすればいいだろうか。考えられることはまず、新しいパトロンを探すこと。本当ならば今まで自分達を支援してくれていた商人の跡継ぎである甥とやらに会って、その甥を説得ということも一案としてあったが、それをマザー・フラックスがしなかったというのは何かしら理由があったのだろうと察せられたので、タイムはあえて最初からその説得を除外して考えた。必要なのは金だ。
「……ママは結局見せてくれなかったしな」
タイムは資金繰りがギリギリだという施設の現状を把握しようと、マザー・フラックスに施設の帳簿を見せるように頼んだが、マザー・フラックスは部外者には見せることはできないと、きっぱりと断った。
「いいのよ、貴方は気にしなくて。それよりも、セイボリーさんのお墓に挨拶に行ってらっしゃいな。せめて最後にお別れを言ってあげてちょうだい」
と、無理やり墓参りに追い出された。セイボリーの墓に行って来いとマザー・フラックスは言ったが、そのセイボリー家の墓があるのは町の敷地の外縁。それも北東ベラム川の支流を越えた小高い辺りだ。墳墓の土は病気を持っているため、その土が町の水を汚染しない様に町の中からだとかなり遠い場所にある。たどり着く頃には昼時を過ぎるだろうか。
「少しくらい俺を頼ってくれてもいいと思うんだけどな」
ベラムを出て四年の間に自分も結構成長しているとタイムは思っていた。眠り羊は一晩の思考以外にも、意外と力の強い種族だ。寒さにも強く、肉体労働にも長けている。類似している種族である匂い羊よりもよほど丈夫で、日雇いの仕事を探すのも苦労は無かった。なので、こうして故郷に帰ってくる間に、少しは金銭に余裕もあったのだ。
滞在費として金を渡すこともできるし、自分が働いて祖母を養うことだって構わないとタイムは考えていた。ただ、その考えには未来が無い事も、タイムには分かっていた。
日雇いや単純な肉体労働ではいつその仕事をできなくなるかも分からない。何かしら安定した職に就こうにも、今のタイムでは技術も何もないので徒弟として取って貰える場所を探すしかないが、そうなると収入といえるほどの賃金が出る可能性は低い。
安定した収入の定職に就くということは、貯蓄をする余裕ができるということ。貯蓄をすることができれば、今のようないざという時に、もう少し余裕のある対応をすることができたはずだ。夢も希望もへったくれも無い、金が無ければ考えるための時間すら与えられない。
自分の祖母が導き出した考えは、こういうことなのだろうと理解していた。
最低限、子供達が働ける年齢になるまで、それまでは食うに困らないように施設を維持する。その後の祖母自身の事は考えてないのだろう。
「生贄の羊じゃあるまいし、自分の事も考えろよ……」
ため息を吐く。昔以上に痩せた腕だった。それでも力だけは強く、その手で掴めるだけの子供達を掴んで、必死になって守ろうとしている。
煩わしいくらいに真っ直ぐで、それが誇らしくもあったのに、そんな誇らしいたった一人の血縁が、自分を頼ってくれない。
「俺ってそんなに……役に立たないかな」
自然と足が重くなる。頼って貰えない虚しさで、足が空転しているような気さえしてくる。そのうち自然と歩みが止まれば、もう一歩も進む気にもなれなかった。
「……あー……何のために帰ってきたんだかなあ」
適当な建物の壁に寄りかかりしゃがみ込む。
帰ってくるまでは嫌な予感はしていても、ここまで無力感にさいなまれることは無かった。自分があの施設を飛び出してからの四年間で身につけた知識を、どうにかして生かしてやろう、きっと自分ならそれができるはずだと思っていた。
しかし実際はどうだ。自分は既にあの施設の外の人間として扱われ、施設の抱えた問題の蚊帳の外に追いやられているだけ。助けようとの手を伸ばす事すら拒まれてしまっている。誰よりも一番頼って欲しいと思った血縁に拒絶されてしまった。
タイムは頭を抱えてもう一度溜息をついた。 ネガティブな思考に一度ハマってしまうと、なかなか浮上できないのが自分の悪い所だと自覚している。昔から自己の肯定が苦手で、それを補うために知識欲があったような気さえしていた。
施設を飛び出してから、自分の事を考えてる暇の方が無いくらい、必死に生きるためと、満たされない知識欲に突き動かされていたため、まだどうにかなっていたと思う。
ならば、施設に居た当時はどうだっただろうか。
記憶の中でいつも一緒に居た少女の、無駄に明るい笑顔が思い出される。
キンセンカの花を一緒に育てたのだった。腕白な弟、妹達が怪我をするから、年頃になった兄や姉達が赤い顔を気にするからと、いつも彼女の育てたキンセンカは重宝されていた。
感動屋で泣き虫で煩くて、甘えたがりやで働き者で、いつも大きな口で笑ったり、仲の良い姉達と一緒に忙しなく下の兄弟達の面倒を見ていたっけ。
「あいつ……今どこにいるんだろう?」
自信無さ気にしているタイムを、本当の兄のように慕い、何時もちょこちょこと後ろをついて歩き頼りにしてくれてもいた。
あの小さな少女に自慢の兄と思ってもらいたくて、低い自己肯定意識を無理やり上に引っ張っていた気もする。
またああして頼って貰えれば、まだ頑張れるかもしれないんだけどな。
無い物ねだりのように思う。
施設に彼女の姿は無かった。きっとすでにどこかに就職したか、嫁にでも行ってしまったのだろう。よく働き見目も可愛らしい少女だったから。
「連れて行けばよかった……」
無理やりにでも、一緒に連れて行けばよかった。ふいに湧いたそんな身勝手な考えに、タイムはしまったと口を押える。
自己満足のために、苦労をさせると分かっていて妹を連れ出せるものか。なけなしの兄としての矜持が、タイムを現実に引き戻す。
「うだうだしてても何にもならねえ」
それでも一瞬思い出した笑顔と、声に背を押されて、何とかタイムは立ち上がる。
施設のセイボリーの墓がある墓地までの上り坂の手前には、結構な柵が連なっている。
社会的な地位や財産のあった死者の副葬品を盗むような輩がいるからか、門扉にはしっかりと警備の人間までいる。
タイムのようなどこの馬の骨とも知れない者が行っても通してもらえるだろうか。一応墓に供えるための花を買ってはいたが、今さら不安になる。
警備員と目が合った。タイムは何と声をかけるか迷いながら、口を開いては閉じる。
「どちらの?」
痩せ気味ではあるがいかつい顔と角の警備員が問う。
「セイボリーさんの」
「どちらの家です?」
タイムの答には納得しなかったのか、再度問う。親しみを覚えさせるためか、家名ではなく個人の名前で呼ばせていたセイボリー。家名はたしか……。
「……ソレル、セイボリー・ソレルさんです」
「孤児院の?」
施設の事は知っていたらしいが、何か疑いでもあるのか、更に問い詰めるように警備員はタイムに質問を続ける。やはりタイムではこの墓地に入ることはできないようだ。
「そうです」
「ならば申し訳ないが、墓に参ることはできない。親族の者にでも」
言いかけた言葉が途切れ、警備員がタイムの背後へと視線を投げる。タイムもその視線を追って振り向けば、どこかで見た事のある様な顔立ちの貴婦人がいた。
黒い飾り気のないドレスと、目深にかぶった帽子の下で、金緑の猫の目が光っている。
「こんにちは、今日もご苦労様……何度も言っているけど、我が家の墓を暴くような人はいないでしょう? 義父さんは賑やかな事が好きだった人よ。現当主殿が何を言ったのか知らないけれど、あの施設の子達を排除しないでくれないかしら?」
静かだが苛烈、そう思わせる怒気を含んだ声で貴婦人が言う。声音を作ってはいるが随分若い。笑みに作られた唇の端から覗く鋭い犬歯が酷く攻撃的に見える。
「……あ、マートル!」
タイムは貴婦人が一体誰だったかを思い出し、思わず声を上げた。
瞬間、マートルの指の長い手がタイムの頭上に振り下ろされる。強烈なチョップをくらいタイムは蹲った。
「姉さんと呼べ。お前は相変わらずだなタイム」
屈みタイムに聞こえる程度の声でマートルが呟く。タイムはその横暴さに懐かしさを覚えつつ、ここは素直に従うのが吉と「すみませんでした」と小さく謝罪する。
マートルが警備員に向き直り、余所行きに飾った笑みで言葉をかける。
「今回は私が彼を連れていきます。それならば文句は無いでしょう?」
警備員としてはまだ何かしら不満があったらしいが、それでも、マートルの有無を言わさない態度に、仕方なく頷くしかなかった。




