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1.黒い羊帰る

 失われた神の遺物「ギフト」まさか本当にまだこの町にあるなんて思ってもみなかった。

 タイムは自分が手にしたそれを食い入るように見つめる。


 人の眼球ほどの大きさで、硝子で出来た珠の中に、真っ赤に燃える炎を内包しているようにも見えるし、真冬の晴れた日の月のようにも見える。かと思えば途端曇って雨雲を固めたような重い灰色になり、そしてまたどこまでも澄んで透明な水の塊のようになる。


 その不思議な球をタイムはこっそりとジャケットの内側に隠す。


 見つからないように持ち出さなくてはいけない。これをタイムが持っていると知られたら、きっと奴はタイムの命を狙ってくることだろう。そんなことをしては折角のギフトが失われるとも思わずに。



 ギフトは神が人に残した最後の恩恵。

 ギフトは神の意志を反映し、所有者を選ぶのだ。タイムはその所有者ではないものの、所有者を守る存在だとギフトに認識されたからこそ、こうしてギフトを手に取る事が出来ているのだろうと考えた。


 だからこそ、タイムを害する者にはギフトの恩恵は与えられない。

 もしかすれば、その昔に一度失われた時と同じように、人々の前からこのギフトは姿を消してしまうかもしれない。


「それだけは避けないとな……」


 巨大な歯車の、ギリギリと軋むような音に紛れるタイムの呟き。切実な声は誰にも聞かれないまま湿った空気に溶けた。今このギフトが無ければ、タイムの故郷であるこの町は、牙のような濁流に襲われ、多くの死者を出すかもしれない。

 タイムは町で一番高い時計塔の、文字盤に開いた隙間のような窓から、真っ暗な空を見上げる。


 もう数時間もしないうちにこの雨は町を取り囲む川を溢れさせる。

 それはもうどうやっても変えられないだろうことを、タイムは自分が得てきた知識から悟る。


 何処までも続く黒い雲は、遠くに見える山脈にもかかっている。景色煙る川の上流で大雨が降っているのなら、下流の川に流れ込む水の量は膨大なものになる。避けなければならないのは、その川の氾濫が町にとって致命的になる事。


 タイムの持つギフトは、それを可能としていた。ギフトを扱える者の手にさえ渡れば、そのギフトは間違いなく効果を発揮する。必ずその人物に渡るようにしなくては。


「あいつなら、きっと……」




 事の起こりは数日前に遡る。


 タイムは四年ぶりに故郷に帰ってきた。


 南に神の遺した法の守護者、シフレ火山と膝元の町シフレがあり、南西には木材を生産する大森林地帯と北東に湿地と低地の野が広がり、北西に豊かな水で実りを付ける穀倉地帯と泥炭の炭鉱、収穫された穀物と泥炭で作った蒸留酒が特産の町ヘンルーダと、そのヘンルーダの酒と神の残したギフト、生命の木の実から万能の薬を産む回廊の町マロウスがあり、それらの町を繋ぐように、枝分かれしながら蛇行し東の王都まで続くべラム川。そんなベラム川の支流に囲まれた水の都、ベラムが彼の生まれ育った町だった。


 川に囲まれた町ということはすなわち、その上流と下流への物流の要の町でもある。

 特に法の町シフレで作られた特別な魔法のかかった紙や、マロウスで作られる万病の薬は、それぞれの町以外ではベラムか王都でしか手に入れることのできない物だ。

 故に、ベラムの町は王都とベラムの地域周辺との物流の要とも言える、商売の町として発展していた。


 そして商業を支える商品を作る工場や工房も、この町には多かった。

 特に大森林地帯から運ばれる木材で作る船は、ベラムにとって一番の収入源とも言える一大産業だった。


 人の出入りがとにかく多いベラムは、他の町には無いちょっとした特色とも問題点とも言える特徴があった。

 孤児の多い町。それがベラムの抱える不名誉且つ、最大の強みであり弱点。タイムもまたそんなベラムの抱える問題点である孤児の一人でもあった。


 タイムは眠り羊族の女から生まれた他種族のはぐれ者だ。外見的な特徴は眠り羊の持つ菫の瞳は無い物の、特徴的な巻き毛は遺伝していた。

 眠り羊族ならば年頃になると生えると言われていた角が生えないのはもう片親の血の所為なのだろうが、その片親が何種族か分からないことが、タイムにとっては弱点として作用した。


 どんな種族にもある必ず身体的、能力的特徴が、タイムはほとんど判明しなかったのだ。

 他種族同士の婚姻で生まれる、複数の種族の特徴を持つ混ざり者。

 種族によってはそれでも問題なくいられる者も多かったが、中には決定的に他者との関係を構築できない性質を持って生まれてくる者もいた。同種族に馴染まない混ざり者、それがはぐれ者。


 しかしベラムの孤児の多くはタイムと同じ。明確な特徴の分からぬままに、それでも産業と商業の町として繁栄するベラムには、ただの人手としても十分に働ける職があった。

 単純労働の働き手が多い事、それがベラム強みの一つにもなっていた。しかしもちろんそんな単純労働にしか就くことのできない者に与えられる金銭は多くない。


 他種族同士がまじりあって、高くはないが少なくもない確率ではぐれ者として生まれてしまうと、多くの者がそういう低賃金で働く肉体労働者に落ち着く。

 しかしタイムはそれが嫌だった。昔から強い知識欲を持ち、知らない物を知りたいと考える性格だったタイムは、十三の歳を迎えてすぐに、ベラムの町を出た。


 それまで世話になっていた養護施設には後ろ足で砂をかける様な事をしてしまったと後悔はしているが、それでも、このままでは自分は自分の望みを何一つ叶えられないままになってしまうという危惧があった。だから飛び出した。


 そして四年経った今、それまで知らなかった自分の片親の血を見つけることができたタイムは、故あって急ぎ故郷に戻ってきた。


 ベラムを出て四年でタイムが知ったのはあらゆる種族の知識と、それを集める方法。

 タイムはそれらを生かす方法を考えていた。

 タイムはまず手始めに、自分が育った児童養護施設で共に過ごした家族の種を自分の得た知識で見極められるかを調べるつもりだった。


 タイムがいた施設では八割以上の子が混ざり者、内五割ははぐれ者の可能性があり、更にそのほとんどが自分の種族が何なのかを知らずにいた。外見的な特徴から、大まかな区分が分かる者もいたが、中には成長に伴い別種族の特徴が強く出てくる者もいた。


 種族の特徴は本人の仕事の適正にも関係する。もし自分の種族が完全に分かるようになれば、単純な肉体労働に準じずともよくなる。自分の思う仕事に就けるだろうと思っていた。

実際はそんなに単純ではないかもしれないが、それでも少しでも自分の価値を高めることができるなら……それがベラムを飛び出したタイムの本当に望んでいた事だった。


 タイムが幼少を過ごした児童養護施設は、町の北の工場地域に隣接していた。それはタイム達児童養護施設で世話になっている子供らが、そういう工場で働く者達の子供だったから。

養護施設にはパトロンがおり、パトロンは施設の子供らが将来自分の工場で働くようになった時に、出来る限り良い役職に付ける様にと、それなりの教育を与えていた。

 教養のない子供が大半の孤児では珍しく、その施設出身者は読み書きと計算ができたので、上からの指示の呑み込みも早く、何処の工場でも他の職でも重宝されていた。


 パトロンであったセイボリーは工場のオーナーも務める商人であり企業家で、新しい産業への開拓にも意欲的。人材はそんな新しい産業の先端を開く存在だとタイムに話して聞かせてくれたことがあった。

その恩人でが病に倒れたと、風の噂で聞いた。それがタイムがベラムに戻るきっかけだった。


 急いで故郷に戻る間に集めた情報では、悲しい事にすでに彼はこの世を去ってしまっていたようだったが、タイムの幼少を過ごした施設は、彼の息子が跡を継ぐ予定になっているらしかった。

亡くなって既に二年経っているが、何故か、まだ継ぐ予定らしい止まり。


「嫌な予感はしてたんだよな……」


 広い園庭、例年通りなら初夏に施設の大人が子供達に指示を出し、一緒に草を刈っているはずなので、夏も盛りを過ぎたこの時期に、ぼうぼうと茂っているはずはないのに……。


 懐かしい石積みの建物が、大人の腰丈以上の草に囲まれていた。門扉をくぐって玄関までのアプローチと、洗濯物を干すための場所だけは開けているようだったが、以前は運動をする場所として開けていた庭や菜園を作っていた花壇は、すっかり草の海に沈んでいる。


「廃墟……じゃないみたいだけど」


 人が通る道がある事や、生活に必要最低限の場所だけは開いていることから、間違いなくまだ人が暮らしているというのは分かる、それでも、ここにはもう以前のような活気は無いのだろうと感じさせられる荒れ具合だ。


「……掃除はしてるけど、草刈はできないって、どういう状況だ?」


 草刈りをするには施設に住み込んで管理している大人だけでは人手が足りない、しかし多い時は乳児を除いて三十人を超える五から十五までの子供が入所し、女児の場合は十五を過ぎても施設で雇われて通いで来ている者も多かった。なので草を刈る手が足りないということは、タイムがいた頃ならば考えられなかったのだが。


「今はそうじゃない……」


 考えを断片的に口にし進む。木造りの両開きの扉。懐かしいが以前よりも古びている。


「罅入ってら」


 緑色のガラスの小窓は訪問者の影を見るための物。それが斜めに罅ていた。


「どちら様でしょう?」


 窓に映った影を見たのだろう、聞き覚えのある声が屋内からかけられた。以前よりも少し枯れたようなこの声は、施設長のマザー・フラックス、施設の子供からはママと呼ばれる初老の女性。記憶よりも随分とくたびれて聞こえた。


「俺です。タイムです……ママ、覚えていらっしゃいますか?」


 精一杯の余所行きの声を作って返事をすると、パタパタと駆けてくる軽い音がして、扉が勢い良く開いた。


「まあ! まあまあまあ!」


 細い体でよくもまあそんなに大きな声が出る物だと、そう思わずにはおれない声で、マザー・フラックスが叫んだ。


「お帰りなさいタイム!」


 大きな丸い眼鏡の奥で、昔はとても綺麗な人だったのだろうと思わせる菫の瞳が弧を描いた。細い腕が気まずそうに固まるタイムをがっしりと掴んで抱き締める。大げさなほどに喜びを体中で表現している。


 きつくまとめても膨らんでしまう巻き毛や、こめかみ辺りに申し訳程度に生えた角。マザー・フラックスは眠り羊の女性で、タイムの実の祖母だった。それを知っているのは言施設で働く一部の者と、マザー・フラックスとタイム本人達のみ。

たった一人残された肉親を忘れるはずもないと、マザー・フラックスはタイムをぎゅうぎゅうと抱き締める。


「痛いよママ」


「あらごめんなさい、でもあなたが悪いのよ……いきなりいなくなってしまうんですもの」


 コロコロと笑って返すマザー・フラックスの声は、少し涙で濡れていた。

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