製鉄の誓いと火砲の萌芽
使節団は、順調にトロイセンの国境へと近づいていた。国境を越える直前、ロキニアスは、私、スーザンを連れて、国境にほど近い、彼の最も信頼する部族長が統治する村に立ち寄った。
彼は、その村の広場で、親衛隊と部族長たちを集めた。そして、私の傍で、彼は部族長たちに、帝都での成功を報告した。
「聞け。この度の遠征で、我が王妃スーザンは、帝国から新たな力を奪い取った。それは、鋼鉄を生み出す知恵だ」
ロキニアスの言葉に、部族長たちはざわめいた。彼らにとって、鋼鉄は貴重で、ほとんど手に入らない宝物だ。
「この鋼鉄によって、我らの武器はより強く、農具はより頑丈になる。そして、この鋼鉄を使って、王妃は雷鳴の剣、すなわち火砲を生み出す」
ロキニアスは、私を部族長たちの前に立たせた。彼らの目には、私への畏敬の念と、新しい力への期待が宿っている。
「部族長たちよ。この王妃の知恵こそが、トロイセンの未来だ。故に、王妃の安全と、彼女がもたらす全ての研究を、お前たちは己の命をかけて守らねばならない」
これは、ロキニアスによる、私、スーザンへの忠誠の誓いの再確認だ。蛮王の国では、部族長たちの忠誠が全てであり、ロキニアスは私を、その忠誠の対象の中心に据えようとしている。
その晩、私たちは、その村の簡素な王の宿舎で過ごした。
ロキニアスは、一日の疲れからか、深い眠りについていた。私は、彼の太く逞しい腕の中で、製鉄技術の資料の最終チェックを行っていた。
私が最も注目したのは、炭素の制御に関する部分だ。鋼鉄の硬さを決めるのは、鉄に含まれる炭素の量だ。帝国の技術は、この炭素の量を制御するための、炉の温度管理と、特定の鉱石の投入タイミングについて、非常に緻密なデータを持っていた。
「これで、トロイセンの鉄は、変わる……」
私は、資料をそっと閉じ、隣で眠るロキニアスを見つめた。彼の表情は、戦場や外交の場で見せる威圧的な顔とは違い、穏やかで無邪気な子供のようだ。
私は、彼の胸に顔を埋めた。
私がこの世界に来てから、ずっと私を支えてくれたのは、この男の、無償で激しい愛だった。彼は、私の知恵を恐れることなく、私を道具としてではなく、彼の唯一の宝として扱ってくれた。
その愛に応えるためにも、私はこの国を、彼が望む、最も強大で、最も栄える国にする義務がある。
製鉄技術の導入は、トロイセンの産業革命の始まりだ。この技術があれば、私たちの国は、武力と経済力の両面で、帝国や教皇庁を遥かに凌駕する真の大国となる。
私は、ロキニアスの胸元から顔を上げ、彼の頬に優しく口づけを落とした。
「王よ。もう少しだけ、わたくしの知恵にお付き合いください。わたくしが、あなた様に、この世界で最も強大な、科学の剣をもたらします」
その夜、トロイセン王妃スーザンの頭の中では、新しい高炉の設計図と、火砲の試作計画が、着々と完成へと向かっていた。遠征の成功は、単なる技術の獲得ではなく、トロイセンの未来を決定づける、不可逆な一歩となったのだ。
私たちは、翌朝、ついにトロイセンの王都へと帰還することになる。




