神眼が暴く、蛮王の疲弊と王宮の闇
王宮の夜は深く、静まり返っていた。
スーザンは支給された柔らかな寝間着の上に、目立たない濃紺のローブを羽織った。足元は分厚い靴下を二枚重ねにし、音を立てないよう細心の注意を払う。
(ここまできたら、もう引き返せない。生贄としてただ死を待つなんて、前世の地味OLの私でも許せなかったことだもの)
彼女の目的は、王宮の厨房だ。ロキニアス王の食事、そして王宮の食糧事情を調べ、彼を救うための糸口を見つけること。
閉所恐怖症を持つスーザンにとって、広大な黒鉄城の長い廊下を歩くことは、かなりの勇気を必要とした。壁に施された無骨な装飾や、重厚な絨毯が、かえって彼女の不安を煽る。しかし、ロキニアス王が抱える疲弊を思い出すと、不思議と足が前に進んだ。
(彼の命が危ない。この国を支える王が倒れたら、和平なんてすぐに破綻する。その前に、私が手を打つしかない)
厨房は王の寝室とは離れた城の裏手にあった。金属と石の冷たい匂い、そして肉やスパイスの残滓の匂いが漂っている。
スーザンは、誰にも見つからないよう、物陰に隠れながら厨房の中へ忍び込んだ。中は巨大な肉の塊や、樽に入った大量の保存食、そして巨大な鉄鍋が並んでおり、トロイセンの食糧の豊かさを物語っていた。
まずスーザンは、壁に吊るされた乾燥肉の塊に視線を向け、心の中で強く念じた。
「鑑定」
瞬間、彼女の視界に青白い光の文字が現れた。
乾燥保存肉(トロイセン産)
等級: B(上質)
詳細: 高いタンパク質と脂肪分を保持。戦地での携行食として最適。
真の等級: C(栄養バランス不良)
真の欠陥:
慢性的な塩分過多: 長期保存のため過剰に塩漬けされており、腎臓に負担をかける。
ビタミン・ミネラル欠乏: ほとんど含まれていないため、体の治癒能力が低下する。
備考: この食材のみを主食とすることは、疲労回復を妨げる。
「やはり」
スーザンは納得した。トロイセンが豊かであっても、王であるロキニアスは戦場育ちだ。彼にとって、「栄養のある食事」とは、高カロリーで腹持ちの良い「戦場食」のことなのだろう。常に戦いに備えている彼は、王宮に戻っても、その習慣を続けているに違いない。彼の疲労は、単なる激務だけでなく、慢性的な栄養の偏りによって引き起こされていたのだ。
次に、棚に無造作に置かれた薬草の束を手に取った。
「鑑定」
辺境の癒やし草(王宮流通品)
等級: B(良品)
効能: 軽度の鎮痛、止血
真の等級: D(ほぼ効果なし)
真の欠陥:
保存方法の誤り: 天日干しされすぎているため、有効成分の九割が揮発。
有効成分抽出ヒント: 「沸騰した湯で短時間蒸すこと」により、薬効成分を最大限に引き出せる。
「これでは、彼の深い傷が治らないわけだわ」
帝国の貴族たちが知らない、「有効成分を活かすための現代的な調理・保存技術」。それが、スーザンの神眼が教えてくれる、最大のチート能力だった。
スーザンは、持参した薬草の苗と、王宮の薬草を比較鑑定し、ロキニアスの深い傷を癒やすための薬効成分が、彼女の苗に多く含まれていることを確認した。彼女は慎重に苗から葉を数枚採取し、熱湯消毒のための準備を始めた。
さて、次に必要なのは食事だ。彼の疲弊した体と、塩分過多の食生活をリセットし、心を癒やし、そして何よりも彼の体を驚かせる一撃が必要だ。
スーザンは王宮の食材を物色した。穀物を保存している樽、地下の貯蔵庫、そして巨大な塩漬けの肉。その中で、スーザンの目に留まったのは、地下の隅にひっそりと置かれた、発酵が進んだ大豆のペーストのようなものだった。
「鑑定」
発酵した豆のペースト(トロイセン特有品)
等級: E(流通不可)
詳細: 強い匂いと独特の風味が嫌われ、民はほとんど使用しない。
真の等級: S(究極の発酵調味料)
真の効能:
必須アミノ酸の塊: 肉のタンパク質を効率よく分解し、体に吸収させる驚異的な効果。
塩分を抑える旨味成分: 強い旨味が塩分への依存を軽減する。
備考: 沸騰させすぎず、水に溶いて調理することで、「現代日本における味噌」と同様の効果を発揮する。
「味噌だわ!この世界にも、味噌のようなものがあったなんて!」
スーザンは、心の底から歓喜した。これこそ、彼女が持つ料理スキルと前世の記憶を最大限に活かすための、最高の調味料だ。この調味料を使えば、ロキニアス王の食生活を根本から変えることができる。
スーザンはすぐに、ロキニアスに与える最初の料理を決めた。
「味噌汁と握り飯」
トロイセンには、ご飯を炊いて丸めるという文化も、出汁を取るという習慣も、この「味噌」を汁物に入れるという発想もないはずだ。
「まずは、彼の心を掴むこと。そして、この美味しい食事で、彼の疲弊を回復させて、私自身がこの王宮で『必要な存在』にならなくては」
スーザンは、厨房から必要な食材を慎重に選び出した。発酵豆ペースト、新鮮な野菜、そしてトロイセン独自の海草のようなもの(鑑定の結果、出汁に使えることが判明した)。
夜が明ける前に、スーザンは自分の部屋に戻った。彼女の胸には、もう恐怖の色はない。あるのは、「生きる」ことへの強い決意と、「蛮王」の世話を焼き、彼を救うという、地味OL時代には考えられなかった、壮大な使命感だった。
翌朝、スーザンは侍女長ルーナを呼び出した。
「ルーナさん。王宮の厨房を使わせていただくことはできますか?」
「え、厨房でございますか?殿下は客人でいらっしゃるので、もちろん可能でございますが」
ルーナは驚きを隠せない。帝国から生贄として送られてきた皇女が、料理をしたいなど、前代未聞だったからだ。
「はい。わたくし、ロキニアス王の体調が優れないのを見ました。長旅で培ったわたくしの知恵と、この国の豊かな食材を使えば、彼のために『究極の回復食』を作ることができると思うのです」
スーザンは真っ直ぐにルーナの瞳を見つめた。その真剣な眼差しに、ルーナは言葉を失った。
「わたくしは、もう生贄ではありません。このトロイセンの王のために、そして和平のために、できることをしたいのです」
ルーナは感動したように頷き、すぐに厨房の手配をすることを約束した。スーザンは微笑んだ。彼女の逆転劇は、静かな王宮の一室から、着々と始まろうとしていた。




