蛮王の遠征と私的な復讐
私が自ら帝国へ赴き、技術指導を行うという提案はロキニアスを激昂させたが、私の強い意志と、それがトロイセンの地位向上に繋がるという論理的な説明により、彼は最終的に折れた。ただし、彼が提示した条件は絶対的なものだった。
「良いか、スーザン。貴様から一歩でも離れた場所には行かせぬ。貴様を守る親衛隊は、常に数百人。そして、私も貴様と共に行動する。これは技術交流ではない。我が王妃の武力外交だ」
ロキニアス王が自ら国を離れ、敵国である帝国の中枢へ向かうという事実はグラディウス公爵を驚愕させ、そして恐れさせた。蛮王が敵地に乗り込むなど、彼ら帝国の常識では考えられないことだ。
「陛下ご自身が⁉ それは……」公爵は言葉を失った。
「何か問題でも⁉ 」ロキニアスは公爵を睨みつけた。
「い、いえ。恐悦至極にございます。陛下の武勇と、王妃様の知恵が揃えば、我が帝国との友好関係は、より盤石になるでしょう」
公爵は震えながら答えた。彼らは、トロイセンの技術が欲しいため、蛮王の無謀な行動さえ受け入れるしかなかったのだ。
こうして、私たちの帝国への遠征準備は、即座に始まった。
ロキニアスはグスタフ宰相に全権を委任し、軍務は信頼できる部族長に一任した。彼、ロキニアス自身が私の護衛となるため、トロイセンの精鋭部隊が選抜された。親衛隊数百人に加え、私のために護衛の女性部隊も編成された。
私自身は、この遠征の真の目的をロキニアスには詳しく話さなかった。彼の激しい独占欲と復讐心を刺激しすぎると、外交自体が破綻しかねないからだ。
私の真の目的は二つ。一つは、帝国の製鉄技術の現物を確認すること。そしてもう一つは、私の故国、アステリアの残党との接触だ。
アステリアは帝国に滅ぼされたが、その王族と近衛兵の一部は、信仰の故郷である神聖教団国家へと逃れていたと、以前グスタフの報告で知っていた。私は教皇庁との交渉で彼らを利用するつもりはなかったが、今回の帝国への移動経路は、教皇庁が支配する地域をかすめる。
私はグスタフに、極秘裏に手紙を用意させた。アステリア王族の筆跡を模倣し、神聖教団国家の枢機卿の一人に宛てたものだ。
内容はこうだ。
「蛮王妃スーザンは、蛮王ロキニアスと共に帝国へ向かう。これはトロイセンの知恵の優位性を確立する好機であると同時に、王妃を捕らえる唯一の機会でもある」
私は、この手紙を教皇庁の密偵に、わざと掴ませるよう仕向けた。
教皇庁が私を捕らえることを目的として動くかどうかは分からない。しかし、彼らが動けば、その行動は必ずロキニアスの武力と正面衝突する。そしてその結果、教皇庁の軍事力が削がれ、トロイセンの優位性はさらに強固になる。私が帝国で技術指導を行う間に、ロキニアスが教皇庁の勢力を削いでくれれば一石二鳥だ。
私は安楽椅子の上で、この複雑な策を静かに巡らせていた。
「スーザン。用意ができたぞ。貴様の乗り物も、私が特別に用意した」ロキニアスが、上機嫌で私の部屋へ入ってきた。
彼が用意したのは、私が以前設計した大型水車の技術を応用し、馬ではなく、水力と人力で動く巨大な馬車だった。その馬車は、通常の馬車の数倍の大きさがあり、頑丈な金属板で覆われ、内部には安楽椅子と同じ最高の座席が設置されていた。
「これなら、旅の途中でも、貴様は快適に、そして安全に過ごせるだろう」
彼の愛は、私を閉じ込める檻であると同時に、私を守る要塞でもあった。
「ありがとう、王よ。わたくしの安全を、最優先してくださるのですね」
私が微笑むと、ロキニアスは私の顔を両手で包み込み、熱烈な口づけをくれた。
「貴様は、私のトロイセンの全てだ。貴様を失えば、私は、この国を焼いてでも、貴様の命を取り戻すだろう」
彼の激しい愛の言葉は、私に安心感を与えた。私は、彼が私を守るために、いかなる残虐な行為も躊躇しないことを知っている。彼のこの愛こそが、私の最も強力な切り札なのだ。
翌朝、トロイセン王国の歴史上、最も異例な使節団が王都を出発した。
数千の精鋭部隊に囲まれた、巨大な要塞のような馬車。その中には、蛮王ロキニアスと、知恵の王妃スーザンが座っている。
使節団は、帝国へと向かう街道を進む。道中、私たちは様々な国の密偵や、教皇庁の潜伏している者たちの視線を感じた。彼らは、トロイセンの圧倒的な軍事力と、巨大な馬車の中にいる私たちの姿を、ただ畏怖の念をもって見つめている。
「王よ。街道沿いの村々で、わたくしたちの馬車を見て、民衆が跪いていますね」
「当然だ。彼らにとって、貴様こそが、彼らの神がもたらさなかった真の救いをもたらした存在なのだから」ロキニアスは、私の髪を優しく撫でた。
私は、馬車の窓から、村々の民衆の姿を見た。彼らは、以前の私を「魔女」として恐れた者たちではない。彼らは、私を「知恵の王妃」として、心の底から崇拝している。
私たちの行く道は、知恵と武力によって、完璧に舗装されていた。
私は、手の中で、アステリアの司祭に宛てた偽の手紙が、既に教皇庁の手に渡っているであろうことを確信した。
これで、舞台は整った。帝国との技術交渉の前に、神聖教団国家という「古い信仰」の勢力との、最後の小競り合いが待っているだろう。私は来るべき戦いに静かに微笑んだ。




