蛮王妃の聖儀
王都全体が沸騰する坩堝と化していた。
ロキニアス王の布告により王都の中心にある、教皇庁がかつて寄進した最古の聖堂前には夜明け前からトロイセンの民衆が溢れかえっていた。そしてその群衆の中には帝国の密偵、同盟国の使節団、そしてもちろん青白い顔をした神聖教団国家の代表団が混じっている。
彼らは皆、昨日まで「悪魔の代理人」と呼ばれていた王妃が神聖なる聖堂で一体何をしようとしているのか、その一点に神経を集中させていた。
「この緊張感がたまらないな、スーザン」
ロキニアスは私の手を握りながら静かに囁いた。彼の顔には戦場へ向かう蛮王の獰猛な笑みが浮かんでいる。
「教皇庁の使節団の顔を見たか⁉ 奴らは貴様が彼らの聖域を汚すのではないかと、恐怖に震えている」
「彼らの恐怖こそがわたくしの勝利です、王よ」
私は彼の隣で、王妃としての最も荘厳な衣装を身に纏っていた。金と銀の糸で刺繍された、純白のドレス。それは私が故国から持ってきたものではなく、ロキニアスが「真の王妃にふさわしい」と命じて作らせたトロイセン様式の豪華なものだ。
そして午前十時。王と王妃の入場だ。
玉座から聖堂への道はロキニアスの親衛隊によって厳重に守られていた。群衆の熱気は凄まじく、彼らは王妃の姿を目にすると興奮と畏怖の混じった歓声を上げた。
聖堂の中央祭壇へ。
教皇庁の使節団を代表する老司祭が私、スーザンを冷たい目で見つめた。
「蛮王妃。この聖なる場所で、貴様が行おうとしているのはいかなる邪悪な儀式か」
彼の声は聖堂の高い天井に響いたが、ロキニアスの眼光の前ではすぐに萎縮した。
「静かにしろ。我が王妃の言葉こそが、この聖堂における唯一の真理となる」ロキニアスは玉座に着くことなく私の隣に立った。彼は私の絶対的な盾だ。
私は祭壇に一歩進み出た。
「集いしトロイセンの民よ。そして遠方より来られし客人たちよ」
私の声は訓練された呼吸法と聖堂の構造によって隅々まで響き渡った。
「わたくしは、このトロイセンに飢餓と病の連鎖が始まったとき、神聖教団国家より『悪魔の代理人』として非難された者です」
民衆がざわめいた。私は自分の立場を隠すことなく、正面から彼らの信仰に切り込んだ。
「彼らはわたくしの知恵を、悪魔の力と呼んだ。しかしわたくしがもたらしたのは、あなた方の子供たちを飢えから救う、豊かな小麦の種でした」
私は手に持っていた小さな土の塊を祭壇に置いた。それは王都の汚染された場所から汲んできた、茶色く濁った水に浸されている。
「彼らはわたくしの浄化の知恵を、魔女の呪いと呼んだ。しかしわたくしがもたらしたのは、あなた方の命を疫病から守る、清らかな水でした」
そして私は静かに目を閉じ、祈りの言葉を述べ始めた。それは神への祈りではなく、この世界の『原理』と、その恩恵に対する感謝の言葉だった。
「水よ。汝が持つ、全ての不純物を清め、生命の源としての真の姿を現しなさい……」
私が予め仕込んでおいたミョウバンの粉末を隠し持った手で、その汚水を浸した土に触れた瞬間……
ゴオオオッ‼
祭壇の下に仕込まれたろ過装置が作動し、濁った水は瞬時にろ過され、透明な水だけが祭壇の横にある清浄な器へと流れ落ちた。それはまるで土の中から、神聖な泉が湧き出したかのように見えた。
民衆は一瞬の静寂の後、爆発的な歓声を上げた‼
「奇跡だ‼ 汚れた水が清らかな聖水に‼ 」
教皇庁の司祭は顔面蒼白になり、自らの目を疑っている。彼の聖水儀式は清い水に特別な油を混ぜるだけの簡単なものだ。しかし目の前で起きたのは汚れた水を清くする、本物の奇跡だった。
私は彼らの動揺を無視し、次の動作に移った。
「火よ。汝が持つ、闇を払う炎の力を、わたくしの啓示により示しなさい……」
私がもう一方の手で祭壇の特定の石に触れる。それは私が仕掛けた遠隔発火装置のスイッチだ。
シュウッ‼
微かな音と共に、祭壇の奥に仕込まれた硫黄と硝石と炭の混合物に火花が落ちた。
ドォン‼
雷鳴のような轟音と、強烈な閃光が聖堂全体を包み込んだ。それは単なる炎ではなく、一瞬の爆発的な光と熱だ。何もないところから一瞬にして生まれた炎は、まるで神が降臨したかのように聴衆の心に焼き付いた。
民衆は今度は恐怖と畏敬の念に打たれ、誰もが跪いた。
「わたくしは、この知恵を、神の恩恵として、あなた方トロイセンの民に分け与えます」
私は両手を広げ、民衆に向かって宣言した。
「これこそが悪魔の力ではない、真の神の力です。この力は選ばれた者だけのものではない。この力を学ぶことこそ、あなた方の未来を病と飢餓から守る、唯一の道なのです」
私は聖堂にいた旧貴族の子弟たちを指差した。
「彼ら、あなた方の教師となる者たちが、この奇跡の原理、すなわち科学をあなた方の子供たちに教えます。王都に建つ学校に、全ての子供たちを送るのです。彼らが知恵を持つとき、誰もあなた方を愚弄し、信仰を盾に脅すことはできなくなる‼ 」
教皇庁の老司祭は震える手で祭壇を指差した。
「ま、魔女め……。これは悪魔の仕業、欺瞞だ‼ 」
しかし彼の声は民衆の圧倒的な歓声にかき消された。彼らの心には目の前で繰り広げられた、あまりにも強大で、あまりにも実利的な「奇跡」の光が焼き付いていたのだ。
ロキニアスは玉座から立ち上がり、私の傍に来ると私の腰を抱き寄せた。彼の瞳は私への愛と、この上ない征服者の喜びに輝いている。
彼は群衆に聞こえるように、力強く宣言した。
「この王妃こそが、トロイセンを救う真の光だ‼ 彼女の知恵は、全ての神と聖典を凌駕する。彼女の教えを学べ‼ 」
そして彼は司祭団の前で、私に情熱的な口づけを落とした。
申し訳ございません、お正月休みで色々あり執筆ができませんでした。ストックもなくなり不定期更新になりますので、何かこうアクションいただけますと幸いです。宜しくお願い致します。




