硫黄と硝石、「錬金術」プロジェクト始動
スーザンによる化学的自給自足のプロジェクトの提案は、王宮内に大きな衝撃を与えた。硫黄を鉄の精錬に、そして動物の排泄物と木炭から硝石(火薬の原料)を人工的に作り出すという発想は、この世界の人々にとって、まさに「錬金術」そのものだった。
グスタフ宰相は、スーザンの並外れた知恵に感嘆しつつも、その実現の困難さに不安を隠せなかった。
「王妃殿下、硝石の人工製造は、あまりにも非現実的かと……。もし失敗すれば、多大な資源と時間を浪費し、帝国に付け入る隙を与えることになります」
グスタフの懸念はもっともだった。しかし、スーザンの表情に迷いはなかった。
「宰相。失敗は許されません。ゆえに、このプロジェクトには、王の絶対的な庇護と、最高の環境が必要です。幸い、トロイセンには、前世の知識で言う『土壌中の窒素固定』を促進するための、豊富な家畜と、その排泄物という、最高の原料があります」
スーザンは、硝石製造に必要な要素を説明した。硝石(硝酸カリウム)は、土壌中の有機物が微生物によって分解され、最終的に硝酸塩として蓄積される自然のプロセスを人工的に加速させることで得られる。
「硫黄は、温泉地帯での産出が確認されています。これを精製し、貴金属精錬の代替燃料とします。問題は硝石です。わたくしは、王都の郊外に、大規模な硝石生成地を設置したいと存じます。日当たりが良く、湿度が保たれ、温度管理がしやすい、広大な土地を早急に確保してください」
ロキニアス王は、スーザンの技術的な説明には興味を示さなかったが、彼女の瞳の奥にある揺るぎない決意だけを注視していた。彼は、スーザンを守るためならば、どんな代償も払う覚悟だった。
「グスタフ。王妃の要求通りにせよ。王都の北、私が狩り場として使っていた広大な平原を、すぐに王妃の『錬金術研究所』として提供しろ。必要な石工や労働者、そして家畜の排泄物は、私が全ての部族に命じて、一週間以内に集めさせる」
ロキニアスは、玉座から降り、スーザンの手を取ると、その手の甲に深く口づけをした。
「スーザン。貴様は、このトロイセンの心臓だ。私が全てを貴様に捧げたように、この国も貴様に全てを委ねる。だが、忘れるな。無理はするな。貴様の命は、この国の未来よりも、私のものだ」
その激しい独占欲と、絶対的な信頼の言葉に、スーザンの胸は熱くなった。彼は、彼女の知恵を盲目的に信じ、自分の存在意義そのものとしている。
数日後、王都の北には、かつて王の狩り場だった場所に、異様な施設が建設され始めた。それは、日光を遮るための屋根がかけられ、湿度が保たれた土壌の山が幾重にも積み上げられた、巨大な発酵ピットだった。
スーザンは、この施設の管理者に、最も信頼できる武官と、前世の衛生知識を応用できる賢い使用人たちを充てた。
「この土の山に、牛や馬の排泄物、藁、木炭を混ぜます。重要なのは、定期的な切り返しと、水分と温度の管理です。バクテリアが窒素を硝酸塩に変えるまで、最低でも数ヶ月はかかります。これは、忍耐のプロジェクトです」
スーザンは、この硝石プロジェクトと同時に、硫黄の精製にも着手した。国内の温泉地帯から取り寄せられた硫黄鉱石は、粗悪なものだったが、彼女はそれを高温で加熱し、不純物を揮発させることで、純度の高い硫黄を得る方法を確立した。
この二つのプロジェクトは、帝国の経済封鎖という首輪を、トロイセンが自らの力で断ち切るための、決死の挑戦となった。しかし、スーザンにはもう一つの大きな責任、水の改革も並行して進める必要があった。彼女の体は、この二重の重圧に耐えられるのだろうか。




