舌戦
そんな会話を思い出しながら、イヌマキは自身の覚悟の半紙のごとき薄さに嫌悪した。あれほど背中を押されたのに、信頼してくれたのに、どうしても声帯が硬直したままになる。ロクマはと言うものの、焦りと嫌悪と憎悪を凝縮したような眼で演説台からイヌマキを見下げている。悔しいのに、一泡吹かせたいのに、もう駄目だ。ごめんなさい皆さん。私はやっぱり。
その時、人の目を見ることが苦手なイヌマキが、ロクマの目を見返すことができたのは、ただの偶然だっただろうか。それとも神の思し召しだったのかもしれない。どちらにせよその行為は、イヌマキに天啓を与えた。
―ロクマの目に、見覚えがある。
イヌマキにはもう、その気付きだけで十分だった。これまで対峙してきた霊を筆頭に、四国の大家ハマウチ、祇園祭のアイスクリームカップル等……。総じてすべて奥の院に追い詰められた者たち。今のロクマの目は、彼らと全く同じだった。それはいつも、イヌマキたちに勝利の女神がほほ笑んだ際に、敵が見せる虚弱な強がりの目。思えば奥の院の先輩たちは、この『隙』を見極めていたのかもしれない。そういう点で見れば、怪異も人間も大差ない。生きているという点で、やはり人間の方が厄介なのだろうが。
先ほどの恐れを消し去り、じっとロクマの目を見つめるイヌマキを見たミツメは、「ようやく気付いたのね」とでも言うように微笑み頷いた。
―そこまで到達できれば安心。あとは好きにやりなさい。
瞬く間とも、気の遠くなる長い時間とも感じられたイヌマキの沈黙は、その時ついに破られた。
「ロクマさん。確かにあなたには見えないかもしれません」
驚くほど落ち着いた、しかし腹の底から湧き出る声が自然と出ていることにイヌマキは驚いた。
「下らん屁理屈はもうたくさんだ! 遠回しに言わないで、はっきり言ったらどうだ?」
こうなると、もう怪異も人も勝てない。これは、唾棄すべき敵に共通する弱点であり、奥の院が何があっても持たないものであった。
「あなたが怪異だからです。ロクマさん」
会場がしんと静まり返った。イヌマキの生涯で、これほど声を張り上げたことなど無かった。しかし声こそ大きいものの、そこに荒々しさはなく、冷たさを感じるような凛とした声だった。
「そうかそうか、君もやはり基地外だったのだな。唯一、奥の院でまともな人間かと思っていたのだが」
心から軽蔑した声でロクマがわざとらしく嘆く。それは、彼の本心でもあったのかもしれない。これ以上、明確な敵を増やしたくなかった。会場もやはり、イヌマキに敵意が集中しているのか、全体が彼女を睨むような空気が流れる。
「理由ならあります」
それでも、彼女は慄くことなく続ける。ここまでくると、もう止まることはできない。イヌマキは踏み込みに強いタイプであった。
「先ほどから、あなたの言動に連動して怪奇現象が発生しています。マイクのハウリングも、映像の乱れも、画面の暗転も、砂嵐も、全部、あなたが怒りや言い訳を示したときだった」
そうイヌマキに聞かされ、会場の聴衆も訝しみ始めた。「言われてみれば」と、ざわざわし始める。
「委員長が、怪異?」
「そんなことあるはずが」
「でも、さっきからどう考えてもおかしいよね……」
数々の怪現象は、それに慣れていない人間の正常な思考を奪う。どう考えてもあてつけなイヌマキの理論も、納得しようとしている。
「ただの機材トラブルが重なっただけだろう! 全くオカルト信者は、すぐに偶然をあたかも必然のように語り、聞く者を混乱させる! 皆さま、この女の話を信じてはいけません! 改めてよく考えてみてください。私がそんなことをする理由がありますか!」
「まあ、そう来るよな」とイチジョウが立ち上がる。そして小声でイヌマキに囁く。
「見事な演技、ご苦労だった。ここからは任せてくれ」
イチジョウにそう肩を叩かれて、糸が切れたように椅子に座り込むイヌマキ。踏み込みには強い。強いが後先はあまり考えられないタイプだった。
「怖かった……」
「良かったよ。イヌマキちゃん」
「後輩の雄姿ほど嬉しいものは無いぞ。自信を持ちたまえ」
立ち上がったイチジョウを見て、ロクマは圧をかけて言った。
「なんだ。その娘の言い訳が苦しくなったから、リーダーがフォローに入ったのか? はっ、見苦しいことだ」
その挑発には乗らず、イチジョウは浅く頭を下げた。
「すみません。この子は一年生で、まだ怪異を長いこと直視できないのです。ここからは代わりに私が」
「ナイス機転」とミツメが隣でイチジョウを讃えている。
「先ほどミツメが伝えたはずですが、怪異は電子機器に干渉します。彼らは怒りであったり、何か表したい、アピールしたいという時にそういうことをします。ちょうど今のあなたみたいに。トリガーは電子機器です」
イチジョウのその言葉が終わるとほぼ同時に、観客席から甲高い女性の悲鳴が鳴り響いた。




