優しい人
少年が言っていたであろう老舗すき焼き屋に近づいた時、不意に「ショウタ!」と叫ぶ女性の声が聞こえた。それを聞いた少年は、「お母さん」と叫び、声のする方向へ走り出す。
「どこへ行ってたの? 心配したんだから」
母親は安堵した気持ちと、心配を掛けさせられた怒りが混じったような大声で少年に言った。
「ごめんなさい。でも、妖怪のおじさんが助けてくれたんだ。ここまで連れてきてくれたんだよ! 背中に乗って、空をビューンって」
母親と再開できた喜びと、伝えたいことが渋滞して、少年は興奮気味に母親に話す。
「妖怪い?」
子供の可愛らしい冗談に付き合ってあげるような口調で、母親は言った。
「嘘じゃないよ! 今も一緒に来たんだ! ほら、後ろに……」
そう言って振り向いた先に、カガリの姿は無かった。しかし少年には、母親の元へ走り出すとき、ポンッと背中を優しく押された感覚がまだ鮮明に残っていた。
「うふふ。妖怪に乗って、空を飛ぶねえ……。将来は小説家かしら」
母親はそう言って、少年の頭を撫でる。
「さあ、すき焼き屋さんへ戻りましょ。お父さんも待ってるから」
「嘘じゃないよ! 本当にいたんだもん! お面の妖怪!」
そう叫びながらも、少年は母親に手を引かれ、目的地であるすき焼き屋の中に入っていた。
その頃カガリは、隠乃ビルへ早急に戻るため、背中に少年を載せていた時の倍のスピードで隠乃ビルへと急ぐ。夜が本性を現し、眼下の祭りが熟してきた。漆黒の空と、通りの暖かい光の狭間にあるビルの屋上を駆けながら、カガリは先ほどの少年のことを考えていた。優しくない普通の人と、優しい妖怪……。少年が言っていたように、優しくない普通の人はいる。しかし、優しい普通の人も、それ以上にいることをカガリは知っている。カクシノやミツメの様に、考えるよりも先に人のために動き出せる人間は、きっと優しい普通の人だ。それに対し、話すのが苦手で、ぶっきらぼうな自分は、確かに妖怪だとカガリは考える。何をするにも、できない言い訳から考えだしてしまう自分に、心底嫌気がさしていた。
隠乃ビルの屋上が見えた時、カガリは目を疑った。そのまま全速力でそこを目指す。
「なんでここにいる。先に行けといったろ」
屋上の縁でぼんやりと下の往来を眺めていたミツメに、カガリは問いただした。「だって」とミツメは言う。
「あなたが来てない理由を、カクシノさんにどう説明したらいいか分からなかったもの。どうせ、『迷子の子供を助けてる』なんて正直に話したら、あなたは怒るでしょう? 恥ずかしがって」
「……」
なんとも、カガリは言い返す言葉が見当たらなかった。
「私を説得するのに時間がかかったってことにでもして、早く行きましょう。それで、あの子のご両親は見つかったの?」
「……ああ」
「そう、良かった」
そんな会話をして、二人は隠乃ビルの隠された地下へ向かった。
「ねえ、あなたって口下手だけど、優しいのね」
エレベーターで地下へ降りている最中、ミツメはそう言った。
「……俺は、お前に言われなきゃ、あの子を助けなかったんだぜ」
カガリは気恥ずかしくなると、すぐにネガティブなことを口にしてしまう質だった。
「でも、あの子を背中におんぶしてるとき、あなたいつもの半分くらいの速さでビル渡りをしてたじゃない。帰ってくるときはあんなに速かったのに」
「それに」と彼女は付け足して言った。
「遠くから、あの子の楽しそうな笑い声が聞こえてきたわよ。私のいない所で、楽しませてあげてたんでしょう」
「……空耳だろう」
「あはは。そういう善意を隠すところ、うちのリーダーにそっくりね。仲良くなれるんじゃない? 紹介するわよ」
「……結構だ」
「わあ、すごい」
地下へ降り、寄る辺商までの長い回廊を目にしたミツメは、感嘆の声を漏らした。
「ここをまっすぐだ」
そうして二人は寄る辺商を目指して歩き出す。その先に、ナルユメたちがいることを信じて。
「なあ、ミツメ」
「……どうしたの」
彼の方から話しかけられることに、少し驚きながらもミツメは振り向く。
「あんたは優しい普通の人だ。半面、俺はぶっきらぼうで無口な妖怪だ。だが俺はこれからも、優しい妖怪でいようと思う」
「はあ?」
全く意味が分からないと言った様子で、ミツメは再び歩き出す。その後も意味を解釈しようとしていたミツメだったが、それも諦め、ふふふと笑いながら言った。
「でも、そういう意味不明なことを不意に言う人は、奥の院に向いてるわ」
「すみません、遅くなりました」
カガリとミツメが寄る辺商に到着すると、そこにはカクシノと、イヌマキとナルユメの三人が揃っていた。
「おや、カガリとミツメさん。ずいぶん遅かったね」
カクシノは二人を見てそう言った。『上手い言い訳があるでしょ』と言うように、ミツメはカガリの背中をつつく。最後まで、この娘に刺客としての威厳を見せられなかったなと、カガリは小さくため息をついて、こう言った。
「すみません。あろうことか、この娘と道に迷ってしまって。俺のせいです」
カガリの言葉に、ミツメは一瞬固まった。しかし違和感を彼らに感じさせないために、分かりやすいほどにやれやれと言った表情をして言った。
「ほんと、びっくりしちゃう! カクシノさんの下で働いてるくせに、ビルの場所を見失っちゃうんだから!」
その後ミツメは、他の三人には見えないよう、カガリに小さくウインクした。そして先ほどと同じように、彼の背中をつつく。それはさっきとは違い、『やるじゃない』と言いたげな、力強いつつき方だった。
「……悪かったな」
カガリも、ミツメだけに分かるように少しだけにやりと笑ってみせてから言った。
ほんの少しだが、この娘を出し抜いてやったぞと、カガリは内心ほくそ笑んでいた。
読んでいただきありがとうございました。番外編でした。
明日から最終章を投稿させていただきます。最後までどうぞ、よろしくお願いします!




