終焉の兆し
午後九時三十分
「いや、こんな……」
すべての話を聞き終えたナルユメは、随分と参ったように呟く。
「なんでこんな大掛かりなこと……。奥の院だけじゃない。カクシノさんやスズリにも迷惑かけてさ……」
「阿呆やで」と言いながら、彼は寝転んだまま動かないジュントクの元へ歩み寄る。
「なあ、こんなことしてまで、俺に隠したかったんかよ。どんだけ弱いと思われてたんや? 子供じゃないんよ、俺はもう」
まだ呼吸はしているようだが、息子の言葉に一切反応を示さないジュントク。事情を知らなければ、少しくたびれて眠っているだけの老人に見える。
「恥ずかしかったそうです。ナルユメさんに話すのが」
沈黙の仏間の中、そう切り出したのはイチジョウだった。
「恥ずかしい?」
ナルユメは、自分の耳を疑った。そんなわけないだろうと思って聞き返したが、帰ってきたのは同じ言葉だった。
「君を守るために命を賭したこと、蝶舞の錫杖が、幼き君との思い出だったこと……。全てが気恥ずかしかったと。先ほど言っておられた」
フセミもそんなことを言い出したので、遂にナルユメは父の馬鹿げた理由を信じざるを得なくなった。
「……で、俺だけ助かって、幸せになれと……。あのなあ、それじゃ後味が悪すぎやせんかい、親父?」
怒りも超え、呆れも超え、父に愛おしさを感じてきたナルユメは、おどけたように言った。「こっちの気持ちも考えてくれよ」
「若様」
スズリが、ナルユメに近づきながら言う。
「これは、ジュントク様が切り開いてくださった道です。貴方が呪いに縛られて生きることのないように願われた結果です。お父様のお気持ちを無駄にせぬよう、心置きなく幸せに生きてください」
「スズリ。言いたいことは分かるよ。でもいきなりこんな真実知らされて、しかもそれを忘れて幸せになれなんて、そんな急に……」
ナルユメがそこまで行ったとき、不意に、仏間全体が激しき揺れ出した。
「なにこれ、地震?」
「いや、揺れが急すぎる。にしても、何だこれは」
「なんかやばそうだね……。みんな、伏せておいた方が良いかもよ」
「皆様! こちらの座布団で頭を」
強烈な揺れに皆々が耐える中、仏間の奥にある祭壇が大きな音を立てて崩れ出した。それは揺れで決壊したというよりも、何か内側からの力で崩壊したというほうが妥当かもしれない。
「ちょっと、どうなってるの?」
「なんと! これは!」
崩れ落ちた祭壇の下から、人間の三倍以上はあるだろう、先ほどの泥人形が顔を出した。その眼窩に瞳は無いが、確実にこちらの十人を捉えている。祭壇の下は地下室の様になっていて、そこで眠っていたそれが、たった今目覚めたようだった。
「どうするのですか!」
「落ち着いて、イヌマキちゃん。……いや無理だわ。こんなデカいの見たことないもの」
「何故……。先ほどジュントク様が封印されたはずでは……!」
巨大泥人形は、緩慢な動きながらも、地下室から上がってこようとしているらしい。仏間の畳を掴み、這い上がるそぶりを見せる。
「これが、怨念の集合体……。なんとも、恐ろしき!」
「まずいよ。上がってこられたら、屋敷ごとつぶれちゃうよ! どうしよう、カガリ」
「俺に聞かないでくださいよ! おい、何とかできないのか、奥の院の人ら! 俺らにはどうしようもないぞ」
「そんなこと言われても、化け物退治は専門外よ! ねえ、イチジョウ」
「……ヨツツジ! 『尾張羽の小壺』だ。俺は『月掴』でいく! 他の者は『葦苅』を構えろ!」
奥の院一同は各々の武器を構えて『敵』を見定める。イヌマキは足が震えてどうしようもなかったが、なんとかその場にはとどまれている。
「効くかは分からんが、こいつを地上に上がらせるのを阻止しろ。この屋敷を守れ!」
イチジョウの合図に、全員攻撃を開始しようとした瞬間、「待て」という厳めしい声が仏間に響いた。声のする方向を見ると、ジュントクがイチジョウの隣に立っていた。
「その『尾張羽の小壺』というもの、呪物の集合体と言っていたな」
「は、はい」
あまりの突拍子の無さに唖然としながらもイチジョウは肯定する。するとジュントクはその壺を手に取り、中に入った液体を、自らの拳に塗りたくり始めた。
「な、危険ですからおやめください!」
イチジョウがそう叫んでも、彼はそれを止めない。止めないどころか、今度は全身にそれを塗り始めた。
「あのドロドロは何だい……?」
遠くからその様子を見ていたカクシノは、恐る恐るスズリに尋ねる。彼女は首を振る。
「詳しくは存じ上げません。ただ、『めちゃくちゃやばいもの』とはお聞きしておりました」
「じゃあ結局やばいじゃないか」
カガリもそう言っているものの、誰もあの混沌のさなかに足を踏み入れる勇気が起きない。しかし屋敷を逃げ出す薄情さも、彼らにはなかった。
そんなことを言っている間にも、ジュントクは全身に『尾張羽の小壺』の謎物質を纏い、泥人形のような姿になっている。奥の院の激しい制止を振り切った末、ドロドロを纏ったまま、今まさに屋敷に這い上がらんとする巨大泥人形の顔に飛びついた。あっけにとられる一同。よろめき、呻き声を発する巨大泥人形。その顔に向かって、ジュントクは力の限り叫んだ。
「約束を守らんか! 儂の命と引き換えに、大人しくするという事やったやろうが!」
満腔の怒りを力に、巨大泥人形の額に頭をぶつけながら説教をするジュントク。そのまま『尾張羽』の力がまとわりついた拳を、思い切り泥人形の顔に振り下ろす。苦し気な叫び声を上げながら暴れまわり、ジュントクを振り落とそうとする。彼は何とか顔にしがみついているものの、周りの瓦礫に体中をぶつけ、至る所から血が滲んでいる。
「まずいわ。このままじゃお父様、ほんとに死んじゃう!」
『葦苅』で応戦しながらも、特に効果が無いことに焦ったミツメが叫ぶ。
「俺とヨツツジとフセミで彼を助けに行く。お前たちは救急セットの用意を!」
満身創痍のイチジョウたちが、空いた穴に飛び込もうとした時、スズリが彼らを引き留めた。
「もう、良いのです……! 貴方たちには、もう迷惑はかけられません。私が行きます。このお屋敷の使用人なのですから」
そう言って飛び込もうとするスズリがを、奥の院の五人が必死で止める。はたから見ると、少しだけ楽しそうにも見える。
「何故ですか! 何故お止めになるのです!」
主人の元へ急ぐ彼女を、ミツメとイヌマキが説得する。
「スズリちゃん、あなた出会ったばかりだけど、こんなところで終わるような子じゃないわ! 早まらないで」
「そうです! もっと、これからいっぱい楽しいはずです」
そんな様子を横目に、イチジョウたちは突撃の準備をする。
「しかし、飛び込んだところで策はあるのか?」
フセミの問いにイチジョウは大真面目に言う。
「ない。だが、行かないよりはマシだろ」
「ふむ、それもそうだ! よしゆくか!」
そんな会話をする彼らの横で、何やらカラフルな光が灯った。




