青い道
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「けど、今ならわかる。それを確かめるときが来たってわけや」
そうナルユメが話し終わる頃、彼とイヌマキの二人は、隠乃ビルのエレベーター前に辿りついた。先ほどと違い、今度は下矢印のボタンを押す。扉が開き、二人で乗り込み、B1に向かう。一フロア下へ行くだけであるのに、酷く長い間降下している。地の底にまで行くかのように。これは好都合と、イヌマキは彼に疑問を問いかける。
「ですが、この先にもし蝶舞の錫杖があるとしたら、カクシノさんのお店がそれを盗んだことになりますよね」
「……まあな。でも俺にはもう、ここしか行く当てがないわ。カクシノさんの、『君なら思い出せる』って言葉を信じるなら、もうここしかない。まさに最後の砦。これで見当違いやったら、一切諦めよう」
当時のナルユメが、父の背中で寝ぼけてみた夢である可能性も否定できない。そんな中、エレベーターはずんずんと下へ降りていく。
がこんと、物々しい音を立てて、それは止まった。開いた扉の先は、まごうこと無き、ナルユメが幼き日に見た、青白い回廊だった。
「本当にあったのですね……」
「やっぱり、夢じゃなかったんや……」
二人は歩き出し、最奥に構えているであろう『寄る辺商』を目指した。
「でも、謎は深まるばかりよなあ」
耳が痛くなるほど静かな回廊に、ナルユメの声が反響して聞こえる。「カクシノさんが盗んでいたとして、どうして俺らに協力したのか、『洛外秘倉』とは何だったのか、彼は今どこにいるのか……」
「お店に行けば、きっと何か分かるはずです」
控えめの声で話したつもりだったが、予想以上に反響し、少し恥ずかしくなるイヌマキ。二人は、滔々と流れる小川の様に、淡々と歩を進めていった。
「イヌマキちゃんにも謝らんとな。こんな変なことに巻き込んでしもうて」
青い光は、二人の精神を暗いものにしていく。絶え間なく、果ての見えない回廊が、出口のないトンネルに閉じ込められたような心地がする。
「いえ、そんなことは! ……しかし、あのお二人は無事でしょうか」
そう言いながら、イヌマキはちらちらと後ろを振り返る。エレベーターの扉が、まだ背後にあるか確認しておかないと、自分たちはもう帰れないのではないか。そんな気持ちがあったからだ。
「あの二人は大丈夫やろう。ミツメは言わずもがなやし、カクシノさんも、意外にガッツがあるからね」
「だと良いのですが」
「でもな、今回はイヌマキちゃんに一番びっくりしてるよ、俺は」
「え」
驚いてイヌマキは彼の顔を見る。疲れて生気の無いように見えるのは、青い光のせいだろうか、激動の二時間を過ごしたからだろうか。それは彼女には分からなかった。
「こんな訳の分からん作戦についてくるだけでも、正直凄い。同期も後輩もおらん。いるのは、癖の強い四年生たちだけ……、いや、胆力がある、ほんまに君は」
初陣にて、フセミに言われた言葉を思い出す。そういえば、イヌマキはナルユメと、二人で話すのは初めてだと、この時初めて気が付いた。
「いえ。未だによくわからない事ばかりですが、何とも楽しいので、ここまで来てしまいました」
「ほんまに……?」
「ほんまです」
そう言って、イヌマキは微笑む。改めて考えると、今回の作戦は特に、訳の分からない方向へ進んでいる気がする。それでもやはり根底には、飄々とした「愉快」が、ころりと転がっているような、そんな居心地の良さが、この奥の院には感じられる。だからこそ、イヌマキはどこまでも彼らの後ろを歩く。その先に何があるのか、何を得るのか、どう転んでゆくか、何一つ展望の見えない活動であっても。
「さっすが、『ホラー映画で絶対死なないタイプ』やな! そのマインドは、どんな霊をも蹴散らすぜ」
イヌマキは何かを褒められるたび、この『ホラー映画で絶対死なないタイプ』を引き合いに出されるが、正直あまりうれしくはない。それでも、「ありがとうございます」といって、笑って見せた。
「あれか……!」
やがて、彼がかつて見た時と同じ佇まいで立つ『寄る辺商』が見えた。
「本当に、普通の屋台なのですね」
二人が近づくにつれ、人影がひとつ、輪郭を露わにさせてくる。それが鮮明になればなるほど、歩く二人の表情は、驚きに満ちたものになってくる。『寄る辺商』の店主は、向かってくるイヌマキたちを、ただ悠然と待っている。店主、彼をそう呼ぶ必要はもうないかもしれない。
「よく、ここまで来たね。いらっしゃい」
二人が店の前に到達すると、天狗の面をかぶり、古い書物を眺めて座っていたカクシノはそう言った。




