氷菓句利威無
午後七時四十七分
「ここが大通り……」
もっとも広く屋台の広がる烏丸通に出てきたナルユメとイヌマキは絶句した。これまでの細い路地と比べ物にならないくらい、人間で埋め尽くされていた。京都府警による交通規制も行われており、祭りというよりも国会前で行われるデモンストレーションのように見えた。
「この中を、探すんですか?」
イヌマキが恐る恐る尋ねる。
「探すしか、ないもんなあ」
そう言って二人は歩き始める。陸上の亀のごときスピードで進む往来に歩幅を合わせる。人口密度が高すぎて、ずんずんと抜かしていくこともできない。何とももどかしい思いながら、ナルユメとイヌマキは屋台を一つ一つ見ていく。
「この雰囲気、有りそうにないんやが」
ナルユメがそう嘆くのも納得できる。並ぶ屋台は、お好み焼き、綿あめ、焼きそば、りんご飴……。おおよそ個性が死んだ定番しか設置されていない。この並びに、いきなり呪物が売られる骨董屋台が現れる想像は、ちょっとできない。
「でも、もうここを探すしか……、痛っ」
不意に、イヌマキの肩に何か冷たいものがぶつかった。べっとりとしていて、甘い香りがする。
「ソフトクリーム……?」
「あーん! ちょっと、これどうしてくれるのよぅ!」
イヌマキがそれをソフトクリームと気づいた次の瞬間、甲高く鼻につく叫び声が聞こえてきた。おそらく、イヌマキとぶつかった人物であろう。年齢はイヌマキと変わらないが、傷んだ茶髪と濃すぎる化粧で、どうも不健康な印象を与える女。
「あ、ええ……っと。すみません」
「弁償してよ! これ結構高かったんだから」
イヌマキは屋台を見ながらだったものの、周囲の人に不用心になっていたわけではなかった。これだけの人混みで、衝突の回避は不可能に思われた。
「いや、お互いわざとじゃないと思うので」
「おい、どうした」
不意に、女の後ろからいかにも喧嘩自慢の見た目をした男が現れた。タイトなTシャツとパンツを身に着け、刈り上げすぎた横髪は、もう訳の分からない形になっている。イヌマキが、もっとも分かり合えないと思っている人種。
「ねえ“ゆうくん”、この人がぶつかってきて、アイス台無しになっちゃった! せっかく買ってくれたのにい。ほら、この人の肩! 肩!」
「てめえ、どう落とし前つけるつもりだあ?」
どすの利いた声で威嚇する恋人と思しきその男は、イヌマキを浅黒い顔で睨みつけてくる。イヌマキは委縮して、身動きが取れなくなる。そこにすかさずナルユメが割って入る。
「ちょいちょい、お前ら。こんな人混みでぶつかったことにケチつけるんか? この子はちゃーんと前向いて歩いとったぞ」
自分よりも身長が高いナルユメが割って入ったことで、向こうの男は少し怯んだ様子を見せたが、再び嚙みついてきた。
「な、なんだよ……。こいつの彼氏か?」
「サークルの可愛い後輩やけど、文句ありか?」
なかなか後ろに引かず、余裕の表情を見せているナルユメに、男はカチンと来たようだった。
「うるせえ! とにかくアイスは弁償してもらうぜ、お前らが原因ってのは、事実だろうが」
「そうよ! このアイス、すっごい珍しい屋台で買った、レアなアイスなんだから!」
男の滅茶苦茶な要求に、女も加勢してくる。だんだんと呆れてきたイヌマキが、「もう行きましょう」とナルユメに言うために彼を見た。
「ナルユメさん……?」
ナルユメは、直立したまま固まっていた。何かものすごい発見をしたときの様に、一点を見つめて動かない。
「おい、何とか言えよ! 何黙ってんだ?」
男もその様子に少し面食らいながらも叫ぶ。
「……出した」
「は?」
突かかってきたカップルだけでなく、イヌマキも同時にその言葉を発した。
「思い、出した……」
「な、なに言ってやがる」
「思い出したんだよ! イヌマキちゃん、遂に! 蝶舞の錫杖の在り処を!」
「ええ?」
イヌマキは訳も分からず、間の抜けた声だけを漏らす。なぜ今、どこでそのトリガーが引かれたのか、彼女には見当もつかなかった。
「おいお前ら、ありがとう。本気の感謝! あんたらのおかげで、なくしてた記憶がすべて! 蘇った!」
「お、おう……」
そのカップルに、先ほどまでの勢いはなかった。ナルユメの歓喜の舞に圧倒され、突っかかる相手を後悔しているようにイヌマキたちを見ている。そんな様子を、ナルユメはものともせずに叫ぶ。
「お前らが欲しいのはアイスか? いいぞ! いくらでも奢ったる。好きなものを言え! ついてこい!」
「も、もういいよ。早くどっか行ってくれよ……」
ここまでくると、もうどちらが絡まれているのか分からない。現場にミツメがいなくてよかったと、イヌマキはこの時思った。彼女がいれば、更に混沌とした状況に陥っていただろう。
ナルユメはイヌマキの手を引きながら、人であふれる大通りを無理やり横切り、屋上を伝って序盤に捜索を行った西エリアのビル群に足を踏み入れていた。時刻は午後八時を回りかけており、完全に空は完全に暗くなっていた。夜の帳が下りてからが本番、とでもいうように、祭り屋台も人々も、浮かれた盛り上がりを見せていた。
「ナルユメさん、そろそろ教えていただけませんか! さっきのカップルで、一体何を思い出したのです?」
そう聞かれたナルユメは、小走りの速度を緩めることはせず、前を向きながら言った。
「……これもまた、昔話になるけど、話して良いか?」
イヌマキは「どうぞ」と彼を促す。ここまで来たら、全て知っておきたかった。
「さっき話した、俺と親父の祇園祭……。あれには、ちょいと続きがあってな、それをさっき、思い出したんや」
走る速度に見合わぬほどにぽつぽつと、ナルユメは当時の思い出を語り始めた。




