八方滝塞がり
午後七時十二分
「流石に、相手も疲れてきただろ」
仏間に蔓延っていた泥人形の刺客たちは、ピークを越えたのか、かなり少なくなっているようだ。イチジョウ一人でも、全てを捌き切ることができる。
「一時は八体くらいが同時に押し寄せてきていたからな……。眩暈がしてきたぞ」
さすがのフセミも、息を切らしいている。時間にして三十分以上、敵の正面をとるために四方八方をぐるぐると向き回っていたので、無理もない話だった。そんな中、息を切らしながらも満足げにスズリが口を開いた。
「私は、ワニワニパニックのようで大変楽しく戦えました」
「そうですか……。なら良かった」
イチジョウは、彼女をぜひ奥の院の一員にしたいと思った。この娘も確実に、『ホラー映画で絶対に死なないタイプ』だろうと思った。
「いなくなったか」
残党とも呼ぶべき泥人形たちを始末しているうちに、一体の姿も見られなくなった。
「全滅したのでしょうか」
スズリは少し物足りなさそうに言った。
「しかし、まだ本体が残っている。だがあの妖気……。うーむ、蝶舞の錫杖が無ければ……」
時計を見ると、蝶舞の錫杖捜索が開始されて、一時間以上が経過していた。
「そろそろ、見つけているはずだが……」
イチジョウの希望的観測に、フセミは「うーむ」と唸る。「だが、相手は窃盗集団の『洛外秘倉』だろう。 何かトラブルになっていないと良いが」
「そのためにミツメ達を向こうへやったんだ。上手くやってくれると信じるしかない」
そうして彼は、目の前にいる敵の次の一手を警戒するように伝えた。この一時間の戦闘で、祭壇の奥の本体に手出しすることはできないことが分かっている。本体は出現時と変化がなく、依然として気味の悪い蠢き方をしている。
「いや、違う」
全員が、一斉にイチジョウの方を見る。彼の目線は、祭壇の奥にくぎ付けになっている。
「最初見た時と、変わらぬ気がするが……」
「よく見てみろ。少しだが、形になってきている」
一同が、本体であろう影に注目する。よく見ると、柔らかい粘土が手のひらで優しく握られたときのような『くびれ』ができている。そのため、球体は必然的に、人間の頭と胴体があるように見えてくる。その胴の部分からは、少しだけだが、手足が生えてきている様だった。
「あれは、人間か?」
イチジョウの言葉に、スズリが反応した。
「胎児、ではないでしょうか」
言われてみると……。イチジョウがそう言おうとした時、急に視界が暗転した。部屋の豆電球が切れたのだろう。タイミングを不審に思ったが、イチジョウは腰に下げていた緊急用電気ランタンのスイッチを入れた。しかし、つまみをオンにしたにもかかわらず、視界は暗転したままだった。
「フセミ、ライターを。ランタンが付かない」
イチジョウに言われ、彼はライターを取り出し、ジャッという音とともに点火させる音が響いた。
「なぜ、見えない……」
「手には熱を感じる。火が付いているのは間違いないはずだぞ!」
全員が異変に気が付き始める。イチジョウも腰にぶら下がったランタンに触れてみる。ガラス部分は電気熱でかなり熱くなっている。
「視界を奪われたか」
冷静に、ヨツツジが声を発する。会話を聞いていたスズリも、状況を理解したようだった。
「ここまでの暗闇は、経験したことがありません」
「防御姿勢! スズリさんを囲むように陣形を取れ」
イチジョウの指示で、三人はスズリを守るように正三角形に彼女を囲み、外側に正面を向ける。気丈にふるまっていたスズリも、視界が暗黒に支配されることには慣れていなかったのか、委縮している様子だった。
「申し訳ございません。ご迷惑をおかけして」
彼女に気にする必要はないと伝え、イチジョウたちは部屋を脱出するため、じりじりと襖があった方角へと全員で進んでいった。
「暗闇にされては対処のしようもない。一度撤退するぞ」
壁伝いに進み、襖の位置を確認するイチジョウ。幸い、敵は暗闇にしたのみで、攻撃はいまだ始まっていないようだった。それを不気味に思いつつも、今はそれにあやかるしかなかった。
「……開かない」
襖の取っ手を横にずらそうとしても、びくともしなかった。体格の大きいフセミが精一杯力を込めても、結果は同じだった。それはもはや、空間と空間をつなぐものではなく、壁の一部の様になっていた。
「スズリさん、これを蹴破ります。いいですね!」
「どうぞ」と彼女が言い終わる前に、イチジョウは襖を全力で蹴った。やはり、洞窟の岩を蹴っているようにピクリとも動かない。
「くそ」とイチジョウが畳を踏みしめた時、畳の違和感に気が付いた。
「柔らかい……」
泥濘の上を踏みしめた時のように、ぐにゃりとした感触があった。恐る恐る畳に手を伸ばして触ると、大量の水に浸透されている様だった。
「全員、足元に注意! 水分でぬかるんでいる」
「道理で、足が冷えると思っていたのです」
「なんと、床下から浸水しているのか!」
そう各々が反応している間にも、床下から侵入してきているであろう水は止まることをせず、畳が吸収しきれなくなった水が、遂にイチジョウたちの足元に溜まり始めた。もはや仏間全体が、深い水たまりの様になっていた。
「このままでは、溺れてしまうでしょうか……」
スズリが不安げに言う。視界を奪われた上に浸水してくる密室というのは、対象の恐怖心を増幅させる。
「まだ猶予はあります。どうか落ち着いて」
そう言いながら、イチジョウは打開策を考えていた。幸い、水かさが増すスピードは非常に緩慢で、湯舟に湯が溜まっていくほどの早さだった。
だが、暗闇は人間から正常な思考をも奪う。いくら考えても、気の利いた打開策が思いつかない。今回はスズリも巻き込まれており、彼女だけでも何とかしてやりたいと思いが、更に焦燥を加速させる。
「なんとも難儀な……」
「おい」
不意に、ヨツツジの声が仏間に響く。
「これを使え」
そういって彼は、イチジョウとフセミに筒状の何かを手探りで渡してくる。
「なんだこれは」
「浄水ストローだ」
その時、ヨツツジがそれを外出時いつも持ち歩いていたことを思い出した。店で出された水や水筒に入った水などを、その浄水ストローで飲んでいた。『飲食店の水は、質の高くないものが多い』という彼の台詞も、同時にフラッシュバックした。
「三本ある」
「なぜそんなにあるんだ」
「……一度口につけたものを、再び使いたくないから」
「まあ、いい。お前の潔癖症が吉と出たな」
そう言って三人は、踝ほどまで溜まっていた水をストローで飲みだした。口に流れてくる水は無味無臭であるが、嫌に生ぬるかった。その様子には、流石のスズリも驚いたようだった。
「大丈夫なのですか。正体不明の水なのですよ」
「大丈夫です」とイチジョウが水を飲みながら答える。「死ぬよりはましです」
「一度死んだ者たちに、我々が負けるはずがないのです! ごふ」
フセミも溌剌と言ったが、勢い余ってむせてしまったようで、しばらく彼のせき込む声だけが響いた。しかし確実に、浸水速度よりも三人が水を飲む速度の方が早いようで、水かさはみるみると減っている。
「……ヨツツジ様、私にも浄水ストローを」
こればかりは、ヨツツジも一緒になってスズリを止めようとしたが、彼らが思っていたよりも彼女は強情であった。
「女だからと言って、泥臭いことをするなとおっしゃるのですか」
その言葉で、もうどうすることもできなかった。
思わぬ協力のおかげで、四人は部屋に溜まる水を、一時的ではあるが枯らせたようだった。相手も面食らっているのか、水かさが増える様子も無くなった。
「またしても、我々の勝利でしょうか」
スズリは落ち着いた様子だったが、内からあふれる勝算にうきうきとしているのが声だけでも分かった。
「依然として視界は奪われたままですがが……。次の一手に備えます」
「しかし、奥の院の皆さまには頭が上がりません。ここまで対策に余念がないとは」
戦況が深まる程、スズリの口数は多くなっていく。興奮状態にあるのか、それとも、暗闇での不安を紛らわそうとしているのか。
「浄水ストローは、運が良かったのです」
イチジョウがそう答えると、スズリは首を振ったようだった。
「運を味方につけられるのは、修羅場を生きてきた強者だけでございます」
彼女の言葉に、フセミは笑って言う。
「敵はあんなにも滅茶苦茶なことをしてくるのだから、運くらい我々の武器にしないとな!」
その時、部屋の中が轟音とともに揺れ出した。
「地震でしょうか……」
地震というより、何か巨大な何かがものすごいスピードで近づいてくる感覚を、イチジョウは感じていた。
「嫌な予感がする……。総員、防御姿勢を!」
そして、嫌な予感は的中する。天井の木板が激しく粉砕する音が聞こえ、その直後、巨大な滝の真横にいるような轟音が四人の耳を襲った。全身には、激しい水しぶきも飛んでくる。先ほどとは比べ物にならない速度で、足元に水が溜まってくる。
「……ストローを使いますか!」
轟音にかき消されないよう、スズリは精一杯叫んだ。
「無理です! この量は無理です!」
イチジョウも負けじと叫んだ。




