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鳴夢の昔語り

  午後七時零分


 突然現れた、ナルユメと刺客を隔てる巨大な神輿のような物。ビルの屋上に届くほどの高さで、屋根や壁には豪華な装飾が施してある。その神輿の上部には装束を身に着けた男たちが乗っており、ナルユメたちをみて「なんだなんだ」と騒いでいる。それが物理的な障壁となって、刺客はこちらのビルに渡ることができない状況になった。


「今や! 逃げるぞ!」


あっけにとられていたイヌマキ、ミツメ、カクシノだったが、ナルユメの叫び声で我に返り、急いでエレベータに乗り込み、「閉」のボタンを押した。


「とりあえずは、安全だね……」


 扉が完全に閉じ、室内が降下を始めたところで、安心したようにカクシノが言った。


「あれは何だったのですか」


 イヌマキは、ビルとビルの間に現れた、巨大神輿の正体を尋ねる。


「あれが山鉾よ」とミツメが答える。


「ヤマホコ……? ああ、さっきミツメさんが言っていた?」


 『山鉾を見るまでは死なない』という彼女の言葉を、イヌマキは思い出した。


「そう、祇園祭中、町中の各地で設置される、山車のことだよ。疫病退散を祈願して、本来、山鉾は移動せずにおかれていて、宵山の次の日、つまり明日に山鉾巡行が行われるはずなんだけど……」


 カクシノはそう説明しながらも、日違いの巡行を不可解に思っているらしい。しかしその疑問は、いとも簡単に解明された。


「あれは、はぐれ山鉾ですよ」


 そう口火を切ったのはナルユメだった。


「山鉾は地区ごとの人々が管理してる。さっきの六角通の持ち主は変わり者で有名でして、『ほかの地区の奴らと被りたくない』ということで、巡行の前日、宵山に街を徘徊してるらしいです」


「なんで、ナルユメさんがそんなこと知ってるのよ」


「……昔、親父と祇園祭に来た時、そんなことを聞かされた。めっちゃ小さいときやけどな」


 そこまで言ったナルユメは、父と行った、最初で最後の祇園祭の記憶を、フラッシュバックの様に思い出し、ぽつりぽつりと話し始めた。



        〇



―二十二年前。祇園祭宵山。


 その年の祇園祭のことを、ナルユメは今でもよく覚えていた。路地裏の人混み、酔っぱらいの大声、店先に出て冷たい飲み物を売る若者、その様子をマンションのベランダから眺める人々……。そしてそんな路地の先に見える、潤んだ光を放つ、たくさんの提灯。


「あれが、山鉾や」


 隣にいた父、ジュントクが、まだ小学生だったナルユメに言った。宵山の儀式は、ジュントクの父に任されていた時分である。


「ヤマホコ……?」


 その言葉の意味は分からなかったが、狭苦しい夜の街にいきなり現れる大きな提灯の塔を、何とも素敵だと思ったのを、彼は覚えていた。


「あれははぐれ山鉾や。本当は明日に動く予定なんやが、あそこのおやじは変わり者でな」


 母親は幼い時に息を引き取り、親と呼べる存在は父のみであった。しかしナルユメは、ジュントクのことを父親だと感じたことは無かった。この日までは。


 何を思ったか、ジュントクはその日、ナルユメを祇園祭宵山へ連れ出した。


「お父さん、綺麗やな。あれ」


 山鉾がどういったものかは分からなかった。だが、彼は純粋に、思ったことを伝えた。厳格で近寄りがたい存在であった父に、素直に思ったことを言えるのは、当時小学生のナルユメには珍しいことであった。


 ジュントクは何も言わなかった。だが、背伸びしながら山鉾をしげしげと観察するナルユメの視界が、急に上昇した。


「これで、よう見えるやろ」


 父に両脇を持たれ、ナルユメは山鉾の下の方までよく見えた。地域の人たちが、お守りやらおみくじやらを売っている。そんな風景を眺めながらナルユメは、「乗ってみたいなあ」とか「どこにいくんやろう」とか、ぽつぽつと呟いていた。父は何も返事をしなかったが、その代わりに肩車をしてずっと山鉾の後ろをついていってくれていた。


「そろそろ、帰ろか」


 しばらく山鉾を二人で眺めていたジュントクは、そう言ってナルユメを降ろした。




「祇園祭、楽しかったな」


 帰り際、ナルユメは興奮気味に父に言った。


「そうやな」


 父も、小さく返事をする。


「また、来年も行きたいなあ」


「……」


 その言葉には、父は何も言わなかった。街の至る所に吊るされた、「祇園祭」と書かれた提灯を眺めて、遠い目をしている。


「うわあ。あれも綺麗」


 ナルユメがそう言ったので、ジュントクは息子が目を輝かせる方向を見た。玩具専門の屋台で売られている、光る玩具だった。短いスティックの先に、透明な蝶のオブジェが付いていて、ボタンを押すと七色に点滅しながらくるくると回転する仕組みになっている。まさに、光る蝶が夜を飛んでいるように見えた。


「欲しいか」


 長い間を置いて、父が言った。彼に何かをねだったこともなく、そんなことを言われると予想していなかったナルユメは驚いたが、控えめに「うん」と頷いた。


「大事にな」


「うん。ありがとう、お父さん」


 その後屋敷に帰るまで、ナルユメはその玩具を手放さず、ずっと蝶を回転させて遊んでいた。


「これ、一生の思い出」


 息子の言葉に、ジュントクはうつむいた。道の両脇では、時間を過ぎた夜店が、店をたたむ準備をしている。


「ごめんな」


 不意にジュントクが呟く。その言葉の意味を、まだ幼かったナルユメには、理解できなかった。返事に困った彼は、ジュントクにその玩具を渡す。あっけにとられながら息子を見るジュントクに、ナルユメは言った。


「お父さんもやってみて、綺麗やから」


 そう言われるがままに、彼はスティックのボタンを押す。カタカタとチープな音を立てながらも、彩度の高い光が次々と移り変わっていく。


「……綺麗やな」


「そうやろう、綺麗やろ」


そんな会話をしながら、二人は終わりかけの祭りの中を歩いて帰路についた。


これが、ナルユメが父と出かけた、最初で最後の祇園祭だった。


       〇


「今でもよく覚えてるし、なぜか親父も優しかった。あの時だけはな。ほんで次の年から、親父が領主になり、儀式を担当するようになった。つまり、宵山にはもういけんくなった」


 彼が話し終わる頃には、四人はすでにエレベータを降り、大通りを通り抜け、先ほど捜索を行った反対の方角のビル群へとたどり着いていた。


「最後だけは、ナルユメさんに優しくしてあげようと思ったのかしら」


 ミツメもしんみりした様子で言う。


「とにかく、良かったよ。お父さんとの記憶が、ここで役に立って。あそこで君が奴を挑発しなかったら、今頃全員やられていただろうね」


 カクシノはそう言いながら、大通りに面した小さな雑居ビルに、先ほどと同じような要領で入っていった。


「こっち側にも、カクシノさん所有のビルがあるんですね」


「先代からだよ。正直二つもいらないと思ってたけど、この時のためにあったのかもね」


 四人は再びビルの屋上に着き、各々脱いでいた衣装を身に着け始める。


「さあ諸君、再び捜索スタートだ」


 カクシノ曰く、先ほど捜索した東側のビル群の方が祭りの区画が広いため、これから捜索を始める西側の区画は、比較的錫杖を見つけやすいという。


「東側になかったとなると、残すはこっちの西側、錫杖はもうすぐだよ。しばらくは追手もこないだろうし」


 そう言いながら彼は悠々と隣に立つビルに梯子を立てかけた。その様子を見ながら、イヌマキが不安そうに立ちすくんでいる。


「イヌマキちゃん、どうかした?」


 ミツメが心配そうに尋ねる。「『洛外秘倉』の奴らが心配?」


「いえ、それもそうなんですが、聞こえませんか?」


 そう言われミツメが耳を澄ませると、うっすらと、サイレンの音が聞こえてくる。その音は、だんだんと近づいてきているようだ。


「これ、パトカーですよね。不法侵入で、私たちを捕まえようとしてるんじゃ……」


 恐る恐る言うイヌマキに、ミツメは大丈夫と自信ありげに答えた。


「もしそうだとしても、私たちなら逃げ切れる。この衣装を脱いで、お客さんたちに紛れればいいのよ」


 倫理的な不安を無視した回答に、イヌマキは狼狽した。だが、ここまで来たらもう後戻りはできないと、イヌマキは腹をくくった。


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