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八方ビル塞がり

   午後六時四十四分


「ちょっと、確実に近づいてるわよ!」


 ミツメの叫びに慌てて全員が振り向くと、『洛外秘倉』の刺客は、四人との距離を確実に縮めてきていた。


「そりゃあそうや。向こうは梯子なしで渡ってきてるんやから!」


 一度、下に降りて往来に溶け込むという作戦も考えられたが、降りている途中にそのビルの所有者や関係者と鉢合わせる可能性があること、衣装をなくすことと、上からの襲撃を懸念して、スタート地点へ急ぐという決断がなされた。


「もう少しでエレベーターだ。これなら間に合う!」


 梯子をビルの縁に伸ばし、四人で渡るという行為がだんだんと洗練されてきて、逃走スピードは確実に上がってきてはいるものの、パルクール選手の如く練達した動きで障害物や屋上と屋上を桁外れの脚力で跳躍する刺客の速さには敵わない。不気味な外套を靡かせながら、文字通り鬼の形相で追跡してくる様子は、まさに異形。あれだけ調子づいていたミツメも、余裕をなくして「錫杖はいずこ」と言わなくなっていた。むしろ、往来の野次馬たちに「狐の人だ」だの「あのセリフを言ってくれ」などのヤジに対して、「黙ってなさい! この有象無象どもが」と叱咤する始末であった。見物客からしたら、たまったものではないだろう。だがもしかするとそれも、一つの芸当に見られた可能性はある。


「というか何故追ってくるんです! 交渉の余地はないのですか!」


 息を切らしながらもイヌマキが叫ぶ。なぜ『洛外秘倉』の刺客は、こちら四人の話も聞かず、奪い返しに来たと認識したのか。温和に解決することもできるはずだと思った。


「確かにそうやな……。おいミツメ! お前の交渉術を見せてやれ」


 ナルユメにそう言われたミツメは、面を深く被り直し、「仕方ないわね」と、ひらりと後ろを向いた。


「我ら、蝶舞の錫杖を探し求める者! 争いは好まぬ! 手荒に奪い返そうという魂胆ではない。どうか話し合いを!」


 ミツメがそこまで言うと、刺客は四つほど向こうのビルの屋上の上で、ぴたりと動きを止めた。彼、もしくは彼女は、その場で何か考え込んでから、何かを懐から取り出すそぶりを見せる。


「交渉成立……?」


 ミツメが期待がちに小さく呟く。しかし刺客が懐から取り出したのは、刀身の長い刃物のようなものだった。


「もしかして、あれが世に言う蝶舞の錫杖かしら」


 自身の交渉術が成功して自信過剰になっているミツメに、ナルユメが言う。


「……どう見ても包丁やろう」


「……あれは、刺身包丁でしょうか」


「……いや、ふぐ引包丁かもしれん」


「種類はどうでもいい! 早く逃げよう!」


 四人が踵を返すと、刺客も再びこちらに向けて走り出した。


 四人が捜索を開始したビルの屋上に戻ってきた時、刺客はすでに隣のビルにまで近づいてきていた。今エレベーターの扉を開き、全員で乗り込んでも、確実に追いつかれてしまうであろう距離だった。


「これ、どうする……?」


 ミツメが恐る恐る口を開く。


「飛び降りますか」


「この高さは、死ぬね」


 イヌマキも駄目元で言ってみるが、あっけなくカクシノに否定されてしまった。勝利を確信したのか、刺客は隣のビル屋上でゆっくりと歩いてくる。八方塞がりという言葉が、四人の頭をよぎる。イヌマキは打開策をなんとか模索しようとしたが、何も浮かばない。浮かばなさ過ぎて、ミツメが新幹線で頬張っていた八つ橋のことが何故か頭をよぎる。


「私も八つ橋、食べてみたかったです」


「何死ぬ気でいるのよ、イヌマキちゃん」


 確実に歩みを進める刺客を見つめながら、ミツメが言う。「まだ祇園祭も堪能してないじゃない。私、山鉾を見るまでは死なないわよ」


その時、ナルユメが一人、何かを確信したように声を上げた。「いや待て」


「大丈夫や。俺らは逃げ切れる」


 そう言って彼は、刺客に近づくように、屋上の縁へ近づいていった。


「ちょっと、死ぬ気かい。無茶はいけないよ」と叫ぶカクシノを無視して、ナルユメは歩く。そしてビルの縁に、どっしりと仁王立ちをする。


「こっちに来いや。俺と戦おう」


 何を思ったのか、ナルユメは刺客を挑発しだす。


「ちょっと、何煽ってるのよナルユメさん。いつもの幽霊とはわけが違うのよ!」


 ミツメの制止にも、ナルユメは止まる気配がなかった。絶望のあまり、頭がおかしくなってしまったのだろうか。あからさますぎる挑発に、刺客は少し面食らった様子で動きを止めていたが、しびれを切らしたのか、包丁を構え、こちらのビルに飛び掛かるために助走をつけた。


「ああ、もう駄目だ!」


 カクシノは見ていられないと目を伏せる。ミツメは、いざとなったら自分も参戦しようと、臨戦態勢をとる。イヌマキはどうすることもできず、ただナルユメと刺客の様子を見ることしかできなかった。


 やがて刺客は地面を蹴り、こちらのビルに飛び掛かる。息が止まるような緊張に満ちたイヌマキの視界に飛び込んだのは、ナルユメと刺客の間に現れた、まばゆい光の壁だった。



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