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尾張羽の小壺


イチジョウは、懐から手のひらサイズの小壺を取り出した。


「まあそれでも、あまり使いたくはないものだがな」


 イチジョウがその壺を、特殊部隊が部屋の中に手榴弾を投げ込むような形で、傘の下から落とし神の顔に向けて投げた。


「あんまり見ないほうが良いかもよ」


 ミツメにそういわれても、イヌマキは目を背けることができなかった。落とし神、つまり信楽焼の顔に直撃して割れたその小壺の中身は、どろどろとしたタールのような液体で、顔に付着したそれが、だらだらと顔から体へと流れている。何が起こっているのか、どんな効果があるのかもわからず呆然としていると、あれほどまで強かった本の雨がぴたりと止み、浮遊していた本たちはどさりと地面に落ちた。これは、落とし神の力が弱まっていることを意味していた。


「あれは一体……」


 体勢を立て直しながら、イチジョウが話し始める。


「イヌマキは、蟲毒を知っているか。様々な毒虫をひとつの壺に入れて戦わせ、最終的に生き残った奴から採取した毒を呪いに使用するというものだ。今投げた壺、『尾羽張の小壺』は、毒虫を呪物に変えたものだ。ヨツツジが各地のアンティーク屋や収集家から集めた、いわゆる呪物を一つの壺に入れる。呪いが呪いを生み、混沌となった壺の中身を、敵にぶつける。……やはり、呪いには同じく呪われたものをぶつけなければ勝てない。奥の院伝統芸『カース・リターン』だ」


「こんなこと、住職や霊媒師じゃ絶対できないわよねえ」


「……あの壺には、どんな呪物が入れられていたんでしょうか」


 イヌマキの質問に、全員がヨツツジを向き、表情を変えることなく彼がそれに答える。


「人形の髪の毛、藁人形の藁、呪術盆の切れ端、ウシガエルのミイラの破片、その他諸々」


「あぁ、いかにも……。じゃあ、あのドロドロの液体は何なんでしょうか」


 その問いに対して、ヨツツジは首を振った。


「……わからん。ただ、『尾羽張の小壺』の中身は総じてああなる」


「えぇ」


「効果や中身についてはよくわからんが効き目は抜群だ。奴が行動不能になっている間に終わらせるぞ」


 イチジョウがハンドサインを出すと、メンバー全員が動かなくなった落とし神と火車へ接近を始める。そこについていこうよするイヌマキも、地面に散らばった本たちをできるだけ踏まないように進んでいく。その大量の本の中で、一冊だけページが開いている本が目に留まる。それを見たイヌマキは、しばらく動けなくなった。


「これは……」



   午後六時三十二分



「ようやく、追い詰めた……」


「手間をかけさせてくれたわね」


「数多の本への冒涜……、鉄槌の時!」


 最大の協力者である落とし神が無力化された火車は、奥の院一同によって塀の隅に追い詰められ、四つの銃口を向けられていた。


「人の隙をつく狡猾さ、落とし神を味方につける賢さ……、子供にしては、中々厄介だった。そこは褒めよう。だがうちの隊員を傷つけようとしたこと、これは許されることではない」


 火車は、またしても無表情であった。それは怒りだけでなく、諦めもあったのかもしれない。親に悪事がばれ、叱られている子供のように恨めしそうな表情で、奥の院の一人一人を見ている。


「……終わりにしよう」


 リーダーの声に、各々が葦苅を構え直す。


「準備はいいな……。全員攻撃態勢、撃て……」


「待ってください! 撃たないで!」


 こんな芝居じみた台詞を人生で言うことになるとは、イヌマキはこのサークルに入るまで想像したことがなかった。両手を広げ、火車を庇うような形で他メンバー達の正面に立つイヌマキ。


「……イヌマキちゃん?」


「何のつもりだ……?」


 ミツメとイチジョウが口を開く、ミツメはともかく、作戦を妨害されたリーダーの、明らかに怒気が混ざっている様子にイヌマキは委縮したが、それを振り切り、火車の方を振り返って叫んだ。


「この家を出て東側へ行ったところに、図書館の廃墟がある! そこへ行って! 誰にも迷惑が掛からないし、本もそのままだから好きなだけ読める。こんなところで本を盗むより、よっぽど有意義なはず!」


 火車をはじめ、周囲が静まり返った。今更後悔しても遅いところまで来てしまったイヌマキは、止まらずにに続けた。


「君だって、それを望んでいるでしょう!」


 その言葉に、イチジョウが間髪入れずに食いつく。


「なぜそう言える? こいつはただの本じゃなく、人が読んでいる本に嫉妬して盗んでいたんだぞ。本を読みたいなんて思っちゃいない」


 イチジョウの冷静な判断と、尤もな意見に、イヌマキはある一冊の本を一同に見せた。


「これは、あそこの地面に落ちていたものです」


「おお!これは先ほどの『ヴェルヌ街の殺人』! 塗りつぶされた線が消えている!」


「これは……」


 イヌマキの伝えたいことを分かってくれたようで、彼女はひとまず安心して続ける。


「私たちが黒く塗りつぶしたこの本ですが、マジックを消した跡があります。所々、黒いしみがついているのが見えるでしょう? 盗られてからあそこに落ちるまで持っていたのはこの子です。マジックを消せる術も、私たちは持ってない」


 そう言ってイヌマキは、火車に向き直す。そして努めて優しい表情で言った。


「君がやったんでしょう? この本を読めるようにするために、線を消したんでしょう? 盗むことが目的なら、本の内容なんてどうでもいいはずよ」


 火車は変わらず無表情だったが、先ほどイヌマキを襲った時のような憎悪は、もう感じられなかった。


「私、幼い頃に父に本を燃やされたことがあるの。だから君があの時怒ったのも理解できる。盗むのは悪いことだけど、本への愛情は感じられた」


「本への愛情が無かったのは、我々の方であったか……。なんたる不覚!」


「いや、あれは仕方のないことだったでしょ。私が悪いみたいになるからやめてよ……」


 再び発作が起こりそうなニノツキを横目で心配しながら、イヌマキは火車に『ヴェルヌ街の殺人』を手渡す。しばらく呆然としていたが、彼も黙ってそれを受け取る。


「君にあげる。私、ミステリー苦手だから」


 「それは私の本なのだが……」とニノツキは言おうとしたが、そんな空気ではなかったため諦めた。イヌマキも熱くなりすぎているのだろうと、今日は大目に見ることにした。


 火車はしばらく本を持ったまま項垂れていたが、やがて庭の門へと歩き出した。どうやら、説得が効いたようだった。ただ、その後ろ姿は酷く寂しそうだった。イヌマキは思う。そこにどれだけ本があろうと、孤独には変わりない。あの場所で、あの子はこれからどれほど長い時間を一人で過ごすのだろう……。それを読み終わったとき、この子はどうするべきなのだろう。


「……そこの神様も、一緒に行ってくれるみたいよ?」


 ミツメの言葉を聞いて、自分の判断が正しかったのか迷い始めていたイヌマキはハッとする。そうだ、落とし神の存在を忘れていた。尾羽張の小壺を喰らって無力化されていた落とし神だが、消滅していなかったようだ。再び力を取り戻し、長い足をロボットのように動かして、火車のもとへ歩いていく。


「この子が可哀そうだと思ったから、協力してあげてたんでしょ? これからも付き添ってあげたらいいじゃない」


 火車は近づいてきた落とし神を見る。やはり無表情のままであるが、目元が少しだけ優しく見えた。表情に豊かさが現れる前に、死んでしまったのだろうか。そのまま火車は、落とし神の背中に抱き着く。落とし神は彼をおんぶしたまま庭を出ていこうとする。


「おい、待て!」


 イチジョウの叫びに、落とし神の動きが止まる。その気迫に、イヌマキもびくりとする。やはり、この人はこんなこと許してくれないだろうか。恐る恐る彼の方を振り向くと、自身のバッグから取り出した上着と帽子を持っているイチジョウがいた。


「その格好で人に見られたらまずい。これを着ていけ」


 そう言いながらイチジョウは、落とし神に上着を羽織らせ、帽子を目深にかぶらせる。ヨツツジがついでにマスクを持ってきて、口元にかけてやる。


「これで、多少は人間っぽくなったろ」


「ずんぐりしていて、少し私に似ているな!」



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