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火車撃退戦 『読書擬き』

  

 午後三時四十四分


「では、頼んだぞ。イヌマキ」


「あなたならできるわ


「うぅ……。預ける! 預けるぞこの背中を! 貴公に全てが懸かっているのだ……!」


「はい……」


 異様なテンションのニノツキに若干引きつりながらも、イヌマキは単独作戦を開始する。まず彼女は畳の上に座り、一冊の文庫本を取り出す。なるべく自然な動作を心掛け、ゆっくりと一ページ目を開く。マジックで黒く塗りつぶされた文章が、一行目から続く。まるで戦後の教科書だなと、イヌマキは心の中で嘯く。


 イヌマキは頭の中で計算する。


―私が読書中にページをめくるのは、大体二分に一回……。大丈夫、文字が読めなくても、読書している様には見せられる。なるべく自然に、目線の動きも、本当に文章を追っているように、上から下へ……。


 隣の部屋から、奥の院一同が話す声が聞こえてくる。おそらくは、次に標的となる敵の攻略を話し合っているのだろう。彼らに落胆されないよう、イヌマキは必死になって“読書擬き”を続ける。


―初めて私が、何のサポートもなく活躍できる機会……。これに失敗したら、『火車』を倒せないどころか、私は奥の院を破門されてしまうかもしれない……。何としてでも、この作戦を成功させないと……!


   午後一時零分


 『火車撃退作戦』開始の約三時間前。


「文字を、黒く塗りつぶす……?」


思わず聞き返したイヌマキに、イチジョウは答える。


「そうだ。盗った本に書いてある文章が、全てペンで黒く塗りつぶされていたらどう思う?」


 その問いかけに、ニノツキが間髪入れずに即答する。


「怒り狂う! その場に卒倒する勢いでな!」


 彼は本の話になるといつになく激情的だった。そんな様子にやや呆れながらも、ミツメが言う。


「その子からすれば、騙された、嵌められた! って思うでしょうね。自分の行動が予測され、それに対処されていることに、幼い子供は憤りを感じるからね」


「子供の霊に、とても詳しいのですね」


 感心するイヌマキに、ミツメはふふーんと鼻を鳴らす。


「一応、児童心理学専攻ですから」


 この時、イヌマキは彼女が大学生で、普段は普通に学校に通っていることを認識させられた。そうだ。ここにいる全員、常軌を逸したプロフェッショナル精神を持ち合わせているが、大学生なのだ。


「というわけで、この作戦はミツメ考案だ。実際の子供と霊の心理が同じならば、有効な手段と言えるだろう」


「昨日の行動で、それはほぼ確定と言えるでしょうね。実習先の保育園で、ああいうことをする子をよく見たもの」


 いつになく頼もしいミツメを、イヌマキは尊敬の眼差しで見つめる。


「作戦概要は私から伝えるわ。まず囮になる人を一人決める。大人が揃いも揃って本を読んでたらおかしいでしょ? それでその人が全文が黒塗りされた本を読んでいるふりをする。ゆっくり時間をかけて、罠だと思われないようにね。そして自然なタイミングで隙を見せる。伸びをしたり、窓の外を見たりとかね。それで盗んだ子が中身を見て逆上。実体化して出てきたところを叩く。こういう流れで行こうと思うわ」


「それで、肝心の囮役だけど……」


 とミツメが言いながら、イヌマキの方をちらりと見る。嫌な予感がした。


「読書について造詣が深いニノツキさんかイヌマキちゃん、どちらかにお願いするわ。目線の動かし方とか、ページのめくるタイミングとか、自然にできるとおもうのよ」


「なるほど……」


不安に思いながらも、イヌマキは彼女の采配には納得していた。あとは二人のうち、どちらがやるか……。そう思ってニノ付きの方をみてイヌマキはぎょっとした。彼は今まで見たこともないような顔で歯を食いしばっていた。


「くっ!なんと悪魔的発想! 狂気的!」


「ちょっとニノツキさん、そこまで言わなくたっていいじゃない。傷つくわ」


 いつも朗らかで、何をしても怒りを表に出さないニノツキが、憤怒で震えている。


「ミツメ君、この作戦で、最も傷ついているのは誰だ……? それは他でもなく黒塗りされる本であろう! 真っ黒に汚された挙句、もう本として使ってもらうこともできないなんて……! 彼らにとっては鬼畜の所業」


「……これも撃退のためだ。協力するしかない。多少の犠牲には目をつむってくれ」


 イチジョウがたしなめるが、ニノツキはいまだ承諾している様子はなかった。


「わかっている……! わかっているが! うーむむむ……。イヌマキ君、貴君にその使命を託そう! 私にはどうもできそうにない……。文字が潰えた本を読むなど、死んで動かない友人と語り合うようなものだ……」

 そういって彼は項垂れたまま動かなくなった。他メンバーはかなり引いているが、イヌマキだけは彼の気持ちが理解できた。本に対する冒涜であることは重々承知している。


―本の神様に知られたら、きっと私は一生本が読めない。それでもやらなきゃ……。この人たちに助けてもらってばかりじゃ駄目よ。イヌマキとして活躍できるチャンスなんだから……。


「ニノツキさん、任せてください。私が囮役になりましょう」


 イヌマキの声を聞き顔を上げたニノツキは「かたじけない……」といって再び項垂れた。


「何と良い後輩を持ったのだ私は……」


 と言いながらヨツツジに担がれ、部屋の隅に座らせられたニノツキを苦笑いで見ながら、ミツメはイヌマキを向き直す。


「ありがとう。イヌマキちゃんの勇気にあの人は救われたわ」


「いえ……、私はまだ何も役に立てていませんから」


「いいえ、十分役立ってるわよ。それが今からもっと役立つことになるの」


 イヌマキは照れ臭そうに笑う。


「さてと、それじゃあ、この文庫本を塗りつぶす作業をしなきゃね」


 ミツメが取り出したのは、イチジョウが持参したミステリー小説、『ヴェルヌ街の殺人』。七十ページほどあるこの本のすべてを、今からマジックで黒く塗りつぶさねばならない。


「せめてもだ、ここは俺がやろう」


 イチジョウが言った。イヌマキがこの行為を多少なりとも心苦しく思っているのを察してくれたのだろう。教科書にマーカーをするような手際で、文章が黒く塗りつぶされていく。イヌマキはその様子を見ながら、作者に心から謝罪をした。



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