フェーズ2 落とし神
「人間の霊ではない」
それを聞いた時、イヌマキは出発前のブリーフィングを思い出した。“人間以外の何か”。そんなに恐ろしいものが、イヌマキのすぐ近くを徘徊していたのかと思うと、心底ぞっとした。しかしぞっとする理由は、それだけではなかった。ヨツツジが続ける。
「……霊かどうかも怪しい。あれは、神に近い存在と言ってもいい」
イヌマキ以外の一同も、流石にこの言葉には驚いたらしい。
「『落とし神』か……」
「なんと! 最近めっきり見ないから、消えたと思っていたが、まだ現存していたか!」
「そんな奴がいたなんて……。さすが四国地方、恐るべしね。でもなんでこんなところに……?」
ミツメの疑問に、ヨツツジが答える。
「いつからこの家に憑いていたのかは不明。だが霊が複数体出現するのは、こいつに惹かれてきた可能性が高い」
「なるほど、これまた厄介な……」
「あの、『落とし神』とは……?」
非常に縁起の悪そうな名前なので碌な存在じゃないだろうなと思いながらも、イヌマキは尋ねた。
「こういった事故物件に長い間住み憑いてしまうと、そいつの霊としての力はだんだん強くなる。『落とし神』はそれの極致と言えるような奴だ。神に近い力を持ちながら、神にはなれない……。神の落とし子として、我々はそう呼んでいる」
イチジョウの説明に一同が各々反応する中で、イヌマキは恐れにも似たある疑問が浮かんだ。
「あの、神に近い存在って、倒せるものなんですか? というかそもそも、倒してしまって良いのでしょうか……。その、祟りだったり、色々とまずくないですか」
そんなイヌマキの問いに、イチジョウは毅然とした態度で答えた。
「俺たちの目的は何だった、イヌマキ。……事故物件の浄化と、理不尽の排斥だ。相手が神であれ何であれ、物件利用者にとって理不尽を働いているなら、それを容赦する理由は無い。それと倒し方だが、しかるべき対処を行えば、何とかなる」
「はあ……」
「神殺しだよイヌマキ君。言い方を変えれば、ずいぶんと恰好が付くだろう?」
「まあ、確かに……」
「私たち、これまで大量の霊を倒してきたでしょ? それでも生活に支障をきたすことなんかなーんにも起こってないじゃない。今更神の一人や二人、大丈夫よ、大丈夫!」
「そうですね……!」
イチジョウの言葉以外はあまり説得力のあるものではなかったが、イヌマキはその勢いに乗ずるしかなかった。しかし彼らの煽り文句を聞くと、不思議と気持ちが高揚してくるのを彼女は感じていた。
「この家を、清いものにしてゆこう」
一同に、反撃の狼煙が上がった瞬間であった。
午前七時三十六分
「イヌマキにとっては初の複数戦だな」
「はい……」
「それに加えて、曲者ばかりだが、共に乗り越えるとしよう。ただ、長期戦になることは覚悟しておいてくれ」
「……分かりました」
イヌマキは頷きながらも、不安を感じざるを得なかった。この一日で、四体もの霊を撃退しきれるのだろうか。ましてや相手は、四国地方産の強力な個体。現実的に有り得ないと思いつつも、奥の院の撃退方法は常に現実的には有り得ないようなやり方ばかりだったため、今回も何とかなるのかもしれないと期待することにした。
「ではまず、叩けるところから叩いていくか」
そういってイチジョウは、日本酒入り水鉄砲、葦苅を構えた。そこから部屋の隅に歩いていき、ミツメが置いた荷物を素早くどかした。
「やっぱり、まだいたのね……」
昨日と同じ様子で、老人の頭が畳から生えてきていた。イチジョウと目が合うと、またあの気味の悪い笑顔を見せた。
「そっちから出てくるなんてな……、探す手間が省けてありがたいが」
普通の人間の様に驚かれると思っていたのか、その老人は明らかに狼狽した様子が見て取れた。そんな様子を見ていたイチジョウは、イヌマキにとって予想外の行動を見せた。
「あのーすみません。ここ、人が住んでいる家なので。脅かすのをやめてもらえますか」
「……え?」
隣人の騒音を咎めるような口調で話しかけられ、霊も困惑している様だったが、それ以上に困惑していたのがイヌマキだった。
「ここに住む人たちは、何も罪がないじゃないですか。そんな人を脅かしちゃあ、駄目でしょう」
「あの、あれって……」
隣でイチジョウの様子を見ていたミツメに、イヌマキは尋ねる。
「これもれっきとした撃退方法よ。技名は『ジェントリー・ヴァケイション』。直訳すると『温和な立ち退き』……。言葉で納得してもらえそうなやつにはああやって穏便に済ますのよ」
「できるだけ『弾薬』も節約したいからな! 私たちはここで見ておくことにしよう」
「はあ」
その後もイチジョウの説教は続いた。「しょうもないことはしないほうが良いですよ」とか「もっと有意義な過ごし方があるはずです」とか……。言われている老人も、だんだんとしおらしくなってきていた。反省しているのだろうか。
「もしどうしても脅かしたいなら、肝試しで悪ふざけする若者とか、そういう自業自得な人を脅かしてください。少なくともここに住む人は、脅かされる筋合いはない」
そのイチジョウの言葉で完全に折れたのか、老人の霊はぬるりと畳から全身を出して、玄関の方に向かっていった。去り際、老人は奥の院一同の方を改めて向き直し、深く一礼した。それに対してイチジョウも会釈する。合わせて他のメンバーも一礼する。そして老人は玄関からどこかへ行ってしまった。
「……まずは一体」
「こんな簡単に倒せる霊もいるんですね……」
感心しながら、若干あきれた様子を見せながらイヌマキは言った。
「人間を脅かすことだけを目的としている奴は、程度が低い。少しでもこっちに驚く様子がないと分かるとすぐに委縮する。……まあ、納得してもらえたようで良かったが」
「恐らくはここの主である霊のオーラに引かれてやってきて、住み着いたんでしょうね」
「なるほど……」
霊側にも色々な事情があるんだなと、イヌマキは辺境の生物の生態を学んでいるような心地になった。




