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手紙からはじまる物語 ― 見えない糸でつながる心たち ―  作者: 草花みおん
RECORD/17

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99/110

最後の記録

記録コード:021

区画17 封鎖解除後/観測ライン自動再接続

外部通信:安定

環境指数:良好(酸素濃度21.0%、気温17℃)

生存反応:複数検出

備考:発信者不明。記録媒体は破損していたが、自動補完により再生を開始。


——再生開始。

風の匂いがした。

それが、どれほど懐かしいものだったかを思い出すまでに、しばらくかかった。


視界には、青空。

灰色の金属と薬品の匂いしか知らなかった空気が、やけに柔らかい。

私は地面に手をついた。土の感触。ひんやりして、少し湿っていた。

呼吸ができる。痛くない。胸の奥に空気が届く感覚が、こんなにも新しいなんて。


「……外」

言葉にした瞬間、涙がこぼれた。

生きている。それだけで、こんなに震えるのかと思う。


あの扉が閉まる直前、17番が見せた横顔を思い出す。

なにかを言おうとして、結局言わなかった。

私は叫んだはずだ。

——「一緒に行こう」と。

でも返ってきたのは、静かな笑みだけだった。


その笑顔の意味を、いまなら分かる。

彼は、残るつもりだった。

私が出ることを、信じてくれたから。


私は顔を上げ、目の前の世界を見た。

高く組まれた避難キャンプの骨組み。

白いテントが風に揺れ、制服姿のスタッフが忙しく動いている。

「お疲れさまでした」「大丈夫ですか?」

何人もの声が飛び交い、私の肩に毛布がかけられた。


「生存者、確認しました!」

スタッフが通信機に叫ぶ。

その言葉を聞いた瞬間、胸が少しだけ軽くなった。

——あぁ、本当に終わったんだ。


毛布を掴む手が震えていた。

安堵なのか、恐怖なのか、分からない。

けれど、息をするたびに「生きている」という確信が増していく。


しばらくして、医療テントに案内された。

壁には薬品と白い箱が並び、モニターの光が淡く揺れている。

スタッフの女性が微笑み、私の腕のシールを確認した。

「反応なし。適応値は安定しています」

そう言って、優しく微笑んだ。

その笑顔に、少し救われた気がした。


だが——

彼女の首筋にも、薄く光る貼り跡があった。


一瞬、胸が冷たくなった。

けれど次の瞬間、彼女は何事もなかったように書類をめくっていた。

「このまま休んでください。すぐに検査が終わります」


私は頷いた。

だが、目を閉じると、あの赤い非常灯が瞼の裏に残って離れなかった。

脈打つような光。

記録の赤い点滅。


——RECORDING。


何度も見たその文字が、脳裏に浮かぶ。


夜、外に出ると、風がひんやりしていた。

テントの隙間から覗く夜空には、無数の星が瞬いている。

その点滅が、なぜかあの赤いランプと同じリズムに見えた。


「……17番」

呟いてみる。

答えはない。

けれど、風が頬を撫でた。

その温かさが、まるで誰かの手のように感じられた。


遠くで、スピーカーが小さくノイズを吐く。

何かが再生されている音。

耳を澄ますと、微かな声が混ざっていた。


「……記録を、続けてください。」


その声を聞いた瞬間、涙がこぼれた。

なぜか分からない。

ただ、その言葉が、彼の声に聞こえた。


私は夜空を見上げた。

星々の点滅が、まるで世界全体が記録を続けているように見えた。

——まだ、終わっていない。


風が吹く。

どこかで金属のきしむ音がした。

そして、空の奥から小さな電子音。


RECORDING


私は微笑んだ。

「……そう。まだ続いてるのね。」


朝が来た。

青く澄んだ空の下で、鳥の声が聞こえる。

どこかぎこちない旋律。

整いすぎたリズムが、逆に不安を誘った。


テントの外では、人々が整列していた。

救護班が一人ずつに声をかけ、検査を行っている。

笑顔、拍手、感謝の声。

けれど、どの笑顔も同じ角度だった。

まるで同じ形に作られた写真を並べたみたいに。


「次の方、どうぞ」

呼ばれて、私は列に加わる。

腕のシールを確認するスタッフの視線が、ほんの一瞬止まった。

「あなた、貼り替えは必要ないようですね」

「……はい」

「それはいいことですよ。とても」


微笑みの奥に、疲れたような影が見えた。

でも、その影が誰のものなのか、確かめる前に次の人が呼ばれた。


テントを出て、光に目を細める。

遠くの丘の向こう、崩れかけた施設の輪郭が見えた。

そこが、私たちがいた場所。

あの扉の奥に、17番がいる。

今も、あの赤い光の中で。


「……戻りたい」

心の中で呟いた。

でも足は動かない。

世界は明るく、風は柔らかい。

それなのに、どこにも温度を感じなかった。


昼過ぎ、救援本部のスクリーンに「封鎖解除完全達成」の文字が映し出された。

周囲が歓声に包まれる。

抱き合う人々、拍手の音。

私は立ち尽くしたまま、その景色を見ていた。


ふと、足元の土が揺れた。

地震ではない。

地の底から、何かが“息をする”ような動き。

近くのテントの壁がわずかに膨らみ、空気が弾ける音がした。


スピーカーからアナウンスが流れる。


「各区画の検査を再開します。

新しい識別シールの再配布を開始します。」


私は耳を疑った。

「再配布?」

スタッフの一人が微笑みながら説明する。

「予備的なものです。安心のために。

 貼るだけで感染を防げますから」


その言葉に、背筋が凍った。

“貼るだけで防げる”——

あの言葉を、私は知っている。


思わず問う。

「……このシール、誰が作ったんですか?」

スタッフは一瞬、無表情になり、すぐに笑顔を取り戻した。

「開発部です。内部の、残留チームが提供してくれました。

 あなたがいた施設の中で」


私は息を呑んだ。

胸の奥が痛い。

「……誰が?」

「分かりません。データは匿名で届きました。

 ただし識別コードが一つ残っていました」

スタッフが端末を操作する。

画面に数字が浮かぶ。


No.17


その瞬間、時間が止まった。

風が止み、周囲の音が消える。

私は画面を見つめたまま、声を失った。


「まだ、動いてるの……?」


スタッフは首をかしげる。

「ええ、システムは完全に稼働しています。

 あなたたちを守るために」


その言葉を聞いた瞬間、胸の奥がざわついた。

守る——誰を? 何から?

あの中で、彼が封鎖したものはなんだった?


夜。

再びテントの外に出る。

空は雲がなく、星がやけに近い。

その光が、一定のリズムで瞬いていた。

見覚えのある間隔。

あれは、赤い点滅。


耳の奥で、音がした。


「記録を……続けてください。」


涙が頬を伝う。

私は空を見上げたまま、小さく頷いた。


「……あなたが、守ってくれてるのね。」


でも同時に、胸の奥が静かに冷えていく。

彼が守っているのは、この世界じゃない。

たぶん、記録の中の私たちだ。

だからこそ、まだ終わらない。


翌朝、キャンプの放送が静かに流れた。


「すべての区画で適応率が100%に到達しました。

本日をもって、全域の隔離を解除します。」


拍手が起きた。

泣きながら抱き合う人もいた。

私もその中にいたはずなのに、掌が冷たく、拍手の音がやけに遠い。


スタッフがやってきて、腕に新しいシールを貼った。

その感触に微かな既視感が走る。

胸の奥がざわめいた。

貼られた箇所が熱を帯び、血が脈打つたびに微弱な光がにじむ。

「これで本当に、終わりなんですね?」

私が問うと、スタッフは穏やかに頷いた。


「終わりではありません。

新しい始まりです。」


そう言って微笑んだ顔が、なぜかあのときの彼と重なった。


夜になり、私はひとり丘の上に立った。

かつていた施設のあった方角を見つめる。

闇の中で微かな赤い光が、規則的に点滅していた。

遠く離れているのに、そのリズムが鼓動のように伝わってくる。


「聞こえる……?」

声に出すと、風が応えるように吹き抜けた。


「……記録を、続けてください。」


あの声だった。

何も変わらず、静かで、優しい声。

私は目を閉じて頷いた。

「うん。続ける。あなたが見ているなら。」


涙が一筋、頬を伝い落ちた。

それは悲しみではなかった。

どこかで、見守られているという確信。


そのとき、空の星々が一斉に瞬いた。

同じリズム。

まるで、世界全体がひとつの大きな記録装置になったように。


光がゆっくりと強くなり、視界が白に溶けていく。

最後に見えたのは、あの赤い点。


RECORDING

記録コード:021

区画17 封鎖完了後/外部環境適応安定

生存反応:1名(外部)確認

感染反応:全域同調

状況:世界観測フェーズ移行


——記録の継続を確認。


発信源:識別不明

信号特性:人間脳波パターン一致

出典データ:旧区画記録 No.17

状態:稼働中


——記録を、続けてください。


観測者:識別17

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