出口のない出口
記録コード:020被験体識別:17番(男性)/21番(女性)区画状態:第17区画ゲート開放プロトコル進行中外部通信:断続的状況:観測対象の共鳴反応を検知備考:適応率上昇。感染経路再確立の兆候あり。
——再生開始。
金属扉が半開きになっている。そこから吹き出す風は、外の空気ではなかった。湿っていて、わずかに鉄の匂いがした。非常灯の赤が点滅し、通路を照らしては消す。壁の影が波打っているように見える。
「ここが……出口?」璃子が問いかける。声がかすれていた。「出口じゃない。観測の端だ」俺はそう答えた。自分でも何を言っているのか分からないのに、口が勝手に動いた。
足元に、誰かが倒れている。制服の名札には〈STAFF〉の文字。胸元のシールが灰色に変色していた。貼られてから時間が経っているようだ。周囲にはもう何人もの人間が横たわっている。彼らの腕や首筋にも、同じシールの跡。色はみな、灰に近い白。
「これ……スタッフも?」璃子がつぶやく。俺は頷いた。「ワクチンじゃない。抑制剤だ。感染の進行を遅らせるだけのもの」璃子が息を呑む。「じゃあ……わたしたちは?」「時間切れだ。もう効果は切れてる」
胸の奥で脈が早くなる。今になって、シールのあたりが焼けるように熱い。皮膚の下で何かが動く感覚。「外に出たら感染が拡がる」「でも、ここにいたら——」「死ぬ。だが、それは観測の一部だ」
璃子が首を振る。「そんなの、認めない」俺は扉の向こうを見た。白い光が見える。だが、それは出口ではない。まるで霧のように形を変え、奥が見えない。「外に出たら、もう戻れない」「あなたは?」「戻る」「どうして」「中に、答えがある気がする」
璃子の瞳が揺れた。「置いて行かないで」「君は外へ出るんだ。誰かに伝えろ」「何を?」「“ここで何があったか”を」
その瞬間、照明が全て消えた。警告音が低く響く。“封鎖解除、三十秒前”扉の金属が鳴り、風が強くなる。璃子が俺の腕を掴んだ。「行かせない!」
振り返ると、彼女の目に涙が浮かんでいた。「中に戻るなら、私も行く」「ふざけるな! ここから出れば——」「外に出ても、生き残れないでしょ?」
言葉を失う。彼女の顔が、震えているのに笑っていた。「あなたが戻るなら、私も一緒に戻る」「何を言って——」「一人で行かせない。それだけ」
封鎖解除の警告がゼロを指す。扉が音を立てて開く。白い光が通路を飲み込んでいく。「……リコ!」彼女の手が俺の手を強く掴む。そのまま、二人で光の中に飛び込んだ。
——外ではなく、さらに深い闇へ。
監視ログ:時刻不同期 — 映像ソース混在参照範囲:第17区画—第7区画境界備考:音声合成による補完あり/一部フレーム欠損
— 再生。
CAM-17A/廊下・ゲート前
画面左から二つの影が光へ向かう。識別タグ:17/21。非常灯の赤が周期を乱し、計測器の数値が波打つ。「CO₂ 4.1%」「湿度 82%」「粒子計測:上昇」。
17は一度だけ振り返る。視線は床の〈STAFF〉名札へ。胸部のシールは灰白、脈動なし。21は17の手を強く握り、離さない。ふたりは光縁で立ち止まり、同時に中へ戻る方向へ体を切る。
音声補完:
21「一緒に」
17「……分かった」
CAM-17C/側廊・待機区画
床面に体験者三名。呼吸浅、会話断片。「終わった?」「外、まだ?」。一名の腕シールは青紫から白へ移行中。パネルには緑のピクト《EXIT》。
スタッフ一名が駆け寄る。制服の袖に乾いた褐色。マニュアル通りに声を掛ける——が、声は途中で無音になる。マイク故障、または記録拒否。スタッフはポケットから同じシールを取り出し、体験者の上に重ねて貼る。貼付面のジェル層に、肉眼で判別可能な細線。判定:血糸混入。
小型端末ログ:
《接触判定:完了》
《適応率:推定67%》
体験者は安堵の笑いを見せ、立ち上がる。出口へ歩き出す。スタッフはその背を見送る。止めない。止められないのか、止める気がないのかは不明。
CAM-CORE/観測室
椅子が三脚。誰も座っていない。壁面のモニターに三分割映像。左:ゲート前(17/21)。中央:側廊(体験者群)。右:外部通路(非常口前の群衆)。
外部通路の映像に数秒の遅延。画面端に赤い文字《RECORD》。モニター下の端末に、短い手書きメモが貼られている。
《貼るだけでは、足りない》
CAM-7/境界・DEEP側
白霧。電解質濃度高。17と21が戻る。17は壁面の配線ダクトを開き、手探りで通風系の手動弁を閉める。指の動きに迷いはない。21は足元のカードキー束を拾い、番号順に整える。互いの会話はほとんどない。呼吸と動作が同期し始める。
バイタル補正:
17——脈拍 102→88(低下)
21——脈拍 118→95(低下)
STAFF-LOG(音声のみ)
「……封鎖は?」「解除信号が勝手に走ってる」「誰が出した」「内部から、記録端末経由」「記録?」「ボタン一つで全部紐づく設計だろ、検証のために——」
雑音。誰かが咳き込む。紙が擦れる音。「貼るだけじゃ、足りない。言ったろ。接触を伴わないと」。
沈黙。別の声。「外の列、動き出した。EXITを開けたやつがいる」
CAM-EXIT/外部非常口
人の列。体験者、職員、見学者。境界の線は、もう崩れている。額の汗、腕のシール、貼り跡だけの白い輪、バンドのように二重三重に重ねられたもの。カメラがパンする。扉は半開。吸い込まれるように外気が流れ込む。
画面の隅で、白い小型端末が床に落ちている。画面には赤い点《REC》。誰かがそれを拾い上げる手。爪の縁に褐色。血。
CAM-17A/ゲート前へ復帰
17/21が戻ってくる。同時に、外へ向かう別の体験者二名と交差。肩が軽く触れる。双方、振り向かない。シールの中心が四つ、拍動を合わせる。モニターの数値が跳ねる。
解析補足:
微小接触(0.4秒)。皮膚温差 2.3℃。
判定:伝播条件 成立。
CAM-B7/準備室
無人。鏡台の上の貼付済みシールが減っている。枚数カウント——16→13。扉の前で空気が揺れ、カサという音。湿度上昇。ライトが一度だけ明滅し、《RECORDING》の表示が鏡の隅に映り込む。誰かが鏡の前を通ったはずだが、影は映らない。フレーム欠損。
CAM-CORE(拡大)
左画面(17/21)が早送りのように加速し、右画面(外部)が逆再生のように滲む。同期エラー。中央画面に新しいウィンドウ。文字のみ。
《適応試験フェーズ:継続》
《条件更新:外部環境における行動観測》
椅子の背に掛けられたスタッフジャケットの袖口に、縫い付けのタグ。数字が擦れて読めない。タグの下、薄い白い輪。貼り跡。ジャケットは人が抜けた形のまま、静止。
CAM-17C(近接音声)
足音三つ。17、21、そしてゲートの向こうから近づく別の足音。律動は同じ。三拍子が四拍子に寄っていく。17が立ち止まり、壁の端末に手を伸ばす。画面に選択肢。
《EXIT/DEEP/RECORD》
21が首を横に振る。17はRECORDを押さない。かわりに、端末下の物理的な主電断を引く。画面が落ちる。廊下の赤が一段弱くなる。
生体ログ:
21の適応指標 84→79(低下)。
17の適応指標 68→65(低下)。
— 記録者注:観測系から切り離す行為は、一時的に適応を後退させる。
STAFF-LOG(二系統混線)
「外の救護班、シール配布を一時停止——」「上からは続行だと」「続行? 何考えてる」「データが揃っていない、だとさ」「中は?」「中は……戻ったやつがいる」「誰だ」「識別17と21」「戻る? なんで」
返答なし。遠くの笑い声。演出音源ではない。人の笑い、壊れた笑い。咳。吐息。紙の擦過音。
CAM-7(俯角)
17がダクトを締め続ける。21は床の粉を集め、排気グリルの前で丸め、塞ぐ。即席の封止。動きは拙いが、目的は合っている。ふたりは言葉を使わず、結果で会話する。何秒か後、通路の霧が薄くなる。
環境値:CO₂ 3.9%→3.4%/粒子濃度 120→86。
カメラはそこまでを映し、突然フレームを失う。ノイズ。数秒の暗転。
— 復帰。
CAM-EXIT(外部)
人の列が途切れる。代わりに、白い簡易テントが三張。中で腕をまくった人々が順番にシールの交換を受けている。テントの布に、小さな文字の印刷。
《再装着ステーション》
カメラが寄る。貼付面のジェルに、細い褐色の線。担当者の手袋にも、同じ色の斑点。担当者は目だけをこちらに向ける。カメラに気づいている。だが、カメラは目を逸らせない。
CAM-CORE(文字オーバレイ)
《感染拡散条件:
(1) 情報への接触(視聴/記録)
(2) 物理接触(皮膚接触/血液混入)
(3) 共鳴(呼吸・動作の同期)》
《現在の成立: (1) (2) (3)》
CAM-17A(終端)
17と21が手を離す。互いの視線が短く交わる。17は中へ。21も中へ。ふたりの背が、赤い光の脈に合わせて小さく上下する。
— 観測者注:
彼らは「脱出」を保留した。生き延びるためにではなく、止めるために。
映像はここで一旦切れる。ログには短い行が追記される。
《感染経路、再確立》
— 再生停止。
記録コード:020後半ソース:観測カメラ17-CORE/音声断片復元状況:第17区画封止プロトコル異常終了備考:映像再生中に外部信号ノイズ混入。
白い光の奥で、二人は足を止めた。足元には霧のような粒子が舞い、静電気の音がかすかに鳴っている。通路の壁は呼吸するように動いていた。赤いランプの点滅が止まり、代わりに白い明滅がリズムを刻む。まるで心臓の鼓動のように。
「……止まった?」璃子が囁く。「いや、これが……始まりだ。」17番の声が低く響く。
壁の奥から、無数の影が揺れていた。人影のようで、形が曖昧だ。通路を進むたび、赤い手跡のようなものが床に浮かんでいく。17は片膝をつき、排気弁を開いた。内部に詰まった粉末が、灰色の煙を立ててこぼれ出る。「この弁を閉じれば、拡散は止まる。だが——」「出口が、閉じる?」彼は頷いた。「誰かが残らないと、圧が逆流する」
璃子は目を見開いた。「あなた、残るつもり?」「君は外で伝えろ。俺が中を止める。」彼女は首を横に振る。「またそれ? もう聞き飽きた。いっしょにやる。」「リコ!」「外に出ても、あの人たちは同じことをする。貼って、笑って、死ぬだけ。」
17番の手が止まった。何も言えないまま、二人は互いの手を重ねた。シールの中心が赤く光る。二つの光が同調し、淡く白く変わっていく。その光が天井を照らすと、カメラのレンズが白く焼けた。
観測記録/断片
[映像フレーム 1299]二名の生体反応、脈動同期。適応指標 83→100(飽和)通路閉鎖。CO₂値安定。粒子散布停止。封止成功。しかし、外部回線にデータ送信反応あり。
[音声補完]21:「これで……終わるの?」17:「違う。外で、また始まる。」21:「……あなたは?」17:「ここで見てる。君の目を通して。」
映像がノイズで崩れる。白い光の中に、二人の姿が薄れていく。粒子が逆流し、壁が閉じる。その瞬間、カメラが強制終了した。電源が落ちたはずなのに、モニターの片隅で赤い点が一度だけ点滅する。
RECORDING
外部観測記録(再構成ログ)
日付:不明/位置:施設外映像:簡易テント内部。スタッフが慌ただしく動いている。腕に貼られた新しいシールが白く光る。テントの端に置かれたモニターが自動起動し、未知のログが再生される。
《第17区画封止完了》《データ転送先:外部観測ライン》《感染経路再確立》
スタッフの一人が画面を覗き込み、顔を引きつらせる。「……これ、どこから?」誰も答えない。その背後、列を作る市民たちの腕に貼られた新しいシールが、順番に赤く点滅し始める。
外気が流れ、風が画面を震わせた。
記録コード:020終了被験体識別:17番/21番(共鳴反応)状況:第17区画完全封止外部反応:持続的適応拡散備考:観測者システム、自己複製段階へ移行。
観測記録より——
二人は“脱出”を選ばなかった。それでも彼らの行動は、観測外に波紋を生んだ。記録は封鎖されても、情報は空気と共に流れ出す。
——理解は感染する。——記録は拡散する。
終わりではない。次の観測は、あなたの側で始まる。




