図書館の本に挟まっていた手紙
図書館は、静かだ。
ページをめくる音。キーボードを叩く音。 それだけが、時折聞こえる。
僕は、古い小説を借りた。 村上春樹の『ノルウェイの森』。 何度も読んだ本だけど、また読みたくなった。
失われた恋の物語。 取り戻せない時間の物語。 今の僕に、ぴったりだ。
家に帰って、本を開いた。 そしたら、何かが落ちた。
手紙だった。
誰かが、しおり代わりに挟んだのかな。 返さないと。
でも、封筒には宛名がない。 差出人もない。
開けてもいいのかな。 でも、気になる。
開けてしまった。
愛していた人へ この手紙を、あなたが読むことはないでしょう。 だって、もう別れたから。 でも、書かずにはいられなかった。
これ、別れの手紙なんだ。
あなたと出会ったのは、この図書館でした。 同じ本を探していて、手が触れて。 あなたは笑って「どうぞ」って譲ってくれた。 その笑顔に、恋をしました。
この図書館で、出会ったんだ。 この本が、二人を繋いだんだ。
それから、毎週末、ここで会うようになりましたね。 お互いが読んだ本の話をして。 コーヒーを飲みながら、何時間も話して。 あの時間が、私の宝物でした。
あなたは、優しかった。 私の話をちゃんと聞いてくれた。 私の好きな本を覚えていてくれた。 私のことを、大切にしてくれた。
だから、別れが辛いんです。
なぜ、別れたんだろう。
でも、仕方ないんですよね。 あなたは、遠くの街へ行く。 新しい仕事、新しい生活。 私は、ここに残る。
「一緒に来てほしい」って、言ってくれましたね。 でも、私には言えなかった。 「うん」って、言えなかった。
私の家族のこと。 病気の母のこと。 ここを離れられない理由。 全部、あなたに話したかったけど、言えなかった。
「ごめん、行けない」 それだけしか、言えなかった。
あなたは、わかってくれようとした。 「理由を聞かせて」って。 でも、私は首を振った。
言ったら、あなたは残ってくれるから。 夢を諦めて、私のために残ってくれるから。 そんなの、嫌だった。
ああ、そういうことか。
だから、別れました。 あなたの未来のために。 私が、足枷になりたくなかったから。
今頃、新しい街で頑張ってますか? 新しい出会いは、ありましたか? 幸せに、していますか?
私は、まだここにいます。 あなたと出会った、この図書館に。 時々来て、あの日々を思い出しています。
この手紙は、『ノルウェイの森』に挟んでおきます。 あなたが最初に私に譲ってくれた、あの本に。 もう一度この本を読んで、あなたを思い出そうと思います。
いつか、この手紙を誰かが見つけるかもしれません。 その人は、不思議に思うでしょう。 「なぜ別れたんだろう」って。
でもね、愛してるからこそ、別れることもあるんです。 相手の幸せを願うからこそ、手を離すこともあるんです。
ありがとう。 愛してくれて。 大切にしてくれて。 幸せな時間を、くれて。
どうか、幸せに。 私の分まで、人生を楽しんでください。
いつまでも愛している人より
手紙を持つ手が、震えた。
切ない。 こんなに切ない別れがあるんだ。
僕も、最近別れたばかりだった。 彼女は、突然「別れよう」って言った。 理由を聞いても、何も教えてくれなかった。
何がいけなかったんだろう。 何が足りなかったんだろう。 ずっと、考えてた。
でも、この手紙を読んで、思った。
もしかしたら、彼女も。 言えない理由があったのかもしれない。 俺のために、別れを選んだのかもしれない。
図書館に戻った。 司書さんに、手紙を見せた。 「これ、本に挟まっていたんですけど」
司書さんは、手紙を見て、少し考えた。 「ああ、これは…」
「もう五年くらい前でしょうか」 「よく来ていたカップルがいたんです」 「いつも一緒に本を読んでいて」
「ある日、女性の方が一人で来て」 「この本を借りていきました」 「それっきり、返却されなくて」
「つい最近、郵送で返ってきたんです」 「住所は、遠くの街からでした」
遠くの街?
「差出人の名前、わかりますか?」 僕は聞いた。
司書さんは首を振った。 「個人情報なので、お教えできませんが…」
「ただ、返却カードに、メッセージが書いてありました」
司書さんは、カードを見せてくれた。
「お返しするのが遅くなりました。大切に読ませていただきました。ありがとうございました。」
これを返したのは、あの人なのか。 それとも、手紙を書いた人なのか。
家に帰って、また手紙を読んだ。 何度も、何度も。
この人たちは、今どうしてるんだろう。 別れたまま? それとも、また会えたのかな。
次の週末、図書館に行った。 もしかしたら、誰かが来るかもしれない。
でも、誰も来なかった。
その代わり、僕は決めた。 もう一度、彼女に会いに行こう。
理由を聞きたい。 本当の気持ちを聞きたい。 諦めたくない。
彼女のアパートに行った。 インターホンを押した。
「…誰?」 彼女の声。
「俺だよ。話がしたい」
しばらく沈黙があって、ドアが開いた。
彼女は、やつれていた。
「何の用?」 「話がしたい。なぜ別れたのか、ちゃんと教えてほしい」
彼女は、俯いた。
「…実家に、帰らないといけなくなったの」 「父が倒れて。誰かが面倒を見ないと」
「だから? 俺も一緒に行くよ」
「そんな、無理だよ」 「君には、ここでの仕事があるし、夢があるし」 「私のために、全部捨てさせたくない」
ああ、同じだ。 あの手紙と、同じだ。
「バカだな」 僕は笑った。
「俺の一番の夢は、君と一緒にいることだよ」 「仕事なんて、どこでもできる」 「君がいない場所に、意味なんてない」
彼女の目から、涙が溢れた。
「本当に、いいの?」 「後悔しない?」
「するわけないだろ」
僕たちは、抱き合った。
ありがとう。 あの手紙を書いた人。 あなたの後悔が、俺を動かしてくれた。
図書館に、もう一度行った。 『ノルウェイの森』を借りた。
そして、手紙を書いた。
手紙を書いた方へ あなたの手紙を読みました。偶然、図書館の本の中で。
あなたの想いに、救われました。 愛してるから別れる、という選択。 それがどれほど辛いか、わかりました。
でも、僕は違う選択をします。 愛してるから、一緒にいる。 あなたの後悔を、繰り返さないために。
ありがとうございました。
手紙を、本に挟んだ。 そして、図書館に返却した。
いつか、誰かが読むだろう。 そして、また誰かを動かすだろう。
手紙は、時を超えて人を繋ぐ。 後悔は、誰かの勇気になる。 別れは、新しい出会いを生む。
図書館の本に挟まっていた、一通の手紙。 それは、儚い恋の記録であり。 同時に、新しい恋の始まりでもあった。




