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手紙からはじまる物語 ― 見えない糸でつながる心たち ―  作者: 草花みおん
言葉の残る場所

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ベランダの手紙

一人暮らしは、静かだ。


誰とも話さない日がある。 仕事から帰って、簡単な夕食を作って、テレビをつけて。 でも、誰の声も聞こえない。


寂しいとは、思わないようにしてる。 一人が楽なんだ、って自分に言い聞かせてる。 でも、本当は。


このアパートに引っ越してきて、半年。 隣の部屋の人とは、一度も会ったことがない。 たまに、壁越しに生活音が聞こえる。 それだけ。


どんな人なんだろう。 でも、知らない。興味もない。 …本当は、ある。


ある日の夜、ベランダに洗濯物を干していた時。 風が強くて、隣のベランダから何かが飛んできた。 白い紙。


拾い上げると、それは手紙だった。 便箋に、丁寧な字で何かが書いてある。


読んでしまった。


隣の部屋の方へ いつもありがとうございます。


あなたのことを、知っています。 毎朝、出勤する時、共用廊下のゴミを拾っていますね。 夜遅く帰ってくる時も、階段の電気が切れていたら管理人さんに連絡してくれますね。


ある日、私が荷物で困っていた時。 あなたは気づいて、ドアを開けてくれました。 「大丈夫ですか?」って、優しく声をかけてくれて。


私、人と話すのが苦手で。 「あ、ありがとう」って小さく言うのが精一杯でした。 でも、あなたは笑って「どういたしまして」って。


ああ、覚えてる。 あの時の人か。 荷物いっぱい持ってた。


実は、私も一人暮らしです。 友達もいません。家族とも疎遠です。 毎日が、孤独で。 生きている意味がわからなくて。


でも、あなたの優しさを見るたびに。 ああ、世界にはまだ優しい人がいるんだって。 そう思えたんです。


ありがとう。 あなたの存在が、私を救ってくれています。


隣の住人より


俺も、寂しかった。 誰かと繋がりたかった。


ペンを取って、返事を書いた。


隣の住人さんへ 手紙、ありがとうございます。 実は、僕も一人で寂しかったんです。 あなたの手紙を読んで、少し救われました。 よかったら、これからも手紙でお話ししませんか?


手紙をベランダに置いた。 風が吹くのを待った。


次の日の朝。 ベランダに出ると、返事があった。


はい。ぜひ、お願いします。 風の郵便、素敵ですね。


それから、僕たちは毎日手紙を交わすようになった。


今日はどんな一日だった? 今日、職場で嬉しいことがあったんです。 昨日の夜、綺麗な月が見えましたね。 はい、ベランダから見ました。同じ月を見ていたんですね。


少しずつ、心が温かくなっていった。


誰かと繋がってる。 誰かが、僕のことを気にかけてくれてる。 それだけで、毎日が変わった。


一ヶ月が過ぎた。 手紙の数は、五十通を超えた。 会ったことはないのに、一番の理解者になっていた。


そんなある日。


実は、伝えたいことがあります。 明日の朝七時、玄関で待っています。 顔を見て、お話ししたいんです。


やっと会えるんだ。 嬉しい。緊張する。


次の日の朝、七時。 玄関のドアを開けた。 隣のドアも、開いた。


でも、誰も出てこなかった。


あれ?


代わりに、ドアノブに手紙が下がっていた。


急いで開けた。


ごめんなさい。 嘘をついていました。


え?


私は、隣の住人ではありません。 この部屋は、三ヶ月前に亡くなった母の部屋です。


何を、言ってるんだ。


母は一人暮らしでした。 私は遠くに住んでいて、ほとんど会いに来ませんでした。 仕事が忙しくて、電話もあまりしませんでした。


母が亡くなって、部屋を片付けに来た時。 日記を見つけたんです。


そこには、あなたのことが書いてありました。


「隣の方は優しい人だ」 「今日も廊下を綺麗にしてくれていた」 「ドアを開けてくれて助かった」 「お礼を言いたいけど、人と話すのが苦手で言えない」


最後のページに、こう書いてありました。


「ありがとうって、伝えたい」 「でも、もう時間がないかもしれない」


母は、心臓が弱かったんです。 でも、私に心配かけたくないって、言わなかった。


泣きながら、読み続けた。


母の代わりに、お礼が言いたくて。 あなたに手紙を書きました。


でも、書いているうちに。 私も、救われていたんです。


母と、こんなに話したことなかった。 手紙を通じて、母の気持ちを想像しながら。 初めて、母のことがわかった気がしました。


あなたとの手紙のやり取りは。 母との、会話だったんです。 もう遅いけど、母と繋がれた気がしました。


だから、ありがとう。 あなたが母に優しくしてくれたこと。 そして、私にも優しくしてくれたこと。


今日、部屋の片付けが終わります。 鍵も返します。 もう、ここには来ません。


でも、忘れません。 風が運んでくれた、温かい時間を。


母の娘より


手紙を持ったまま、その場に座り込んだ。


会えない。 もう、会えない。 隣の部屋は、もう空っぽなんだ。


隣のドアを、ノックした。 誰も答えない。 当たり前だ。


ごめんなさい。 もっと、気にかけてあげればよかった。 直接、お礼を言いたかった。


ベランダに出た。 風が吹いていた。


この風が、手紙を運んでくれた。 この風が、二つの心を繋いでくれた。 でも、もう。


最後の手紙を書いた。


隣の部屋の方へ。 いえ、天国のあなたへ。


僕も、ありがとうって伝えたかった。 あなたの娘さんとの手紙が、僕を救ってくれました。 孤独だった毎日に、光をくれました。


会えなくて、残念です。 でも、あなたの優しさは、ちゃんと伝わっていました。 娘さんを通じて、僕に届きました。


これからは、僕が。 あなたがしてくれたように、誰かに優しくします。 それが、あなたへの恩返しだと思うから。


安らかに。 そして、ありがとう。


手紙を、風に託した。


届かないけど、いいんだ。 想いは、形を変えて、ずっと生き続ける。 風が、記憶が、優しさが。 時を超えて、人を繋いでいく。


隣の部屋は、空っぽになった。 でも、僕の心には、温かい思い出が残った。


ベランダの風は、今日も吹いている。 見えない手紙を、運びながら。



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