第2話 あの日の少年へ
病室の明かりは、静けさの中でいちばん正直な光です。
人が生きることと、別れを受け入れること。
その両方を抱えながら立つ人たちを、私はそっと見ていました。
この物語は、そんな夜の中にあった“ぬくもり”の記録です。
ある日、教育委員会から「不登校支援の現場を見に来ませんか」と声をかけられた。
私は議員としてではなく、一人の母親としてその現場に足を運んだ。
市の小さなフリースペース。
玄関を入ると、カーペットの上に散らかったカードゲームと、
その脇に置かれた湯気の立つマグカップ。
誰かの生活の匂いがした。
スタッフが小声で言った。
「今日、来ている子は一人だけなんです。よかったら、少し話してみますか?」
奥の部屋には、窓際でスケッチブックを広げる少年がいた。
黒いパーカーのフードをかぶっていて、顔はよく見えない。
私は少し距離を置いて、彼の描く線を眺めた。
真っ白なページに、鉛筆で描かれていたのは、
小さな街と、そこを見下ろす巨大な鳥の影だった。
「上手ね」と言うと、
少年は顔を上げないまま、
「絵の中なら、空を飛べるから」と呟いた。
その言葉が、胸の奥に刺さった。
彼の名前は、ハル。
中学二年生。
去年の秋から学校に行っていないという。
理由を尋ねても、彼は首を振った。
「理由がないことが、いちばんつらいんだ」と言った。
私は何も言えなかった。
ただその隣に座り、
彼の描く線がどこへ向かうのかを見ていた。
――線は、途中で消えた。
「うまく飛べない」と彼が言った。
「途中で翼が折れるんです」
私はその言葉を、
“絵の話”としてではなく、
“人生の告白”として聞いていた。
「誰かに描き直してもらえたらいいのに」
彼が小さく笑って言った。
その笑いは、悲しみを隠すためのものだった。
その日、帰り道で私は思った。
学校という場所は、本来「育つための場所」なのに、
いつから「合わない人が排除される場所」になったのだろう。
教育は、知識を教えるだけではなく、
“居場所を見つけること”でもある。
けれど、ハルのような子がその場所からこぼれ落ちると、
社会はすぐに言う。
「不登校」「問題」「支援対象」。
私は、その言葉が嫌いだった。
それは彼らの“今”を、名前のない箱に押し込めてしまうから。
数日後、私は再びフリースペースを訪れた。
彼は同じ場所にいたが、前より少し柔らかい表情をしていた。
スタッフの話では、
「前より話すようになった」とのことだった。
私は紙袋からクッキーを取り出して言った。
「今日は差し入れを持ってきたの」
彼は小さく笑って、「僕、甘いもの苦手なんです」と言った。
でも、目はほんの少しだけ優しくなった。
「じゃあ、誰かにあげて」と私が返すと、
彼は黙って一枚だけ受け取った。
その瞬間、
“支援”ではなく、“関係”が生まれた気がした。
帰り道、私は空を見上げた。
冬の終わりの空は灰色で、鳥の姿は見えなかった。
けれど、あの少年の描いた巨大な鳥が、
私の胸の奥でははっきりと羽ばたいていた。
――彼は、飛ぼうとしている。
たとえ誰も気づかなくても。
私はその夜、机に向かって短いメモを残した。
「教育とは、登校率では測れない。
人が自分を嫌いにならない環境を作ることだ。」
それを書いて、そっとペンを置いた。
あの少年のように、誰かが明日を描きたくなるような社会。
そのために私ができることは、
制度を作ることよりも、
“話を聴く時間をつくること”かもしれない。
次の日、彼の描いたスケッチのコピーが一枚、私の机に届いた。
差出人の名前はなかった。
そこには、前よりも高く飛ぶ鳥が描かれていた。
その翼の下に、
小さく“ありがとう”と書かれていた。
その後も、私は何度かフリースペースを訪れた。
ハルはいつも窓際に座ってスケッチブックを広げていた。
けれど、あの日よりもずっと落ち着いた表情で、
描く線も、柔らかくなっていた。
「最近、夜は眠れる?」と聞くと、
「うん、まあ。たまに夢の中で学校のチャイムが鳴るけど」と笑った。
その笑い方が、前よりも自然で、少しだけ希望の匂いがした。
私は彼のノートの端に書かれた文字を見つけた。
『空の下にも道がある』と鉛筆で走り書きしてあった。
それを見て、思わず胸が熱くなった。
「誰かに言われたの?」
「自分で思いついたんです。飛べない日も、歩けるかなって」
――この子は、自分の言葉で立ち上がろうとしている。
そう感じた瞬間、私はふと、自分が彼に何をしてきたのかを考えた。
私は“支援する人”として彼に接していたけれど、
本当に彼を“理解する人”になれていたのだろうか。
市の教育委員会では、最近「メンタルフレンド制度」という新しい仕組みを検討していた。
不登校の子どもたちに、年齢の近い“心の伴走者”をつける制度だ。
カウンセラーでも教師でもない、
“ただ話を聴いてくれる存在”。
私はその制度の導入を強く推した。
でも、会議ではこう言われた。
「効果の測定が難しい」「責任の所在が不明確だ」
言葉のすべてが“数字”と“管理”の壁に吸い込まれていった。
私は黙ってメモ帳にこう書いた。
「共感には、報告書のフォーマットがない。」
夜、帰宅してから机に向かい、
あの日ハルが描いた鳥のスケッチを見つめた。
机の明かりに照らされたその翼の線は、
どこか不完全で、それでも力強かった。
私はその線を指でなぞりながら思った。
人を支える仕事の難しさは、
“助けたい”という気持ちと“制度の限界”のあいだに立つことだ。
看護師時代、私は患者の痛みに寄り添うことができた。
でも今は、社会全体の“痛み”と向き合わなければならない。
その痛みは、触れられないほど大きい。
ある日、フリースペースのスタッフから電話があった。
「ハルくんが最近、外に出るようになったんです」
声の調子が少し弾んでいた。
「公園で写真を撮ったりしてて、なんか嬉しそうでした」
私は思わず笑って、「そう…よかったですね」と答えた。
電話を切ったあと、
机の上に広げた資料の文字がぼやけて見えた。
涙というより、安堵だった。
でも同時に、心の奥に小さな違和感が残った。
――“彼は回復した”と、簡単に言っていいのだろうか。
不登校の“解決”とは、学校に戻ることだけなのか?
もしも彼が学校以外の場所で生きられるなら、
それもまた、一つの“生き方”ではないか。
私は改めて議会でこう発言した。
「支援とは、元の場所へ戻すことではありません。
その人が“安心して生きられる場所”を一緒に見つけることです。」
議場の空気が一瞬、静かになった。
誰も反論しなかった。
けれど、その静けさの中には“理解の難しさ”も含まれていた。
社会はまだ、“居場所を選ぶ自由”を受け入れきれていない。
数日後、私はまたハルに会いに行った。
彼は机に写真を並べていた。
空、道、夕暮れ、そして小さな橋。
「最近、外の光を撮るのが好きで」と彼は言った。
どの写真にも、人の姿はなかった。
でも、どれも確かに“誰かが生きている空気”を写していた。
「いい写真ね」と言うと、
「これ、先生に見せたら、“やっと外に出たか”って笑われました」と言った。
その“やっと”という言葉に、私は胸が痛んだ。
彼の世界では、“外に出る”ことが目標だった。
けれど本当は、彼はずっと“外の世界”を見ていたのだ。
窓の外を。
心の外を。
誰よりも真剣に。
「先生も悪気はないんですけどね」
彼は肩をすくめて笑った。
その笑顔が、少しだけ大人びて見えた。
帰り際、私はふと尋ねた。
「ハルくん、これからどうしたい?」
彼は少し考えてから、
「うーん、誰かの話を聞く仕事がしたい」と言った。
「自分がしてもらったみたいに」
私は頷きながら、
その言葉の奥にある“循環”を感じた。
支えられた人が、次に誰かを支えようとする。
それこそが、社会をつくる本当の力だ。
その夜、私は日記にこう書いた。
「人は、理解された瞬間に、生き直すことができる。」
「共感は、再生のはじまり。」
議員としての活動は、まだ小さな波紋に過ぎない。
でも、その波紋の一つ一つが、
いつか大きな循環になることを信じたい。
私はペンを置き、静かに目を閉じた。
窓の外では風の音がしていた。
その音が、まるで少年の描いた鳥の羽ばたきのように聞こえた。
春の光が、窓際の机を柔らかく照らしていた。
私はその部屋の隅で、彼が描いたスケッチを見ていた。
あのときと同じ鳥――けれど今度は、翼の先にもう一羽、小さな鳥が寄り添っている。
「親子?」と尋ねると、ハルは首を横に振った。
「友だちです。どっちも、まだ飛ぶのが下手だから」
その言葉に、思わず笑ってしまった。
彼の声の中に、もう“孤独”ではなく、“他者への想像”が宿っていた。
それは、誰かを支えたいと思い始めた人の声だった。
その数日後、教育フォーラムの企画会議で、私は「子どもの居場所づくり」をテーマに発言した。
議員としてではなく、“現場を見た人間”として。
「学校に行けない子どもたちの多くは、居場所を失っているのではなく、“居場所の定義”を失っているんです」
会議の空気が少し動いた。
「教室に戻ることだけがゴールではありません。
彼らの“心が戻る場所”を用意することが、社会の責任だと思います」
発言を終えると、隣に座っていた年配の議員が小さく頷いた。
「……確かに、私の孫もそうだ。
あいつ、家で音楽ばかり作ってる。
でも、それも“学び”かもしれんな」
その言葉に、私は少し救われた気がした。
会議を終えた帰り道、私はスマートフォンに届いた一通のメッセージを見つけた。
送り主は、ハルの母親だった。
「今日、ハルが制服を出してアイロンをかけていました。
“また学校に行くの?”と聞いたら、
“行けるかどうか分からないけど、行ってみたい”って言いました。」
その文面を見た瞬間、目の奥が熱くなった。
彼が“行く”と決めたのではなく、“行ってみたい”と感じた――
それがどれほど大きな一歩か、私は知っていた。
未来は強制ではなく、意志のかけらから始まる。
数週間後、私はフリースペースを訪れた。
そこには、見慣れない数人の子どもたちが集まっていた。
「最近、ハルくんが誘ってくれるんです」とスタッフが笑った。
「写真の撮り方を教えてくれるって」
部屋の奥でカメラを構える彼は、少し照れくさそうに私に手を振った。
その姿を見て、胸の奥がじんと温かくなった。
「先生、来てくれたんですね」
「先生じゃないわ。あなたの“観客”よ」
そう言うと、彼は照れくさそうにカメラを下ろした。
「この前、議会で話したって聞きました」
「ええ、あなたの話も少しだけね」
「僕の話なんて、たいしたことないですよ」
「たいしたことあるわ。あなたが“生きたい”って思ったこと、それが社会を変える力になるの」
彼はしばらく黙っていたが、やがて小さく言った。
「僕、いつか“話を聴く人”になりたいです」
「いいね。どんな人の話を聴きたい?」
「学校に行けない人。あと、家に帰れない人」
その瞬間、私は確信した。
この少年は、もう“支えられる側”ではない。
彼は、誰かを照らす側に立ち始めている。
帰り際、ハルが小さな封筒を差し出した。
「これ、渡したくて」
中には写真が一枚。
夕暮れの空に、小さな鳥の群れが飛んでいる。
その下に、彼の文字でこう書かれていた。
「空の下にも、道がありました。」
その一文を読んだとき、指先が紙の上で止まった。
ペン先から、言葉が出てこなかった。
“道”とは、支えられてできるものではない。
誰かの言葉や温もりの上に、自分の足で築かれるものだ。
それを、この少年は自分で見つけたのだ。
帰宅してから、机に写真を立てかけ、
私は一通の手紙を書いた。
「あの日の君へ。
あの窓際で絵を描いていた君を、私は忘れません。
君の描いた鳥は、もう一人で飛べる。
そして、いつか君自身が、誰かの翼になる日が来るでしょう。
どうかその優しさを、手放さないでください。」
書き終えた紙の上に、涙が落ちた。
けれどそれは、哀しみの涙ではなかった。
カーテンの隙間から朝日が差し込んだ。
光の粒が、写真の中の鳥をゆっくり照らしていた。
翌朝、通勤途中の空を見上げた。
灰色だった雲の隙間に、白い鳥が一羽、ゆっくりと旋回していた。
その姿を見て、私は小さく呟いた。
「行ってらっしゃい、ハル。」
泣くことは、弱さじゃない。
涙の温度を知っている人だけが、誰かの痛みに気づける。
堀口珠代という人の夜には、たくさんの涙と、たくさんの灯がありました。
その光のひとつを、あなたの胸にも置いていけたらと思います。




