金曜日の観察者
(差出人:上原真理亜/宛先:なし——観察記録)
観察は、音から始める。絵よりも、写真よりも、音は正直だ。うちのベランダは校舎の屋上と少しだけ高さが違って、ちょうど金網の上端と同じくらいの目線になる。お母さんは「洗濯物を外に出しっぱなしにするのは品がない」と言うから、わたしはいつも洗濯ばさみだけをいじる。色は白と水色、はさむ力は白のほうが少し強い。毎日同じ時間に風の強さを確かめる。風が強い日は、金網の鳴り方が変わる。
あの夜、風は東から西へ。音は低い。金属は気温で声を変える。冷えると高さが上がり、温まると低くなる。薄い雲の切れ目から、夕陽が斜めに差し込んで、校舎の陰がゆっくりと伸びた。影の端が、ベランダの手すりに触れて、そこから先が夜になった。
足音は二つ。階段の折り返しで一度止まって、数えると一、二、三、四、——ここで呼吸が入って、また五、六。片方は靴底が硬い。もう片方は柔らかい。硬いほうは着地の音が短く、柔らかいほうは少し沈む。たぶん、底のゴムの種類が違う。土の付き方も違うはずだと、あとで思った。
屋上の扉が開くと、まず風の音が変わる。次に金網が鳴る。あの音は、人がフェンスに近づくときだけ、少し高くなる。金網の節が、指の重さでほんの少しだけ変形するからだ。——わたしは観察を続ける。観察は、正しいということではない。ただ、見た順番に並べること。
影は二つ。金網の手前にひとつ、少し離れてもうひとつ。最初の影は、右手をポケットに入れる癖がある。ポケットの布が指に引かれて、右側の腰のところが少しだけ伸びる。時々、ポケットの中で何かを探す。もう一つの影は、胸の前で手を組むようにして、体重を左右にわける立ち方をしている。風が来るたび、肩の線が細かく揺れる。
赤い色が見えた。制服の袖口の内側に、小さな線。風でめくれて、光った。わたしは、あの印を知っている。家庭科の時間に、糸の色で班分けをしたことがあるから。赤、青、緑。赤は目立つのに、縫う位置を内側にすれば、外からは見えない。「迷子にならないように」って、だれかが言っていた。迷子にならないための印は、風にめくられたときだけ、外の世界に現れる。
会話は、風に吸い込まれて、輪郭が崩れた。言葉のほとんどが形を失ったあとに、ひとつだけ残った。「やめてくれ」。誰の声かは、分からない。風は声の高さを平らにするから。わたしは窓ガラスに耳を当てるのをやめ、手すりの冷たさで指先の力を確かめた。観察は、欲張らないほうが精度が上がる。分からないものは、分からないままにしておく。
右手の指先。白いテープ。これは通学路でも見た。信号待ちの横断歩道で、右手だけをポケットに入れて信号が変わるのを待っている人。テープの端に灰色の汚れがついて、先のほうが少しだけ剥がれている。テープは擦れるとほつれ、角が丸くなる。たぶん、その日の前から巻いていた。新しく巻いたテープは、角が尖っているから。
影の距離が縮まった。金網が鳴った。音の高さが上がった。右手をポケットに入れていた人が、手を出した。ポケットの布が引かれて、縫い目が少し歪む。指先が空を掴むみたいに開いて、それから握るように閉じる。もう一方の影は、金網の縁を掴んだ。指の並びは、わたしが想像していたのと違っていた。けれど、想像は観察ではない。わたしは、ここで想像をやめた。
落ちる音は、いつだって思ったより小さい。ドラマの音響は誇張されている。現実の「落ちる」は、空気の抵抗の音と、最後の一瞬の接触音しか残さない。風のほうがずっと大きい。風は、何かが起きたあとの世界を、すぐに元の音に戻そうとする。だから、落ちたあとの静けさは、風のせいでもある。
しゃがみ込む影。もう一方の影は、立ったまま、指先を見ていた。右手だと思う。手の甲に、包帯の白が浮いた。包帯は、風で少しだけ浮き、すぐに落ち着いた。人は、指先に血がにじむと、目をそらすより先に舌で確かめようとする。そうする人もいるし、しない人もいる。この影は、しなかった。代わりに、ポケットを探る仕草をした。
ここまで書いて、わたしは一度、ペンを置いた。観察の記録は、証言ではない。証言には、責任が必要だ。責任は、年齢で測られることがある。わたしは、まだ責任の年齢ではない。けれど、観察は年齢を選ばない。見たものを並べることには、年齢がいらない。だから、わたしは書く。書くことは、並べ直すことだ。
次の日、校門のところに花束が置かれていた。花の茎を切ったばかりの匂いがして、リボンが風で揺れていた。朝の光は冷たくて、花びらに影を落とした。門柱の影が短くなっていくあいだに、白い封筒を見つけた。糊が甘く、少しだけ開いている。中に、青い罫の紙が折り畳まれていた。黒いインクが強く、右下がりに走っている。何度も同じ言葉が繰り返されている。「押してない」。
押してない、という言葉は、押した、という言葉と同じくらい強い。観察は、どちらにも付かない。言葉には、言った人の体温が残る。体温は、紙に残りにくい。だから、残ったのはインクの濃さだけ。濃いインクは、強い気持ちの代わりになる。代わりは、代わりでしかないのに、人はときどき代わりを本物として祀ってしまう。
午後、向かいの窓ガラスに、わたしの顔が反射した。観察者の顔は、いつも少しひどい。目が細く、口が硬く、頬が乾く。観察ばかりしていると、世界のほうが先にわたしを観察している気がする。ベランダの手すりの冷たさを指で測っていると、向かいの部屋でだれかがカーテンを半分だけ閉めた。半分だけのカーテンは、見ていることを否定しない。同意の形をした沈黙、というものがある。
わたしは、誰の味方でもない。そう書くと、すこし嘘になる。小さい嘘。人はだれかの味方でいたい。味方でいたい人がいるという事実を、わたしは隠せない。けれど、観察のノートには、名前を書かない。名前は、言葉を狭くするから。狭くすると、見えるものが増えることもあるけれど、見えなくなるもののほうが多い。だから、名前の代わりに「右手」「赤い糸」「二つの足音」と書く。
夜、ノートの端が少し毛羽立ってきた。書きすぎると紙は疲れる。紙が疲れると、インクが滲んで、文字の輪郭が柔らかくなる。柔らかくなった文字は、読みやすい。読みやすい文字は、疑いにくい。疑いにくさは、危険だ。だから、わたしはわざとインクを替えた。途中から薄い青にして、線の強さを落とした。弱い線は、読む人に考えさせる。
最後に、きょうの記録の結論だけを書いておく。結論は、観察の外にあるものだ。観察は視界の中だけで完結するけれど、結論は視界の外を必要とする。だから、結論は控えめに書く。
落ちたのは、右手でポケットを探っていたほうだった。
これは、いまのわたしの結論。明日には変わるかもしれない。結論は、変わっていい。変わったあとに残る線が、本当の観察になるから。
(差出人:上原真理亜/宛先:なし——観察記録の続き)
翌朝、ノートの端に夜露が滲んでいた。ベランダの手すりに置きっぱなしにしていたのを忘れていたのだ。ページが波打って、文字の線が少しだけ膨らんで見える。水を含んだ紙は、体温に近い。乾くとき、文字が柔らかく沈んでいく。観察の記録が、まるで呼吸しているようだった。
午前七時、校門の前に人が集まっていた。報道の車、記者の声、教師の姿。カメラのシャッター音が風に混ざると、世界が薄く揺れる。シャッターは観察の逆だ。観察は時間を伸ばし、シャッターは時間を切る。切り取られた瞬間は、それ以上の文脈を持たない。だから、ニュースはいつも物足りない。観察は、物足りなさの続きを書く行為だ。
午後、担任の先生が記者に囲まれていた。紙束を持ち、言葉を選びながら話していた。「生徒の心のケアを最優先に」と何度も繰り返していた。繰り返しは、防御だ。繰り返すことで、質問を遠ざける。質問は、風のように隙間を探す。防御は、風を通さないための壁になる。けれど、壁の内側の空気は、次第に薄くなる。薄い空気では、声が小さくなる。わたしはその声を、ベランダから見下ろして聞いていた。
夕方、屋上の方向に目をやる。誰もいない。だけど、影の形は残っている気がした。影は、見たものの中でいちばん長く残る。光が当たるたびに薄くなり、夜が来るとまた濃くなる。影は、記憶のように形を変える。記憶もまた、観察の一部だ。観察者の記憶は、事実よりも正直で、不正確だ。だから、わたしは今日も書く。書くことだけが、揺らぎの中での秩序だから。
夜になって、母に言われた。「あんた、最近よく空を見てるね」と。空を見ることと観察は違う。空を見るのは、何もないものを見ること。観察は、何かがあった場所を見続けること。母はその違いを知らない。知らないままでいい。知らない人がいるから、観察は続けられる。世界のすべてが観察者になったら、風も息も止まってしまうから。
観察をしていると、ときどき視線の重さを感じる。誰かが、こちらを見ている気配。向かいの部屋のカーテンの隙間。金曜日の夜は、照明の角度で、レース越しの光がゆっくりと動く。目の形をした光。光は見るのではなく、照らすものなのに、そこに“見られている”感覚が生まれる。わたしはペンを止めて、その方向に手を伸ばした。触れることはできない。けれど、風が返ってきた。見られているときだけ、風は往復する。
ノートのページが残り少なくなってきた。最後の見開きに、これまでの観察の断片を並べた。
二つの足音。
右手の包帯。
赤い糸。
「やめてくれ」という声。
そして、沈黙。
この五つを並べて気づく。観察は、点でなく線だ。線にした瞬間に、意味が生まれる。意味は、解釈を呼ぶ。解釈は、観察の終わりだ。だから、本当はここで終えるべきではないのかもしれない。けれど、ノートには終わりがある。ページの数は有限だ。有限であることが、観察を美しくする。永遠に観察できる世界は、地獄だと思う。
午後十時、風が止んだ。金網の音がしない夜は、めずらしい。静けさの中で、わたしは初めて、自分の呼吸の音を意識した。観察者は、呼吸を記録しない。呼吸は観察の外にあるから。けれど、この夜は書く。呼吸の音は、まだ生きている証拠だ。風がなくても、息があれば、世界は動く。観察者が息を止めた瞬間、世界は止まる。
——わたしはまだ息をしている。
だから、観察は終わらない。終わらせるには、息を止めなければならない。わたしは、それを選ばない。息をすることは、見ることと同じだ。息を止めることは、目を閉じること。だから、見る限り、観察は続く。
風がまた動き始めた。ページの端が揺れる。最後に、一行だけ書いておく。
観察者は、事件の中にはいない。けれど、事件の外にもいられない。
ノートを閉じる音が、小さく響いた。閉じる音のあとには、静かな余白ができた。明日は土曜日。たぶん、誰かが封を切る日だ。観察は、封を切る手の動きの中にもある。紙が裂ける音を、わたしは窓越しに聞くだろう。聞いたら、また書く。それが、わたしの金曜日の終わり方。




