自転車のかごの手紙
その日も、いつもと変わらない一日だった。
会社からの帰り道。
駅の自転車置き場で、自分の自転車を探す。
あった。
でも、かごに何か入ってる。
白い封筒。
ゴミ入れんなよ。
マジで迷惑なんだけど。
イライラしながら手に取った。
捨てようと思った。
でも。
封筒に、何か書いてある。
「自転車の持ち主さんへ」
え?
これ、僕宛て?
思わず、開けてしまった。
自転車の持ち主さんへ。
突然のお手紙、失礼します。
あなたのことを、知っています。
誰だよ。ストーカー?
でも、続きが気になる。
毎朝、同じ電車に乗っていますね。
いつも7時32分の、3両目。
私も、同じ車両に乗っています。
あなたは気づいていないと思いますが、
私は毎日、あなたを見ています。
やっぱりストーカーじゃん。
怖っ。
でも、変な意味じゃないんです。
ただ、あなたの存在が、私を救ってくれたんです。
救った?
俺が?
3ヶ月前、私は死のうと思っていました。
仕事も、人間関係も、何もかもうまくいかなくて。
生きている意味がわからなくて。
その日の朝も、最後のつもりで電車に乗りました。
そしたら、あなたがいたんです。
俺?
3ヶ月前?覚えてないな。
あなたは、お年寄りに席を譲っていました。
さりげなく、優しく。
おばあさんが何度もお礼を言うのを、照れたように笑って。
「いえいえ、大丈夫ですよ」って。
その光景を見て、なぜか涙が出ました。
そんなこと、あったっけ。
普通のことじゃん。
ああ、世界にはまだ優しさがあるんだって。
小さな親切が、誰かを温かくするんだって。
そう思ったら、少しだけ、生きてみようかなって思えたんです。
それから、毎日あなたを探すようになりました。
変ですよね。知らない人なのに。
でも、あなたの姿を見ると、頑張ろうって思えたんです。
俺が、誰かを救ってた...?
知らなかった。
ある日、あなたが疲れた顔をしていました。
でも、駅で困っている外国人に、一生懸命道を教えていました。
片言の英語で、スマホの地図を見せながら。
ある日、雨の日に、傘を忘れた学生に傘を半分貸していました。
自分はびしょ濡れになりながら。
ある日、落とし物を拾って、駅員さんに届けていました。
誰も見ていないのに。
あなたは、いつも誰かに優しい。
当たり前のように、自然に。
それを見るたびに、私も優しくなりたいって思いました。
そんな、大したことしてないよ。
普通のことだよ。
今日、私は新しい仕事が決まりました。
小さな会社ですが、温かい人たちがいます。
もう一度、頑張ってみようと思います。
だから、お礼が言いたくて。
この手紙を書きました。
ありがとうございます。
あなたの優しさが、私を救ってくれました。
あなたは知らないかもしれないけど、
あなたの存在が、誰かの光になっています。
これからも、そのままでいてください。
あなたの優しさを、大切にしてください。
P.S.
もう、あなたを追いかけるのはやめます。
私も、自分の人生を歩いていきます。
でも、時々電車で会ったら、心の中で「ありがとう」って言いますね。
あなたに救われた人より。
手紙を持つ手が、震えていた。
俺が、誰かを救ってた。
知らないところで、誰かの支えになってた。
何気ない日常の、小さな優しさが。
涙が溢れた。
最近、疲れてた。
仕事がうまくいかなくて。
自分なんて、何の価値もないって思ってた。
でも、違ったんだ。
俺の存在が、誰かの希望になってた。
俺が生きてることが、誰かを救ってた。
手紙を、胸に抱きしめた。
ありがとう。
名前も顔も知らないあなた。
あなたこそ、俺を救ってくれた。
次の日の朝。
いつもの電車に乗った。
7時32分の、3両目。
周りを見渡した。
この中の誰かが、あの手紙を書いたんだ。
会いたいような、会いたくないような。
でも、いいんだ。
お互いに、それぞれの人生を歩いていく。
それでいいんだ。
お年寄りが乗ってきた。
僕は、席を立った。
「どうぞ」
今日も、誰かが見てるかもしれない。
いや、見てなくてもいい。
これが、俺なんだから。
電車が動き出す。
窓の外の景色が流れていく。
生きていこう。
この小さな優しさを、大切にしながら。
知らないどこかで、誰かの光になれるなら。
それだけで、生きている意味があるから。
自転車のかごに入っていた、一通の手紙。
それは、二つの人生を繋いだ。
そして、二つの人生を、前に進ませた。
優しさは、巡る。
見えないところで、誰かを救っている。
だから、今日も。
小さな優しさを、忘れずに。




