海辺のポスト
海は、今日も変わらず波を返している。
彼が死んでから、もう一年が経った。
私はまだ、この海辺の町を離れられない。
二人で歩いた砂浜。二人で見た夕日。二人で笑った日々。
全部が、ここにある。
あなたがいない世界は、こんなにも静かなんだね。
朝起きても、誰も「おはよう」って言ってくれない。
夜眠る前に、誰にも「おやすみ」って言えない。
ただ、波の音だけが聞こえる。
その日、私は海辺を歩いていた。
いつもの散歩道。いつもの時間。
でも、何かが違った。
砂浜に、古い赤いポストが立っていた。
こんなの、昨日まではなかった。
錆びて、傾いて、波に洗われそうなほど海に近い。
誰が、なぜ、こんなところに?
近づいてみると、ポストの横に小さな看板があった。
「天国郵便局」
「大切な人へ、手紙を出せます」
何これ。
冗談? それともアート作品?
でも、なんだか胸が熱くなった。
手紙を書こうと思った。
あなたに。
家に戻って、便箋を取り出して。
何を書けばいいのかわからなくて、ペンを持つ手が震えた。
拝啓
あなたは、今どこにいますか。
会いたいよ。
毎日、毎日、会いたいって思ってる。
朝起きた時も、ご飯を食べる時も、夜眠る時も。
あなたの声が聞きたい。
あなたの笑顔が見たい。
もう一度、手を繋ぎたい。
一緒に見ようと約束していた映画、一人で見ました。
泣きました。
あなたがいないと、何も楽しくないんです。
ごめんね。
弱音ばっかりで。
あなたは「強く生きて」って言ってくれたのに。
私、まだ前に進めない。
敬具
あなたを愛している人より
手紙を封筒に入れて、海辺のポストに投函した。
波の音だけが、返事をした。
届くわけないよね。
でも、少しだけ、心が軽くなった気がする。
次の日の朝。
郵便受けに、一通の手紙が入っていた。
差出人は、空欄。
消印もない。
でも、震える手で封を開けた。
拝啓
君の手紙、届いたよ。
少し遅れてごめんね。天国の郵便は、時々遅配するんだ。
これは、誰かのいたずら?
それとも……
でも、この字。この言い回し。
まさか。
君が泣いてるって聞いて、心が痛んだ。
ごめんね。側にいてあげられなくて。
でもね、君は一人じゃないんだよ。
僕はいつも、君の隣にいる。
朝、コーヒーを淹れる時。
君が少し微笑む、その瞬間に。
夜、星を見上げる時。
君が深呼吸をする、その瞬間に。
僕は、そこにいるんだ。
涙が止まらなかった。
これは夢? 幻?
でも、温かい。すごく、温かい。
約束してほしいことがある。
ちゃんと食べて。ちゃんと寝て。ちゃんと笑って。
君が幸せになることが、僕の幸せなんだ。
前に進んでいいんだよ。
僕のことを忘れなくていいけど、それに縛られないで。
君の人生は、これからも続いていく。
新しい出会いも、新しい笑顔も、たくさん待ってる。
それを恐れないで。
僕は、君がどんな選択をしても、応援してるから。
そんな、できないよ。
あなた以外の人なんて、考えられない。
でも……
P.S.
あの映画、僕も見たよ。隣で一緒に。
君が泣いてたの、わかってた。
ハンカチ、貸してあげたかったな。
敬具
いつまでも君を愛している人より
私は、また海辺のポストに向かった。
返事を書かなきゃ。
お礼を言わなきゃ。
もっと話したいことがある。
でも、ポストは消えていた。
あれ? ここにあったはずなのに。
砂浜を探したけど、どこにもない。
まるで、最初からなかったみたいに。
手紙だけが、確かに私の手元にある。
何度も何度も読み返した。
そして、わかった。
これが、最後なんだ。
もう手紙は届かない。
でも、いいんだ。
あなたは、伝えたいことを全部伝えてくれたから。
それから、少しずつ。
本当に少しずつだけど。
私は前を向けるようになった。
友達とご飯を食べて、笑えるようになった。
新しい趣味を見つけた。
朝、起きるのが少し楽になった。
あなたがいない寂しさは、消えない。
でも、あなたがくれた愛は、ずっとここにある。
それを胸に、私は生きていく。
海辺を歩く時、時々思う。
あのポストは、本当にあったのかな。
それとも、私が見た夢だったのかな。
どっちでもいいや。
あなたの言葉は、確かに届いた。
それだけで、十分だから。
波は今日も、変わらず寄せては返す。
私は今日も、一歩ずつ歩いていく。
あなたの分まで、この人生を大切に生きていく。
だって、約束したから。
ちゃんと食べて。ちゃんと寝て。ちゃんと笑うって。
愛してる。
ずっと、ずっと。
どこにいても、繋がってるから。




