授業中に飛んできた手紙
教室という小さな世界で起きる、たった一枚の紙切れの奇跡。誰かの何気ない行動が、誰かの心を救うことがある。
授業中に飛んできた丸めた紙くず。それが、すべての始まりだった。
「はい、そこ、静かに」
数学の授業中、黒板に数式が並ぶ。チョークの音が一定のリズムを刻む中、教室の空気は眠気と退屈で満ちていた。
ぼんやり窓の外を眺めていた僕の机に、コツンと何かが当たった。反射的に目をやると、そこには丸められた紙。誰かが投げたらしい。目立たないように拾い上げ、掌で隠して広げる。
そこには、ただ一言。
『生きてる?』
意味がわからなかった。隣の席の斎藤か? いや、前の席の小田? 誰が書いたのか、見当もつかない。けれど、なぜか胸の奥がざわついた。
僕は最近、ずっと笑えなかった。家庭のこと、進路のこと、友人との距離。どれも曖昧で、少しずつ心が擦り切れていくようだった。授業中に、ふと「もう全部消えてなくなればいい」と思うことさえあった。
そんなとき、この紙だ。
『生きてる?』
それは問いかけでもあり、呼びかけでもあった。
僕はノートの端を破り、鉛筆で返事を書いた。
『たぶん、生きてる』
紙を丸め、タイミングを見て後ろに投げ返した。
誰に届いたのかもわからない。けれど、その瞬間、胸の奥に小さな灯がともった気がした。
放課後。チャイムが鳴り、教室がざわめきに変わる。
カバンを閉じようとしたとき、机の上にまた紙が転がってきた。
今度は開く前からわかっていた。同じ筆跡だ。
『たぶん、生きてるなら、それでいい。』
その言葉に、知らず知らず涙がこぼれた。誰も見ていないふりをして、袖で拭う。名前も顔もわからない“誰か”が、たった一言で僕を現実に引き戻してくれた。
翌日、僕は小さな勇気を出して、同じように紙を丸めた。
『ありがとう。君は、生きてる?』
授業中、こっそり投げる。紙は放物線を描いて、どこかへ落ちた。誰が拾ったのか、結局わからない。返事も来なかった。
でも、その週の金曜日、学校全体がざわついた。
三年の先輩が、自殺を思いとどまったらしい。
机の上に置かれた一枚の紙がきっかけだったという。
それはこう書かれていたそうだ。
『生きてる?』
息が止まった。まさか、と思った。僕の書いた紙が、誰かの机に落ちたのかもしれない。偶然のいたずらか、運命の悪戯か。それでもいい。
あの言葉が、今度は誰かを救ったのだ。
次の週の月曜。教室の黒板の端に、誰かがチョークで小さく書いていた。
『生きてる?』
その下に、別の筆跡で書き足されていた。
『うん、生きてる。ありがとう。』
教室が、少しだけ明るく見えた。
丸めた紙は、もうどこにもない。
けれど、その言葉は風みたいに、今もこの教室のどこかを漂っている。
誰かの何気ない言葉が、知らない誰かの人生を反転させることがある。だから今日も、あなたの「ひとこと」が、誰かを救うかもしれない。




