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手紙からはじまる物語 ― 見えない糸でつながる心たち ―  作者: 草花みおん
言葉の残る場所

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メールマガジンの奇跡

朝。目覚ましよりも早く、スマートフォンが震えた。


音ではなく、振動だけ。


画面に、件名だけが浮かんでいた。


「【最終号】15年間ありがとうございました」


差出人は、メールマガジンだった。


「坂本書店」。


週一の、小さな火を灯すような文章。


読む時間が減っても、これだけは消せなかった。


日曜の朝、届くことが習慣だった。


それが、終わる。


本文を開く。


編集者の坂本さん。もう七十を越えるはずだった。


登録は、大学生のころ。


進路に焦る私に、「生きることに焦るな」という一文をくれた。


それから十五年。


仕事で行き詰まるたびに。恋人に振られるたびに。


言葉を、読み返してきた。


メールには、そう綴られていた。


読者の皆さんへ。長い間、ありがとうございました。


体力の衰えを感じています。配信を終えることにしました。


けれど、この場所で出会えた“言葉”たちは、あなたの中で生き続けると信じています。


最後に、一つだけお願いがあります。


もし、このメルマガがあなたの人生に何かを残したなら。


あなた自身の言葉で、誰かに渡してほしいのです。


文末に、小さな署名があった。


――坂本春海。


十五年前の、あの言葉の主。


名前を見て、胸の奥が熱くなる。


涙で文字がかすんでいた。視界が、滲んでいく。


スクロールすると、もう一行の追伸。


このメールは自動送信です。返信は届きません。


思わず、息を吐いて笑う。


らしい。


どこまでも、淡々としている。


それが、坂本さんらしさだった。


その夜。古いメールを遡っていた。


保存フォルダの中。15年前の「第1号」が残っている。


開く。あの日読んだ一文が、そのまま載っていた。


焦らなくていい。歩く速さが遅い人ほど、見える景色がある。


指で画面をなぞる。


あの頃の空気。蘇る。


狭いアパート。安いコーヒーの匂い。将来への不安。


今の自分は。あの頃の自分に、何を言えるだろうか。


無意識に、返信ボタンを押していた。


「坂本さん。長い間、本当にありがとうございました。あなたの言葉に、何度も救われました。」


届かないと、わかっている。


けれど、書かずにはいられなかった。


送信ボタンを押す。


画面は、“配信専用アドレスです。送信できませんでした”という。


冷たいメッセージ。


小さく、息を吐いた。


数日後。


出勤途中の電車の中。スマホが震えた。


差出人の名前を見て、息が止まった。


「坂本春海」


座席から、立ち上がりそうになる。


アドレスも、同じものだった。


本文を開く指が、震えていた。


お返事、ありがとうございます。


まさか、まだ届くとは思いませんでした。


目を、疑う。


だって、もう。


このメールを読む頃、私はこの世にいないでしょう。


これは、配信終了前に設定していた“返信用の自動転送”です。


返ってきたメールは、スタッフがまとめて私に見せてくれる約束でした。


もし、あなたがこれを読んでいるなら、きっとスタッフが代わりに送ってくれたのでしょう。


胸の奥が、熱くなる。言葉が出ない。


あなたがまだこのメールを読んでくれていたこと。


それが何よりのご褒美です。


焦らず、歩いてください。


あなたの、速さで。


文末には、たった一言だけ。


――坂本春海より。


電車の窓。映る顔が、涙で滲んでいた。


スマートフォンを、胸に抱く。


遠い場所から届いた、最後の言葉。心の奥で、受け止めた。


ドアが開く。


春の風が、吹き込んでくる。


駅のアナウンスが、遠い音になっていた。


小さく笑う。


「焦らなくていい、か……」


空を見上げる。


雲一つない、青が広がっていた。


たぶん。坂本さんも、この空のどこか。


今日も、“言葉”を探している。

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