届いた手紙
彼は、その手紙を偶然見つけた。
帰宅して机に向かったとき、白い封筒が一枚、そっと置かれていた。
差出人も、宛名もない。
中には、たった一行。
「寂しいけど、大丈夫。」
誰の字かもわからない。
でも、その文字を見た瞬間、胸の奥が熱くなった。
理由はなかった。
けれど、何かに包まれるような温かさがあった。
その夜、彼は眠れなかった。
ただ、その言葉を何度も思い返した。
寂しいけど、大丈夫。
まるで、自分に向けられた言葉のようだった。
彼は、去年恋人を亡くしていた。
事故だった。
その日以来、何も感じなくなっていた。
時間が止まったようだった。
誰とも話さず、仕事だけをこなす日々。
食事の味も、風の匂いも、心に届かなくなっていた。
手紙を手に取ると、かすかにインクの香りがした。
懐かしい香り。
どこか、彼女の香水に似ていた。
偶然かもしれない。
でも、心が少しだけ動いた。
「寂しいけど、大丈夫。」
その言葉を、声に出して読んでみた。
その瞬間、胸の奥で何かが溶けた。
ずっと凍りついていた感情が、ゆっくりと流れ出していく。
涙が頬を伝った。
何ヶ月ぶりだっただろう。
次の日。
彼は久しぶりに窓を開けた。
冬の風が冷たかったけれど、気持ちよかった。
あの手紙は、机の上に置いたままにした。
何度も読み返した。
読むたびに、不思議と心が静かになっていった。
まるで、手紙が痛みを吸い取ってくれているようだった。
ある日、手紙を開いたまま机に置いて出かけた。
帰ってくると、紙が真っ白になっていた。
文字が、消えていた。
消えたのに、なぜか悲しくなかった。
むしろ、穏やかだった。
彼は微笑んだ。
「ありがとう。」
誰に向かって言ったのか、自分でもわからなかった。
でも、その言葉は自然に出た。
それから、彼は手紙を書くようになった。
宛先のない手紙を。
机に置いて、朝には真っ白になっている。
「今日は少し笑えた。」
「風が気持ちよかった。」
「ありがとう。」
書くたびに、心が軽くなっていった。
まるで、誰かが受け取ってくれているように。
そして、ある夜。
彼は最後の一通を書いた。
「あなたのおかげで、生き返りました。
もう寂しくありません。
もし、この手紙が誰かに届くなら――
どうか、その人の心を温めてあげてください。」
翌朝、手紙は消えていた。
机の上には何も残っていなかった。
けれど、部屋の中に、ほんのりと花の香りが漂っていた。
あの日の彼女の香り。
彼はそっと笑った。
「届いたんだね。」
手紙は、誰かの想いを受け取り、
また次の誰かへと渡されていく。
書いた人の痛みを癒やし、
受け取った人の心を温め、
そして静かに消える。
まるで、愛そのもののように。




