書いた想いが消えてしまう手紙
彼女は、毎晩、手紙を書いていた。
誰に宛てるでもなく、ただ心のままに。
「今日は、少し泣いた」
「あなたに会いたい」
「もう一度だけ、話したい」
書き終えると、胸の痛みが少しだけ和らぐ。
だから、毎晩書いた。
でも、不思議なことがあった。
手紙を書いた翌朝、その気持ちが思い出せない。
悲しみも、恋しさも、怒りも。
昨日まで胸の奥で燃えていたはずの感情が、
朝になると、すっと消えている。
代わりに、机の上には一通の手紙。
封もせずに、静かに置かれている。
中を読むと、確かに自分の字だった。
けれど、書いた時の気持ちがまるで思い出せない。
ある夜、彼女はふと思った。
もし、この手紙が気持ちを吸い取っているのだとしたら?
試しに、何も感じていないふりをして手紙を書いてみた。
「特に何もない日。平和です。」
翌朝、彼女の心には何も残らなかった。
でも、その夜、夢を見た。
見知らぬ場所で、誰かがその手紙を読んで泣いている夢。
それから、彼女は気づいた。
自分の想いは、手紙に吸い取られて消えていく。
けれど、その想いはどこかで、誰かの心を温めている。
彼女はそれを“癒やしの手紙”と呼んだ。
毎晩、少しずつ、自分の痛みを紙に移していく。
「寂しいけど、大丈夫。」
「誰かが、この気持ちを拾ってくれますように。」
冬のある日、最後の手紙を書いた。
インクは淡く、指先は冷たい。
「これで終わりです。
もう、書くことはありません。
悲しみはすべて、あなたに預けました。
どうか、誰かを照らしてあげてください。」
翌朝、机の上には真っ白な紙。
文字はすべて消えていた。
そして彼女の胸の中も、静かだった。
涙も、痛みも、もうどこにもなかった。
その夜。
遠い街で、一人の青年がふと机の上を見た。
そこに、白い封筒があった。
差出人も宛名もない。
中には、淡いインクでこう書かれていた。
「寂しいけど、大丈夫。」
彼は微笑んだ。
なぜか、心が温かくなった。
理由はわからない。
けれど、その一文が胸に灯をともした。
手紙は、想いを消す。
でも、消えた想いは、誰かの心に届く。
だから、彼女は幸せだった。
もう、自分の中に悲しみがなくても。
その代わり、どこかで誰かが――優しくなれているから。




